反原発派こそが似非科学を批判すべきだ 週刊プレイボーイ連載(148)

人気マンガ「美味しんぼ」の主人公・山岡士郎は、福島第一原発を訪れた後に鼻血を流します。実名で登場する被災地の前町長は、「私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしたからですよ」と断言します。これでは個人的な感想をもとに「福島にはもう住めない」といっているようなものですから、風評被害との抗議が殺到するのは当たり前です。

この騒動については、「表現の自由」として擁護する声もあります。これをどう考えればいいのでしょうか。

前提として、私たちの社会ではあらゆる主張に科学的データが求められるわけではありません。
「ふくらはぎをもめば長生きできる」という本が売れていますが、こうした健康本の多くはその効果が医学的に証明されているわけではありません。それでも社会問題にならないのは、みんなが1日5分ふくらはぎをもむようになってもさしたる悪影響がないからでしょう。

厚生労働省は薬事法によって、投薬などの効果を宣伝に使うことをきびしく制限しています。臨床実験もなく製薬会社が「がんの特効薬」を売り出せば大問題になりますが、その一方で、「キノコを食べたらがんが治った」というような情報が巷にあふれています。なぜこれが許されるかというと、それが(すくなくとも)体験的事実で、個人の体験を述べることは自由だからです。

キノコを食べたあとにがん細胞が消えたとしても、そこに因果関係があるかどうかを知るには膨大な実験が必要です。そんなことは個人には不可能ですから、厳密な証明を要求すると、私的な体験を公表することまで禁じてしまうのです。

しかしこれは、体験に基づけばどのような一般化も許される、ということではありません。

借金を踏み倒された相手がたまたまユダヤ人だったとしても、「すべてのユダヤ人はウソつきだ」と差別する理由にならないのはいうまでもありません。“キノコでがんが治った”ことを理由に「抗がん剤はいますぐやめなさい」と煽れば、それを信じた患者が適切な治療を放棄するかもしれません。そう考えれば、表現の自由にも社会的な許容範囲があることがわかります。

福島第一原発の事故現場では1日4000人もの作業員が復旧作業に従事しています。福島の住人に被ばくによる鼻血の症状が出ているのなら、放射線量の高い場所で作業する彼らの被害ははるかに深刻なはずですが、そのような事実は報じられていません。こうした明らかな矛盾に反論できなければ、似非科学といわれても仕方ないでしょう。

今回の事件で気になるのは、「国や東京電力を批判するためなら多少の行き過ぎも許される」という論調が一部にあることです。しかしこんなことでは、原発に反対する主張はすべて似非科学と見なされてしまいます。

「美味しんぼ」の描写は政府関係者をはじめ、原発推進の側から強く批判されています。それだからこそ反原発派は、動機を理由に似非科学を擁護するのではなく、より徹底して批判しなければならないのです。

『週刊プレイボーイ』2014年5月26日発売号
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