第29回 キプロス、預金保護の危うさ(橘玲の世界は損得勘定)

 

地中海の島国キプロスをめぐる春の椿事は一段落したようだが、いったいなにが問題だったのだろうか。

最大の衝撃は、「国家が預金封鎖で国民の資産を没収する」という現実をひとびとが目の当たりにしたことだ。

個人にとって預金とは、納税という市民の義務を果たした後に手元に残ったお金を積立てたものだ。国家は国民の財産を保護する義務を負っているのだから、預金の利子ではなく元本に課税することが財産権の侵害にあたることはいうまでもない。

だが今回の問題は、もうすこし複雑だ。

ギリシア国債に多額の投資をしていたキプロスの銀行は、ギリシアの財政破綻で債権放棄を迫られて債務超過に陥ってしまう。しかし“金融立国”キプロスでは、金融機関の総資産がGDPの7倍もあって、国家に銀行を救済する財政余力がない。ない袖は振れないのだから、「財産権」など絵に描いたモチで、このままでは国家も金融機関もろとも破綻するほかなかったのだ。

国家と金融機関の全面的なデフォルトが起これば、預金は半分以下になってしまう。これに対してEUは当初、支援の条件として、すべての銀行預金に10%程度課税することを求めていた。放っておけば半分になるお金が9割も戻ってくるのだから、預金者も喜んで受け入れるだろうと考えたのだ。

ところがキプロス政府は、これまで国民に都合の悪い話をいっさいしてこなかった。正直にいおうものなら取り付け騒ぎが起きるのは目に見えていたからだろうが、それによって事情を知らないキプロス国民が「全額保護されるはずの預金をカットするな」と怒り出し、事態は迷走を始める。

キプロス問題の本質は、すでに報じられているように、ロシアからグレイな資金が大量に流れ込んでいることと、資金の出し手であるドイツが今秋に総選挙を控えていることだ。ロシアマフィアの資金を保護するような銀行救済は、最初から認められるはずはなかった。

けっきょく、10万ユーロ(約1300万円)以下の預金を全額保護する代わりに、銀行の株式と交換するかたちで、高額預金に最大で6~8割課税することに落ち着いた。一般の預金者(有権者)を保護するとともに、高額預金のかなりの割合を占めるロシアマネーに“懲罰”を加えることでドイツの顔も立てようとしたのだ。

だが、この案をそのまま実行するのは不可能だ。キプロス経済は観光業で支えられているが、大型ホテルの運転資金(これも銀行に“高額預金”されている)を差し押さえてしまえば、従業員に給与すら払えなくなってしまう。

おそらくいま水面下でさまざまな交渉が行なわれているのだろうが、混乱が再燃するようなら、一律10%カットを受け入れた方がずっとマシだった、ということになりかねない。政府が国民にいい顔をしようとすると、たいていの場合事態はよりヒドい方に転落していくのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.29:『日経ヴェリタス』2013年4月21日号掲載
禁・無断転載