スタンダード銀「イラン不正取引」疑惑・完全版〈日経ヴェリタス〉

 常態化する「送金偽装」

2008年11月に核開発問題で経済制裁が強化されるまで、米国外で行なわれる米ドル決済のイランとの取引は、資金の送り手や受け手がブラックリスト(Specially Designated Nationals List/SDNリスト)に載っていないかぎり合法だった。これを“Uターン取引”というが、そのためにはOFACの定めるさまざまな条件をクリアする必要がある。その実態がどのようなものか、米上院小委員会の報告書がHSBCのケースで詳細に説明している。

イラン企業が欧州から工業製品などをドル建てで輸入する際、その代金はイラン国営銀行から送金されるが、米国の国内銀行はOFAC規制によってイランの銀行との取引を禁じられている。そこでイラン国営銀行は、欧州系銀行のドバイ支店などに口座を開設してドル送金を依頼する。スタンダード銀が「10年間で2500億ドルのイランとの取引を行なった」というのは、こうした送金を合計したものだ。

ところでこの送金は、OFACが認めるUターン取引であれば合法なはずだった。ニューヨーク州金融サービス局はスタンダード銀が仲介した6万件の送金すべてが違法なように糾弾しているが、米上院の報告書はより公正で、HSBCが関与した送金の大半は、実際には適法なUターン取引であることを認めている。

だったらなんの問題もないようだが、ここに大きな障害がある。HSBC(ドバイ)から、ドル決済拠点のニューヨークにあるHSBCアメリカ(HBUS)に送られた国際電信送金の指示書のなかにイラン企業やイラン国営銀行の名前があると、OFACフィルター(送金規制リスト)に引っかかって資金が凍結されてしまうのだ。

こうした“異常送金”は、コンプライアンス部門の職員が人力で一つひとつ確認し、合法的な“Uターン”だと判明してはじめて凍結解除される。この手続きに数日、場合によっては数週間かかるが、この決済の遅れは営業現場では致命的だ。

貿易取引は2~3営業日で着金することを前提に動いており、それが滞れば商品の出荷や販売に大きな支障が出る。当然、顧客はHSBC中東の営業担当者に激しく苦情をいうだろう。顧客から責められた担当者の怒りは、決済を遅らせた送金部門に向かう。こうして、OFACの規制に引っかからないよう送金指示書を「偽装」する行為が常態化していった。

送金情報の「修正」と「上書き」

ニューヨーク州金融サービス局は、スタンダード銀が電信送金の “repair(修正)”や“cover(上書き)”、送金情報の“stripping(分離)”によって不正を行なっていたと断定する。だがこうした「偽装」は、国際送金ではごく当たり前に認められていたものだ。

米ドル決済において、ニューヨークにあるHBUSは、HSBC(ドバイ)から指示を受けたたんなる仲介者(コルレス銀行)で、資金の最終的な受取手ではないのだから、本来は送金主の名称など詳細な情報は必要ない。相手先のコルレス銀行との間でドルのやり取りをすればいいだけだからだ。

送金情報の詳細は通常、送金先の銀行に別送される。それを受け取った銀行は、ニューヨークの自行口座にドルが入金されたことを確認したうえで、顧客企業の口座に資金を振り替える。その際、顧客には送り手(誰からの送金なのか)の情報も合わせて伝えられる。

こうした取引の流れからわかるように、もともとコルレス銀行には不要な情報を伝えないのが国際金融の常識だった。だがこれでは、米国の金融機関(コルレス銀行)は、それが適法な取引かどうかを判別できない。そこで米国政府は、米ドル決済にあたっては送金情報を分離(ストリッピング)せず、送金元や送金先の詳細をコルレス銀行にも伝えるよう要求したのだ。

こうして、イランと“合法的に”取引していた欧州の金融機関は、大きな矛盾を抱え込むことになる。

OFACの指示どおりに送金情報の詳細を米国に送れば、確実にフィルターに引っかかって資金が凍結されてしまう。それを避けるには、フィルターを回避するなんらかの工夫が必要だ。

問題は、送金元や送金先欄にイラン国営銀行やイラン企業の名前が入ることにある。だがここを空欄にすると、やはりフィルターに引っかかってしまう。そこで最初は“No Name Given(名義人不詳)”とし、それが禁じられると“One of our Clients(顧客の1人)”になり、それも駄目になると最後には“Selves(自己取引)”が登場した。

本来であれば、金融機関は顧客の指示どおりに送金しなければならない。そのためHSBC(ドバイ)の営業現場は、送金書類の記入方法をイランの顧客に“指導”しようと腐心するが、それでもNGワードの入った指示書が送金部門に回ってくる。こうした不適格な書類を書き直すのが、「修正」や「上書き」だ。

もちろんここまでくれば、言い逃れの余地はない。しかしだからといって、HSBCの経営陣はイランとの取引を簡単に止めるわけにはいかなかった。

HSBCはイランとの取引で、年間およそ1000万ドル(約8億円)の利益を得ていた。グループ全体からすればささいな金額だが、そこには多数の従業員の生活がかかっている。彼らは取引を継続しようと死に物狂いになるから、利益の出ている事業から徹底するのはきわめて困難なのだ。

こうした事情は、スタンダード銀でも同じだったろう。だとしたら、コンプライアンス部門と営業部門の板ばさみになった幹部が“くそアメリカ野郎”と罵りたくなるのも当然なのだ。