人間の味覚はどこまで信用できるのか――そんな疑問を抱いたのは、何年か前にフランスで捕まったワイン偽造団の記事を読んだときだ。
同じワインでも、ボルドーのメドック第1級とかブルゴーニュのロマネ・コンティなどの有名銘柄はものすごく高い。そこでワイン偽造団は、こうした超高級ワインのラベルを偽造し、チリやペルーなどの安い新世界ワインのボトルに貼って一流レストランに卸していた。
なぜこんなことができたのか。裁判で一味の首謀者は次のように証言した。「ボルドーとチリワインのちがいがわかるソムリエなんてどこにもいない」
これはけっこう衝撃的だ。1本何十万円もするフランスワインと千円札数枚で買える新世界ワインが同じだなんて……。
経済学者の人気者スティーヴン・レヴィットとジャーナリストのスティーヴン・ダブナーの『0ベース思考』(ダイヤモンド社)に、これを実際に実験してみた話が載っている。
料理とワインの評論家ロビン・ゴールドスタインは、ワイン初心者からソムリエ、ワイン醸造業者まで500人を集め、全米17の会場で目隠し試飲会を行なった。
ゴールドスタインが用意したのは1本1ドル65セント(約200円)から150ドル(約1万8000円)までの523種類のワインで、試飲者に「よくない(1点)」「普通(2点)」「よい(3点)」「とてもよい(4点)」の点数をつけてもらった。
その結果、試飲者は平均すると「高いワインを安いワインに比べて少しだけおいしくないと感じた」。それに対して試飲者の約12%を占めていたワインの専門家は、「安いワインを好んだわけではないが、高いワインを好んだともはっきり言えない」くらいの“実力”は見せたようだ。
この結果を見ると、ワイン偽造団が成功した理由がわかる。ソムリエはもちろんワイン醸造者ですら、ラベルがないとワインの味が見分けられないのだ。
味にうるさい「専門家」が多いことでは他を圧倒するワインでこれなら、それ以外の味覚は押して知るべしだろう。有名な蔵元の日本酒や焼酎と大衆的な銘柄はどれほどちがうのか、一人3万円の有名寿司店と回転寿司のちがいはわかるのか……。テレビ番組の企画で、(被験者だけでなく実験者も正解を知らない)二重盲検法で試してみたらきっと面白いだろう――という意地悪なことをいいたいわけではない。
ワイン偽造団の記事を読んだときに真っ先に思ったのは、彼らが選んだ新世界ワインのリストを知りたい、ということだった。なぜならそれは、何十万円もする超高級ワインと“同じ”味なのだから。
あるいは、ワインの流通業者が一流レストランのソムリエを集めて目隠し試飲会を行ない、「高級ワインと見分けがつかなかった安いワインのセット」をつくってみるといいかもしれない。これなら大ヒット間違いなしだ――といっても、どうせ無理だろうけど。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.49:『日経ヴェリタス』2015年4月5日号掲載
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