『マネーポスト』の2013年新春号に書いた記事を、編集部の許可を得て転載します。日本ではあまり馴染みのないオランダの政界の話ですが、非常に示唆的です。
なお、本文でも述べていますが、この記事の元ネタは水島治郎氏の『反転する福祉国家 オランダモデルの光と影』で、これはヨーロッパの政治状況を考えるうえでの必読書です。
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今回は、オランダの政治について書こうと思う。
おそらく、この一行だけで読む気をなくしたひともいるだろう。でもこれは日本でいま起きていることを知るうえでたいへん興味深い話なので、しばしおつき合い願いたい。
オランダは、売春とマリファナを合法化した国として有名だ。アムステルダムのホテルに泊まると、各部屋に観光協会の小冊子が置いてあって、そこでは「売春婦(セックスワーカー)のサービスをどのように購入するか」とか、「どこに行けばマリファナが手に入るか」とかの説明が堂々と書いてある(はじめてこれを読んだときは、腰が抜けるほど驚いた)。
「自由の国」オランダは、移民に対しても寛容だ。宗教革命の時代には、フランスなどのカトリック国で差別された新教徒(ユグノー派)やヨーロッパ各地で迫害されていたユダヤ人が、信教の自由が保証されたこの国に逃れてきた。17世紀のオランダ(アムステルダム)は国際貿易の中継地として栄えたが、こうした繁栄の陰にユダヤ商人たちの活躍があったことはいうまでもない。
そんな「移民の国」オランダで、移民政策の強化を求める新右翼のポピュリズム政党が大きく支持を伸ばしている。これは、その中心にいたピム・フォルタインという政治指導者の物語だ(以下の記述は、水島治郎『反転する福祉国家 オランダモデルの光と影』〈岩波書店〉に負っている)。
オランダ社会に衝撃を与えた啓蒙主義的なイスラム批判
1948年、オランダの田舎町の敬虔なカトリック教徒の家に生まれたフォルタインは、日本でいう全共闘世代で、60年代の学生運動に大きな影響を受け、マルクス主義社会学を学び、卒業後は大学で教鞭をとりながら社会主義政党である労働党の活動家になった。
だがその後、フォルタインは40代で思想的に大きく転向し、「右翼」と呼ばれるようになる。大学教授の職を辞した彼は、ベンチャー企業の経営などを経て政治コラムニストの道を選んだ。
フォルタインの政治的主張のなかでもっとも大きな議論を呼んだのは、イスラム教への批判と、ムスリム(イスラム教徒)の移民に対する厳しい評価だった。宗教批判や移民問題がタブーとなっていたオランダで、フォルタインは歯に衣着せぬ発言で社会的な注目を集めた。
だがフォルタインは、フランスの国民戦線のような、移民排斥とEU脱退、妊娠中絶反対を掲げる極右勢力とは一線を画していた。
フォルタインは大学時代から自分が同性愛者であることを公表しており、同性愛者の権利を積極的に擁護し、妊娠中絶などの女性の権利を認め、安楽死や麻薬を個人の自由として容認した。こうした思想は、自由原理主義者(リバタリアン)に近い。
フォルタインは、人種差別や民族差別によってムスリムを排除するのではなく、自由や人権といった近代の普遍的な価値からイスラムの教えを批判した。
「(ムスリムの)女性は自らの意思でベールをかぶり、全身を覆っているというのか……そのような女性たちの住む(オランダの)遅れた地域に対しては、全面的な差別撤廃政策を進めたい」
「(イスラム社会で同性愛者であることを)公言する勇気を持つ者には、社会的にも、家族からも完全に孤立する状態が待っている。これほど野蛮なことはない!」
フォルタインはムスリムの移民に対しても、「自由の国」オランダで一般市民が享受しているのと同じ自由や人権が完全に認められることを求めたのだ。
ヨーロッパ各地で、ムハンマドをカリカチュアした風刺画問題が起きている。もっとも影響が大きかったのは2005年にデンマークの新聞が掲載したもので、ムハンマドを思わせる人物のターバンが爆弾に模され、イスラム過激派を連想させるとしてイスラム諸国で大規模な抗議行動を引き起こした(パキスタンのデンマーク大使館で自爆テロがあり、デンマーク国内でも風刺画を描いたマンガ家の自宅が襲撃された――犯人はイスラム系武装組織にかかわるソマリア人で、警備の警察官に取り押さえられ未遂に終わった)。
2012年には、ムハンマドを中傷したとされる映画の一部がインターネットで流れ、ふたたびイスラム諸国で大規模な抗議行動が起きたが、その最中にフランスの風刺漫画誌がムハンマドを彷彿とさせる人物を掲載して物議をかもした。
私たち日本人は、西欧社会におけるイスラムの位置づけを理解できず、キリスト教との宗教的な対立とか、貧しいムスリム移民への差別と考えがちだが、フォルタインはそれが、近代の普遍的な価値(自由と人権)と、それを受け入れない頑迷固陋な前近代的風習との対立であることを世界に示したのだ。
イスラムを「遅れた」宗教と見なすフォルタインの啓蒙主義的な批判は、オランダ社会に大きな衝撃を与え、急速に支持者を増やしていく。こうしてフォルタインは、政治への足がかりをつかんだ。