過激派テロ組織ISISの戦士を生み出したフランスの「国内問題」

欧州の移民政策の争点は「隔離か同化か」

1880年代から第一次世界大戦(1914年)までの30年間に、エチオピアを除くアフリカ全土がヨーロッパ列強の植民地として分割された。このときフランスにとってぜったいに譲ることのできない「生命線」だったのが、地中海を隔てたマグレブ地方(北アフリカ)だった。フランスはモロッコ、チュニジア、アルジェリアを真っ先に植民地化し、そこからセネガル、コートジボワール、コンゴなど西アフリカ、中央アフリカに勢力を伸ばしていく。

それに対してイギリスが統治したのは東アフリカと南アフリカのいわゆる“ブラックアフリカ”で、白人と黒人は肌の色によってはっきりと分かれていた。南アフリカやローデシア(現在のザンビア、ジンバブエ)が典型だが、イギリス植民地では黒人を“下等人種”として白人社会から隔離するのが当然とされていた。イギリス本土でも同様に、黒人やインド人、中国人は人種ごとに居住区をあてがわれ、隔離されていた。

一方、地中海の南岸に位置するマグレブ地方は古代からヨーロッパ(地中海北岸)と交流を持ち、人種の混交も進んでいたため、外見だけでは南欧の人々と区別がつかなかった。「近代発祥の地」を自負するフランスは、植民地統治にあたり、イギリスに対抗して「啓蒙」を前面に掲げた。

理念的にいうならば、近代国家は人種や民族、宗教に関係なく、「自由・平等・博愛」という市民革命の理想に賛同するひとびとによってつくられた共同体(コミューン)のことだ。当時のフランス人にとって、これは「完璧なフランス語を話す」ことと同義だった。なぜならフランス語こそが近代の理念を体言する、世界でもっとも美しい言語なのだから。

植民地における公教育により、マグレブのひとびとはフランス語を流暢に話すようになった。その「成果」を誇って、理想主義的なフランスの啓蒙家たちは彼らマグレブ人を「フランス人」として処遇すべきだと論じた。もちろんこれは建前で、フランスでも白人と有色人種は明確に区別(差別)されていたが、それでもアングロサクソン(英米)のような露骨な隔離政策は行なわれず、「(フランス社会への)同化」が強調されるようになった。

20世紀に入ると、ヨーロッパの国々にはアフリカの植民地から多くの労働者が流入してきた。これが現在に至る移民問題の源流だが、各国の移民政策は常に「隔離か同化か」が意識されてきた。

フランスに暮らすアルジェリア出身者たちは、1962年の独立前はれっきとした「フランス人」だった。彼らは自分たちが「移民」として扱われることに激しく反発し、完全な市民権を持つことを当然と考えている。植民地時代にフランス政府は彼らに「フランス人」になることを強制していたのだから、移民排斥を求める極右もその歴史的事実を否定することはできない。これはアメリカにおける黒人問題(強制的に連れて来られた奴隷の子孫)と同じ構図で、道徳的な正当性は差別されるマイノリティの側にある。

ちなみにヨーロッパ主要国のなかでも後発近代のドイツはアフリカに大きな植民地を持つことができず、わずかな領土も第二次大戦の敗戦によって英仏やベルギーに割譲されたため、結果として植民地主義の負の遺産から逃れることができた(逆にベルギーは、ドイツからルワンダを譲り受けたばかりに、94年のルワンダ虐殺を放置したとして世界じゅうから非難を浴びることになった)。これがドレスデンなどドイツ東部で「反イスラーム」の大規模なデモが起きる背景だ。