新国立劇場で本日初演の『象』(作: 別役 実、演出: 深津篤史、出演:大杉 漣、木村 了、奥菜 恵他)のプログラムに寄稿した原稿を、許可を得て掲載します。
『象』の公演日程はこちら。東京公演の後は、全国公演も予定されています。
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記憶は徐々に忘却されていく。あるいは、忘れていた記憶が突然、蘇る。誰も疑問に思わないだろうが、これはほんとうに正しいのだろうか。
1969年9月、サンフランシスコ郊外で8歳の少女が行方不明になり、数カ月後、頭部を叩き割られた姿で発見された。犯人は見つからず事件はそのまま迷宮入りしたが、20年後、被害者のクラスメートの1人が殺害現場を目撃したと言い出した。少女を強姦したうえ撲殺したのは彼女の父親だった。
彼女の証言が事件現場の状況と一致していたことから父親は殺人容疑で逮捕され、終身刑を宣告された。だがその後、事件は思わぬ展開を辿ることになる。
やがて彼女は、18歳の女性が殺された別の未解決事件も「思い出した」。犯人はやはり父親だとされたが、今回は現場に残されたDNAによって事件と無関係であることが証明された。彼女はウソをついていたわけではない。セラピストの催眠療法によって、当時の新聞記事などを元に偽りの記憶を植えつけられたのだ。
特異な事件だと思うかもしれないが、じつは米国では、80年代後半から90年代にかけて、成人した娘が幼児期の性的虐待で両親を訴える裁判が大量に起こされている。両親が悪魔崇拝のカルトの一派で、自分は儀式の生贄にされたという訴えも多かった。裁判の原告たちは、全員が催眠療法によって幼児期の記憶を「思い出して」いた。
じつはその前に、米国の精神医学界で心的外傷(トラウマ)による心理的な障害が発見されている。戦争や災害などでこころに大きな衝撃が加えられると、後にそれが原因でさまざまなストレス症状が発症するもので、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれている。
PTSDは神経症の一種だが、一部のラディカルな心理療法家はこの因果関係を逆転させ、患者になんらかの神経症の徴候があるのなら、そこには隠された心的外傷があるにちがいないと考えた。こうして、催眠術によって記憶を遡り、幼児期のトラウマを“発掘”する治療が大々的に行なわれるようになった。
こうした「トラウマさがし」は当初こそ熱狂的に迎えられたが、“記憶を取り戻した”患者が親を訴えるようになると米国社会は当惑した。
「抑圧された記憶」という主張は、過去の体験がそのままのかたちで脳のどこかに保存されている、という仮説に拠っている。だからこそ、細部にいたるまでまざまざと「思い出した」ことが、幼児期の性的虐待が事実であることを証明しているのだ。
これを「現代の魔女狩り」として真っ向から批判したのが認知心理学者のエリザベス・ロフタスで、記憶が改変可能であることをさまざまな実験で示した。よく知られているのが「ショッピングモールの迷子記憶実験」で、被験者に「5歳の時に迷子になった」という偽りの記憶を植えつけてみせた。
その方法はきわめてかんたんで、被験者の親か兄姉が「迷子になった日」の出来事を具体的に話して聞かせるだけだ。「ポロシャツを着た親切な老人がお前を連れてきてくれた」とか、「泣き止んだ後にいっしょにアイスクリームを食べた」などとウソの話をされているうちに、突如として“記憶”が蘇ってくる。そればかりか、「あのおじさんが着ていたのはポロシャツじゃなくてTシャツだった」とか、「食べたのはシャーベットのようなお菓子だった」などと、自分で記憶を“創造”するようになるのだ。
このようにしてロフタスは、催眠術のような特殊な技術を使わなくても記憶が自在に書き換えられることを証明し、“記憶戦争”に決着をつけた。その結果今度は、「偽りの記憶」を植えつけられたとして、心理療法家がかつての患者から訴えられることになった。
ところで、記憶はなぜかんたんに操作されてしまうのだろうか。それは、私たち自身が日常的に記憶を書き換えているからだ。
現代の心理学では、これを「認知的不協和」として説明する。
私たちの脳は、矛盾(不協和)を嫌うようにできている。人類がその大半を生きてきた石器時代では判断の遅れが生存の危機に直結したため、脳は矛盾を不快に感じて無意識のうちに修正するようにつくられている。
自分がなにひとつ覚えていないにもかかわらず、親や兄姉が迷子になった日の出来事を詳細に語るのは強い認知的不協和を引き起こす。そんなとき私たちは、どちらが事実なのかを検証するのではなく、存在しない記憶を蘇らせることで不協和から逃れようとする。
自分は悪くないのに人生はなにひとつうまくいかない。そんなとき心理療法家から「幼児期の性的虐待が原因だ」といわれると、偽りの記憶が「真実」として立ち現われてくる。
認知的不協和の解消は脳の基本的な機能なので、記憶は繰り返し改変され、「過去」はいつの間にかまがい物になっていく。そう考えれば、なぜ「歴史」が忘却されるのではなく、書き換えられていくのかもわかるだろう。
心理的操作は無意識のうちに行なわれるから、当事者には歴史や記憶を改ざんしている自覚はまったくない。そればかりか、「隠されていた真実」を暴いたという高揚感をもたらすことすらある。ヘイトスピーチを叫びながら韓国人街を行進する団体を見ればそのことがよくわかるだろう。
ケロイドは、直視できないほど不愉快な「歴史」だ。だからこそ私たちは、それを隔離し、隠蔽し、葬り去って、自分たちに都合のいい偽りの歴史を紡ぐようになる。
もちろんこれは、日本人だけのことではない。中国人も韓国人もアメリカ人も、ヒトである以上、みな同じことをしているのだ。
新国立劇場『象』プログラムより
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