すこし前の話だが、タワーマンションの上層階をかなりのお金を出して購入したひとに話を聞いたことがある。彼は子どもがまだ小学生なのに、相続のことを考えて決断したのだという。
私がぽかんとした顔をしていると、彼はそれがどれほど有利な節税法なのか懇切丁寧に教えてくれた。
湾岸などに建てられた超高層マンションは、眺望のいい上層階ほど価格が高い。それに対して低層階は人気がないため、価格は近隣の物件と比べても安めだ。ところが相続税の算定基準となる「評価額」は階層で差をつけず、マンション全体の評価額を各戸の所有者で均等に分割することになる。
「同じ広さで、2階が2000万円で50階が1億円だとするでしょう。でも相続税評価額は、1億2000万円を2等分した6000万円なんです。そうすると、子どもに1億円相当の不動産を相続させても、税金を40%も節約できるじゃないですか」
私は話をうまく理解できず、彼に訊いた。
「だったら2階を購入したひとは、2000万円相当の物件を6000万円で評価されることになるんですよね。なんでそんな取引をするんですか?」
こんどは彼がぽかんとした顔をする番だった。そして「バカだからじゃないですか」といった。
でもこれは、もうちょっと経済合理的に説明できる。2階の物件は相続税の割増分だけ値引きされていて、50階の物件は節税分が価格に上乗せされているのだ。
もっと不思議なのは、彼の年齢を考えれば相続が30~40年先の出来事だということだ。明日どうなるかすらわからないのに、なぜそんな遠い未来を心配するのだろう。日本人の平均寿命からすれば、相続は70歳過ぎてから考えればじゅうぶんなのだ。
案の定、総務省と国税庁が「タワマン節税」を封じる検討に入ったと報じられている。実際の物件価格に合わせ、階によって評価額を増減するよう計算方法を見直すのだという。
節税法の多くは、税法の本則ではなく通則や通達を根拠にしている。これらは税務当局の腹積もりでかんたんに変更されてしまうから、それが永続することを前提とした相続税対策はもともと矛盾しているのだ。
世紀の変わり目の頃に、海外生命保険を利用した節税法が富裕層に流行した。死亡保険金は相続財産として非課税枠の特例が認められているが、これが適用されるのは日本で免許を得ている保険会社の商品だけだ。海外生保の保険金は、税法の本則に戻って、一時所得として課税される。ふつうはこんなことをしても意味はないが、保険金が巨額になると、非課税枠を放棄しても税率の低い一時所得で課税された方が有利になるのだ。
当時、日系カナダ人の保険代理店から熱心にこの節税スキームを勧められたときも、私は同じ疑問を抱いた。そして案の定、海外の保険金も国内と同様に扱われることになって、この節税法はなんの意味もなくなってしまった。――海外生保に加入したひとがその後どうなったのかは知らない。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.57:『日経ヴェリタス』2016年3月13日号掲載
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