プロサッカーでは、チームの成績が振るわないとまずは選手を補強してテコ入れし、それでもうまくいかず降格がちらついてくると監督を解任し、新しい指導者に命運を託します。そのとき、同じ球技だからと野球や卓球の監督を連れてくることはありません。
「なにを当たり前のことを」と思うかもしれませんが、「日本型組織」では常識に反したことがしばしば起こります。
日本の会社も経営が傾けば社長を交替させますが、人材は社内で探し、外部から招聘する発想はありません。監督を解任しても予定調和的にコーチが昇進するだけで、たまに反抗的なコーチ(反主流派の幹部)が抜擢されると「大改革」と大騒ぎになります。
これを誰も不思議に思わないのは、日本の会社が社員の共同体で、社長はその代表だからです。閉鎖的な組織は、外部から異物が混入することをものすごく嫌います。日本のサラリーマンの習性は、社長から平社員まで、ほとんどこれで説明できるでしょう。
それでは、典型的な日本型組織が、社員の代表を経営トップに据えることを禁じられたらどうなるでしょうか? このきわめて興味深い社会実験がいま行なわれています――これはもちろんNHKのことです。
テレビ創生期のNHK会長の職は政治家、官僚、新聞人など名士の持ち回りでしたが、1976年に悲願だった生え抜き会長が誕生すると、その後も紆余曲折はありながら社員からの登用が続きました。ところが2007年に、職員が放送前のニュース原稿で株式を売買するインサイダー取引の不祥事を起こし、ふたたび外部招聘に戻されてしまいます。
欧米で似たようなことが起きたとすると、そのとき真っ先に検討されるのは、同じテレビ業界の経営幹部や元社長を連れてくることでしょう。それで都合が悪いなら、海外のテレビ局(BBCとか)の辣腕経営者をヘッドハンティングしてもいいかもしれません。これは、サッカーの外国人監督と同じです。
ところが日本の会社は社員の共同体ですから、同業他社の社長、すなわち「よその共同体の代表」がトップになることは、乗っ取り(買収)以外ではあり得ません。その結果、NHK会長はテレビ業界とはまったく関係のないところから連れてくるしかなくなってしまいました。
NHK会長の職は、じつはそれほど魅力的ではありません。年俸3000万円で、国会で政治家から吊るし上げられたり、番組内容が偏向しているとマスコミから叩かれたりするのでは、功なり名を遂げたひとはまったく興味を感じないでしょう。
それでも外部招聘した最初の2人は財界の重鎮で、プロの経営者として高い評価を得ました。しかしこの“幸運”も3人目で尽きて、目ぼしい候補者から軒並み断られた結果、大手商社の子会社社長というかなりランクの落ちる人物に任せざるを得なくなったのです。
このように考えると、いまのNHKの混乱は必然で、これまで大過なくやってこれたことの方が不思議です。現会長の“見識”を批判するのは結構ですが、これでますます引き受け手はいなくなるでしょうから、次もその次も同じことを繰り返すことになるだけでしょう。
『週刊プレイボーイ』2015年4月20日発売号
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