まず、次の3つの質問に答えてください。
- A 悪いことをしたらバチが当たると思いますか?
- B 良い行ないをしたときも、悪い行ないをしたときも、神や仏はこれを知っていると思いますか?
- C 悪いことをすれば、たとえその人に何事もなかったとしても、その子や孫に必ず報いがあるという言い伝えがあります。あなたはそう思いますか?
おそらくあなたは、いくつかの質問に「いいえ」と答えたでしょう。
次にこの質問を、1976年と2005年の日本人に訊いたとしたら、どのような結果になるか想像してください。
世代が変わるにつれて、「はい」と答えるひとの比率は少なくなると思ったのではないでしょうか。76年にこの調査を行なった研究者たちも同じです。「お天道様が見ている」と信じる素朴な道徳感情は、お金がすべてのドライな世の中では廃れていくにちがいないからです。
ところが30年後に同じ質問をしてみると、驚いたことに、「古いタイプの日本人」が急激に増えていることがわかりました。
76年と05年でそれぞれの質問に「はい」と答えた割合は、質問Aが6割と8割、質問Bが4割と6割、質問Cが3割と4割です。今では日本人の8割は、「悪いことをしたらバチが当たる」と考えているのです。
それ以外にも、この調査では法の融通性と厳罰志向について調べています。
法の融通性とは、「立入禁止の国有林で雑木を刈ってもいい」など、ケース・バイ・ケースで法を柔軟に適用すべきだという意見です。これも社会が「近代化(法化)」するにつれてルール重視に変わっていくとされていたのですが、実際には昔も今も日本人は、「契約は最初に厳密に決めておくほうがいい」ものの、「実情に合わなくなったらその契約は守らなくてもすむようにしてほしい」と考えています。
厳罰志向についての変化はより顕著で、76年には刑罰の厳しさが「ちょうど適当」と答えたひとが3割いましたが05年には1割に減り、代わりに「ややゆるすぎる」「ゆるすぎる」との回答が合わせて7割弱に増加しました。
1970年代にはパソコンもネットもありませんでした。世界がグローバル化してテクノロジーが進歩したにもかかわらず、神や仏を信じるひとが大幅に増えているのはおかしな気がします。
しかしこの謎は、かんたんに解くことができます。昔も今も、最初の3つの質問に若者は「いいえ」と答え、高齢者は「はい」と回答します。30年間の比率の変化は、日本の高齢化とまったく同じです。むかしは「合理的」だった若者も年をとると「素朴な道徳」を好むようになり、厳罰が当然だと主張するのです。
日本はこれから人類史上未曾有の高齢化社会に突入し、2050年には国民の4割が65歳以上になります。それがどのような世の中なのかは、この研究が教えてくれます。
高齢化社会とは、他人に厳しい「スピリチュアル社会」なのです。
参考資料:木下麻奈子「私たちの法への態度は、どのように変わったか」(2007)
『週刊プレイボーイ』2012年10月1日発売号
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