“ネオリベ化する福祉国家”オランダから日本の未来が見えてくる

日本にネオリベのポピュリストが登場する必然

フォルタインの栄光と悲劇を、日本でいま起きている政治ドラマと重ね合わせて読んだひとも多いだろう。そしてこれは、たんなる偶然ではない。

戦争と動乱の20世紀が終わると、世界の先進国は過剰な福祉による財政の肥大化という同じ問題に悩まされるようになった。いったん手にした利益は既得権となり、縮小や廃止はきわめて難しい。

日本では90年のバブル崩壊を機に、急速な少子高齢化の到来とも相俟ってこの問題が顕在化したが、欧米諸国では80年代にすでに同じことが起きていた。中央集権型の官僚制国家は、大きくなるパイを分配するのは得意だが、全体のパイが小さくなると機能不全に陥ってしまうのだ。

その間隙を突いて、従来の手法では解決が難しい問題を取り上げ、市民の感情に直接訴えるポピュリズム政党が登場する。オランダでは、社会への同化を拒むムスリム移民がその標的となった。先進的な福祉社会は市民の参画が前提となっており、参画する気がない(能力がない)ひとびとは排除されてしまうのだ。

フォルタイン党に代表される新しいポピュリズム政党の特徴は、古い価値観に固執する既存の右翼政党とはちがい、市場の機能を重視する新自由主義(ネオリベ)だということだ。とはいえ、これはイデオロギーの対立ではない。グローバル化によって市場が国家を超えてしまったため、市場を無視した政策は無意味になってしまった。

民主党政権はスウェーデンを模範として、子ども手当てや高校無償化、社会保障改革などを提言したが、スウェーデンは第二次世界大戦後の労働力不足から女性の就労を促進した結果、伝統的な家族がほぼ解体してしまったきわめて特殊な社会だ。それよりも、働く夫と専業主婦という日本と同じ家族観から出発して、誰もが働ける社会をつくったオランダの改革のほうがはるかに参考になるだろう。

スウェーデンやオランダなど北ヨーロッパの国でネオリベ的な社会改革が成功したのは、人口が少なく、農業などの第一次産業に依存しない「軽量国家」だったからだ。そしていまヨーロッパでは、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシアなど持続不可能な財政赤字に苦しむ「重量国家」が、オランダのような「軽量化」と「効率化」を求められている。これは壮大な社会実験で、成功するかどうかもわからないが、ネオリベ的な改革以外に有効な社会モデルがない以上、ドイツやフランスも含め、いずれヨーロッパのすべての国がオランダ(スウェーデン)を目指すことになるだろう。

こうした事情は、アジアで最初の先進国となった日本でも変わらない。

日本において最初にネオリベ的な改革を行なったのはレーガンとサッチャーの時代の中曽根政権で、それをポピュリズムと結びつけた小泉政権は、郵政民営化に見られるように「既得権を貪る」公務員を標的にした。その後、公務員バッシングによって有権者の支持を集める地方政党が登場し、ネオリベ的な公約を掲げて国政を目指している。これらはすべて、欧米の先進諸国で起きている世界的な変化の一部だ。

グローバル化の進展によって、それぞれの国の歴史や文化の違いによる固有の問題は後景に退いた。グローバルな課題は、グローバルスタンダードの改革でしか対処できない。日本にネオリベのポピュリストが登場するのは、歴史の必然なのだ。

この単純な事実を、これから私たちは何度も突きつけられることになるだろう。

『マネーポスト』2013年新春号
「セカイの仕組み」第5回「日本の政治状況がオランダの歩んだ道に酷似しているのはなぜか」
禁・無断転載