郊外少年マリクの同類たちが現実に受けている誘い
『郊外少年マリク』(集英社)は、郊外の団地で生まれ育ったマリクという少年の5歳から26歳までをユーモアを交えた軽やかな筆致で描いた小説で、アルジェリア系移民2世としてパリ郊外に生まれた作者マブルーク・ラシュディの体験をもとにしている。
ものごころついたときから、マリクの人生はたたかいの連続だった。小学校では身を守るために相手を叩きのめし、必要なものは万引きでしか手に入らず、楽しみは草サッカーだけだった。中学のときは問題児で、なんとか高校を卒業し21歳で消費者金融のコールセンターで働き出したものの、「経済的理由」で3カ月でクビになった。そのあとはずっと無職のままで、25歳でRMI(社会参入最低保証。日本の生活保護)の給付を受けることになる。
そんなある日、親友の1人がドラッグのやり過ぎで死んだ。マリクはその葬式で久々にかつての悪ガキ仲間と会ったが、なかにはドラッグで顔が変わり、20歳は老けて見える者もいた。「他の連中はどこにいるんだ?」とマリクが聞くと、彼は墓地を指差して、「半分はもうあっち側」とこたえた。
そんな仲間たちのなかでも、団地を抜け出した成功者が2人いた。
マリクは団地でも学校でも最高のサッカープレイヤーだったが、中学に上がる頃には真面目に練習しようと思わなくなっていた。マリクがいつも馬鹿にしていたサムはサッカーに打ち込み、いまはプロ選手として活躍していた。
もう1人はユダヤ人のサロモンで、マリクたちからその出自を理由にずっといじめられてきた。大学を出てエリートビジネスマンになったサロモンは、久しぶりに会ったマリクに、「お前たちが俺をうざユダ扱いしてくれたから、ここから抜け出すことができたんだ」といった。
マリクの人生は挫折つづきで、仕事も失い、ガールフレンドにも愛想をつかされ、これから先、生きていてもいまよりよくなる望みはどこにもない。5歳からの20年間を振り返ってみれば、なにもかもが必然で、どこにも出口はなかったように思える。
本書の最後で、マリクはサロモンから「うちの会社のサッカーチームのコーチになってみないか」と誘われる。「マリク、おまえは最低の馬鹿じゃない。おまえには切り札がいっぱいあるんだ」という幼馴染の激励が、この物語のわずかな救いになっている。
だが現実には、20代で灰色の人生の遠い先まで見てしまったマリクの同類たちは、まったく別の誘いを受けている。生活保護受給者からアマチュアのサッカーチームの雇われコーチになるよりも、「神」の名の下に武器をとってたたかうことをマリクが選んだとしても、なんの不思議もない。
参考文献:ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』(人文書院)
『マネーポスト』2015年春号
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