ある日、マリーナは激しく痛むお腹を抱えてすすり泣いていた。痛みで遠のきそうになる意識のなかで、昨日食べたタマリンドのような実があたったのだと思った。それはふつうのタマリンドよりずっと小さく、夢のように甘かった。
あまりの痛みで、身体を動かすこともできなかった。朦朧とした意識のなかで、このまま死んでいくんだと感じていた。
そのとき、グランパ(おじいさん)と呼んでいた年老いたサルが自分を見つめていることに気がついた。
グランパはいつも座っている木の股から飛び降りてマリーナに近づくと、腕をつかんで身体を軽くゆさぶり、追い立てるように強く押した。突き飛ばされるまま棘だらけの茂みに分け入り、転げ落ちたところは滝つぼだった。
グランパはマリーナを水の方に押しやろうとした。溺れると思ったマリーナは死に物狂いでもがき、水面を叩き水しぶきをかけて抵抗した。
そのときグランパは、マリーナの顔をぐいと引き寄せ、目を真っ直ぐに見た。その表情には、怒りも、興奮も、敵意もなかった。
グランパがなにかを教えようとしていることに気づいたマリーナは、水溜まりに頭を沈め泥水を勢いよく飲んだ。グランパがようやく手を放すと、マリーナは岩場に這い上がってうつ伏せに倒れこんだ。咳が出はじめ、それはすぐに嘔吐に変わった。最初に水を吐き、それからやけつくような大量の胃液が逆流してきた。
嘔吐がおさまると、グランパはまたマリーナを水際に追い立てた。こんどは冷たい清水が流れる浅い滝つぼだった。滝の水を存分に飲むと、胃がねじ曲がるような痙攣が鎮まった。
なかば意識を失った状態でそこに倒れているあいだ、グランパは一歩も動かず、岩に座ってマリーナを見ていた。ようやく岩場をよじ登れるまで元気が出てきたのを見届けると、自分の仕事に満足したのか、グランパはきびすを返して元いたお気に入りの木に戻っていった。
この思いがけない出来事以来、サルたちのマリーナに対する態度ががらりと変わった。これまでは無関心で距離を取っていた彼らが、友だちのように接してくれるようになったのだ。マリーナはサルたちと食べ物を分け合い、毛づくろいし合うようになった。ジャングルに捨てられた幼い少女は、サルたちの仲間に迎え入れられたのだ。
マリーナは、サルたちの鳴き声を夢中になって聴いた。その鳴き声を真似ると、何匹かのサルがそれに応えるようになった。
最初に覚えたのは警戒音で、喉から搾り出すような切迫した音を、群れの全員に聞こえる大声で出す。サルたちはまず、口を開けたまま凝視するよう顔をしかめ、後ろ足で爪先立ちし、低くうなりはじめる。侵入者が敵だと判断すると、頭を左右に揺らしてキーキーと高い声をあげる。危険が迫ると手で地面をバンバン叩きながらさらに鋭く高い声で鳴く。するとほかのサルも加わり、安全のために木のてっぺんに駆け上がっていき、マリーナだけが取り残されるのだ。
この警戒音からはじまって、マリーナはサルたちの鳴き声の意味をすべて理解できるようになった。次に熱中したのはサルたちといっしょに遊ぶための木登りの練習で、ジャングルの高木のなかでもとくに背の高いブラジルナッツに登ろうと繰り返すうちに、腕と足の筋肉はたくましく筋張り、手足、肘、膝の肌は乾いて硬くガサガサになって、樹皮をしっかりととらえられるようになった。
はじめて高木のてっぺんに登ったとき、マリーナは目の前に広がる光景に息をすることすら忘れていた。巨大な森の上には大きな空が広がり、太陽のまぶしさに目が眩んだ。自分がどれほどの高さにいるのかは見当もつかなかった。眼下には無数に敷きつめられたブロッコリーのような樹冠が広がり、それ以外には何もない。やわらかな枕のような梢の表面は風が吹くたびに盛り上がったり沈んだりし、そのさざなみはみるみる遠のき、地平線に消えていく。するとまた、新たなうねりがすぐ近くでわき起こるのだ。
そのうちマリーナは、サルたちが枝のあちこちに腰掛のような場所をつくっていることに気がついた。それはさながら小さな家だった。そこに座ってサルたちが遊ぶのを見ていると、自分がほんとうに仲間に加わったことを感じた。
マリーナはほぼいつでも“四足歩行”をするようになっていた。身体は子どもとも思えないほど筋肉質になり、かかとや手のひらは硬くなり、見慣れない食べ物にも食欲が湧いた。ジャングルに捨てられて数年が過ぎ、彼女はこころも身体もサルに近くなっていた。
だがそんなとき、マリーナは森の中にインディオの部落を見つける。そこは川の近くで、柵の向こうに3軒の掘立小屋があり、数人の男と女、子どもたちと赤ん坊がいた。男は顔に色のついた印をつけ、女はビーズでできた長い首飾りをしていた。大人たちにはほとんど歯がなかった。
マリーナはその日、ずっと集落の近くにとどまっていた。彼らが、サルよりも自分に近い種族であることはすぐにわかった。彼女を魅了したのは、ケンカし、飛び跳ね、歓声をあげて遊ぶ子どもたちだった。いまにも身体が勝手に彼らの前に踊り出しそうになった。そこに行ってあたたかく迎えられ、いっしょに遊びたかった。
マリーナはそれから数カ月、毎日インディオの集落に通って彼らを観察し、食べ物を盗み食いし、誰もいない小屋のなかを探索した。そのうちに、ここが自分のいるべき場所だという思いがどんどん膨らんでいった。
そしてある日、彼女はとうとう勇気を奮い起こして、赤ん坊を産んだばかりの女の前に立った。赤ん坊と同じように、自分のことも愛してくれると思ったのだ。
だが女は、マリーナに気づくと飛び上がって後ずさりし、悲鳴をあげた。それを聞いて大柄な男が近くの小屋から走り出てきた。男は羽を2本挿した布のヘアバンドをし、ビーズでできた派手な色の飾りを身につけ、頬に絵の具のようなもので塗られた赤と黒の2本の線があった。
男はマリーナに近づくと、目を細めてじろじろと見つめ、肩を大きな片手で押さえ、もう片方の手で顔をぐいとつかんだ。そして口をこじあけて歯をあらため、頭を下に引っ張って首の後ろを探り、すべてを吟味し終えると邪険に追い払った。それでもマリーナが抵抗すると、力づくで押しのけ、指で自分の首を切るジェスチャーをした。サルに受け入れられたマリーナは、人間から拒絶されたのだ。
それから月日がたち、次にマリーナが出会った人間はハンターだった。ハンターたちは野生動物を麻酔銃で撃ち、次々と捕獲していった。
マリーナは木の上に隠れ、獲物を探すハンターたちを観察していた。そのうち、ハンターの一人がどこか変わっていることに気がついた。そのハンターは、カーキ色の服を着て手にライフルを持っていたが、穏やかでやさしそうな顔をした女性だったのだ。
マリーナはその女に惹きつけられ、気がつけば木から下りてハンターの前に立っていた――。