「中絶によって犯罪が減る」ってホント?

鉛が毒性を持つことは古くから知られていた。汚染された食品を食べつづけると鉛毒が体内に蓄積されて中枢神経系にダメージを与え、脳の構造的・機能的障害の原因になる。とりわけ脳の前頭前皮質は、鉛への暴露の影響が大きい。

前頭前皮質は怒りや欲望などの情動の制御に関係し、事故によって前頭前皮質が損傷した患者は暴力的になることがわかっている。――もっとも有名なのは、鉄の棒が頭蓋骨を貫通して前頭前皮質がほぼ完全に破壊された鉄道作業員のフィアネス・ゲージで、彼は以前と同様の記憶力や理解力を保持していたが、人格の変容によってふつうの社会生活を送ることができなくなった。

犯罪学者の調査によると、血中の鉛レベルが高い少年は、教師の評価でも自己評価でも非行スコアが高い。また胎児期、および出生後に鉛レベルが高かった子どもは、20代前半になると犯罪や暴力を起こしやすくなる(ある研究によると、胎児期における血中の鉛濃度が4マイクログラム増えるごとに、逮捕の可能性は40%上昇した)。

アメリカでは、環境中の鉛レベルは1950年代から70年代にかけて上昇し、70年代後半から80年代前半に規制強化によって大きく改善した。その鉛レベルの推移と、23年後の犯罪発生率とのあいだにはきわめて強い相関関係がある。母親の胎内で鉛に被爆した胎児や、鉛で汚染された母乳で育てられた乳児は成人して犯罪者になる可能性が高いのだ。

研究者によれば、環境中の鉛レベルの変化は暴力犯罪件数における分散の実に9%%を説明する。鉛レベルが急速に低下した州では20年後の犯罪も急激に減少しており、さらに同様の関係が、イギリス、カナダ、フランス、オーストラリア、フィンランド、イタリア、西ドイツ、ニュージーランドで見出されている。世界、国、州、都市いずれの単位でも、鉛レベルと20年後の犯罪件数を示すグラフの曲線はほぼ正確に一致しているのだ(エイドリアン・レイン『暴力の解剖学』)。

もちろんこれは、レヴィットの「中絶説」を否定するものではない。犯罪の減少にはさまざま要因があり、中絶の合法化がなんらかの効果を及ぼしたということもあるだろう。だが統計学的により強力な説明が現われたことは、ビッグデータが持つ危険性を浮かび上がらせる。

「鉛中毒が犯罪者を生む」という説明が優れているのは、道徳的に中立なことだ。どのようなイデオロギーの持ち主でも、「胎児や乳幼児が鉛毒に汚染されないようにすべきだ」という提案を否定しようとは思わないだろう。鉛と犯罪の相関関係が統計的に示された以上、母親や子どもの血中鉛レベルを測定したり、環境に放出される鉛を規制したりする対策はやってみる価値がある。これは統計学の有用性を示す格好の例だ。

それに対して世界には、宗教的・文化的な理由から中絶に強い忌避感を持つ社会がたくさんある。キリスト教(とりわけカトリック)やイスラムはもちろん、仏教やヒンズー教も中絶を不殺生戒で禁じている。そのような社会に対して「中絶すれば将来の犯罪が減る」と善意の忠告をし、結果として中絶と犯罪はさほど関係なかった(主因は環境中の鉛レベルだった)ということになれば、社会に無用な対立を生むだけだろう。

敬虔なカトリック教徒の多いアイルランドでは中絶は違法だし、ナチス時代の優生学で中絶が“民族浄化”の道具に使われたことから、ドイツでも中絶は原則禁止されている。だがこれらの国の犯罪率は、中絶が合法化されたアメリカよりずっと低い。さらに、日本では中絶は実質自由化されていて、韓国では実質禁止されているが、両国の犯罪率に際立った違いがあるわけではない。このように、一見鮮やかな「中絶原因説」には反証できそうな事例がたくさんある。

統計学はきわめて強力な理論だからこそ、その使い方には細心の注意が必要なのだ。