新党「日本維新の会」を立ち上げた橋下徹大阪市長のいちばんの魅力は、日本の社会に蔓延する前近代的な統治構造を徹底的に批判し、改革したことです。
近代的な統治(ガバナンス)というのは、組織のなかで、責任と権限が一対一で対応していることです。ところが日本の社会では、責任がないひとが大きな権限を持っている、ということが頻繁に起こります。
年金記録問題などで廃止された社会保険庁では、年金データのオンライン化にあたって、労働組合が社会保険庁長官と「覚書」を交わし、勤務内容を細かく指示するばかりか、人事や指揮命令権までが交渉の対象とされていました。このような奇妙な慣行が続いていたのは、社保庁が厚生労働省の外局で、長官が厚労省のキャリア官僚の上がりポストで、現場がひと握りの幹部と労組の「談合」によって波風が立たないように運営されてきたからです。
こうした不祥事は中央官庁だけでなく、全国どの自治体でも見られるものです。とりわけ大阪府や大阪市は、さまざまな歴史的経緯から、労働組合が行政に大きな権限を持っていました。職員へのヤミ給与、カラ残業、ヤミ年金が常態化し、長期勤続や結婚記念日、子どもの誕生記念などの冠婚葬祭のたびに旅行券、図書券、観劇スポーツ観戦券、祝い金・弔慰金が贈られ、そのうえ職員互助組合は交付金で豪華な福利厚生施設を建設していたのです。
弁護士から自治体の首長になった橋下氏は、地方議員と自治体幹部、労働組合が癒着する前近代的な行政組織の実態を白日の下に晒し、市民の怒りを武器に統治構造の改革を迫るという手法で大きな成功を収めました。そしていよいよ、「大阪から日本を変える」国政進出に乗り出したのです。
日本維新の会の理念は「維新八策」に掲げられていますが、そこでも改革の目標は、首相公選制や参議院廃止、道州制(地方分権型国家)など、日本国の統治構造です。大阪で実現した改革を国にまで広げていこうとする戦略は明快です。
しかし日本維新の会には、ひとつ大きな欠陥があります。
国政政党の目的は、選挙で過半数の支持を獲得し、党首を首相にして内閣を組織し、中央省庁を統治して国を動かすことです。ところが党首である橋下市長は自治体の首長のままで、国政選挙に出るつもりはないといいます。
日本国憲法では、内閣総理大臣になれるのは国会議員だけです。維新の会がもし次の衆院選で勝つようなことがあれば、党首である橋下大阪市長よりも格下の党員が日本国の首相になってしまいます。かといって政権奪取を目指さないのなら、国政政党としての自己否定でしょう。
橋下市長は、日本の行政を批判してしばしば「そんなの民間ではあり得ない」といいます。しかしどんな民間企業でも、一地方の支店長が社長に命令することはあり得ません。「日本維新の会」は、国政政党としての統治が崩壊しているのです。
自分の政党の統治すらできない人物に国家の統治などできるはずがない――こうした批判を封じるには、橋下市長自らが党首として国政選挙に出馬し、首相を目指すほかはないでしょう。
『週刊プレイボーイ』2012年10月22日発売号
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