その若者は、モデルのような容姿で、誰もがうらやむ一流企業に勤め、順風満帆の人生を送っているようにみえました。しかし彼には、ひとつ深刻な悩みがありました。あまりにもモテすぎるのです。
その会社では、新規事業として、若い女性をターゲットにしたコスメの開発にちからを入れていました。部員も社外スタッフもほぼ全員が20代の女性で、短期間で業界でも注目されるほどの成功を収めてきました。
その会社は、女性だけの部署はお互いが足を引っ張り合ってうまく機能しないというマネジメント理論を信奉しており、唯一の男性は40代前半の課長でした。女性差別のような気がしないでもありませんが、この人事は、「女同士でトップの座を争わなくてもいいから気が楽だ」との理由で、女性部員からも暗黙の支持を得ていました。その当否はともかくとして、現実にビジネスがうまく回っている以上、それを変える理由は会社にはありません。
ところがこの課長(妻子持ち)が、精神の不調を訴えるようになりました。女性に囲まれて仕事をするのは、一見楽しそうですが、実際にやってみるとなかなか大変らしいのです。
そこで会社は、課長を補佐する役割として、新人の男性社員を配属することにしました。どうやら人事部は、採用のときから、このモデルのような若者を「女の園」要員にすることを決めていたようなのです。
見かけとちがって、中高を男子校で過ごした彼は体育会系で、女遊びとは無縁のタイプでした。これまでも女性にはモテたのでしょうが、ファッション業界の美女たちのなかに投げ込まれればモテ方のレベルがちがいます。ファッションの世界は男性と出会う機会が少なく、並みの男では彼女たちに吊り合わないので、女性の需要に対して男性の供給が圧倒的に少ないのです。
純真な彼は、ロマンチックラブを信じていました。世界のどこかに、自分が求めている“ほんとうの女性”がいるはずだと思っていたのです。
しかし現実には、彼は頻繁にカノジョを取り替えることになりました。ある女性と付き合いはじめても、たちまち別の女性が彼の前に現われます。そうすると、どちらが自分にとっての“真実”なのかわからなくなってしまうのです。
マーケティングの実験では、選択肢が多すぎると消費者は選択できなくなることが知られています。スーパーの試食品コーナーでジャムを販売する場合、選択肢が6種類よりも24種類あった方が顧客の満足度は高くなります。しかし実際に自分の好みのジャムを見つけて購入するのは、6種類の方が圧倒的に多いのです。24種類のジャムを前にした消費者は、あれこれと試食してみますが、けっきょくどれにするか決められず売り場を立ち去ってしまうのです。
「別に高望みしているわけではないんです」若者は真面目な顔でいいます。「“このひとを求めていたんだ”って納得したいだけなんです」
「そのうちいいひとが見つかるよ」と、私は当たり障りのない返事をしました。しかし彼がいまの部署にいるかぎり、理想の女性は永遠に現われないでしょう。
世の中には、いろんな悩みがあるものです。
参考文献:シーナ・アイエンガー『選択の科学』
『週刊プレイボーイ』2013年4月1日発売号
禁・無断転載