マネーロンダリング 暴走の果てに―HSBCメキシコと米議会報告書

当局にねつ造記録提出

HBMX(HSBCメキシコ)の経営陣は、ビタルの腐敗した企業文化を早急にHSBCのコンプライアンス基準まで引き上げようとした。だが彼らの努力は、なんの成果ももたらさなかった。

麻薬カルテルに関わる人物は、富裕なビジネスマンであると同時に地元の名士で、支店にとっては最上の顧客だ。コンプライアンス強化によって、その上客をライバルに奪われることに現場は激しく反発した。

そればかりか彼らは、ビタルからHSBCになったことで、これまで相手にされなかった超富裕層を顧客にできることに気がついた。売り文句は、「グローバルネットワーク」だ。

HSBCグループの内規によれば、50%超の株式を保有する傘下の金融機関は事前審査なしにコルレス口座(銀行同士の取引口座)を開設できる。これによってHBMXは、HBUS内に米ドルを扱う口座を無条件で開設した。

さらにHSBCは、メキシコの国別リスクを「低リスク」にしていた。グループの内規では、低リスク国のHSBC系列の金融機関からの海外送金は、顧客が「要注意」に分類されていないかぎり、なんのチェックも必要ないとされていた。

この2つの規定を組み合わせると、ひとたびHBMXに口座を持てば、米国(HBUS)にドルを自由に送金できることになる。これが麻薬カルテルのオーナーたちにどれほど魅力的だったかはいうまでもないだろう。

コンプライアンス部門が疑わしい取引について調査を指示すると、支店からは「他の銀行はそんなことはしていない」との反論が戻ってくる。さらに強く命令すると、顧客の調査票を偽造して提出する。

腐敗しているのは現場ばかりではない。2005年には、当のコンプライアンス部門の幹部が、部下に記録の捏造を指示し、それを金融当局に提出していたことが明らかになった。

この時期、HBMXは預金額と利益を大きく伸ばしていた。その熱狂のなかで、コンプライアンスのことなど誰も気にしていなかったのだ。

HBMXのコンプライアンス部門をさらに悩ませたのは、ケイマン口座の存在だった。これもビタルから引き継いだもので、ケイマンに“ペーパー銀行”を設立し、口座の運営はすべてメキシコシティで行なわれていた。

HBMXは、全国すべての支店にケイマン口座開設の権限を与えていた。ケイマンはオフショアとしてメキシコ金融当局の監視が及ばないが、HBMXは海外取引にあたって国内口座とオフショア口座を区別せず、そのためケイマン口座からもHBUSにノーチェックで米ドルが送金できた。

HBMXのケイマン口座は、2005年の1500口座から2008年には6万口座に急増し、預かり資産は21億ドルを超えた。オフショア口座が麻薬カルテルの隠れ蓑に使われたことは、その後の調査で、口座の75%で顧客情報が欠落していたことからも明らかだ。

07年から米国とメキシコで、HSBCに対する行政・司法当局の調査が行なわれた。そのなかで、機能不全に陥ったコンプライアンスの実態や巨額の米ドル送金、ケイマン口座の不審な取引などが次々と明るみに出ると、その圧力はきわめて厳しいものになった。

HSBCがこの事態を深刻に受け止めていたことは、コンプライアンス部門の幹部がHSBC本社の経営トップに送ったEメールでわかる。そこには、「メキシコでは麻薬王がHSBCを推薦している」「このままでは我々が刑事告発されるのは時間の問題だ」という衝撃的な内容が書かれていた。

ことここにいたって、もはや選択の余地はなくなった。

2008年11月、HBMXは米ドルの現金取引から撤退することを発表し、同時にケイマン口座の新規開設を中止した。さらには、違法行為が見つかった支店は閉鎖し、成績にかかわらず支店の従業員は全員解雇するという強硬措置までとった(実際に10~20支店が閉鎖された)。

HSBC本社にとって、米司法当局の刑事告発はなんとしても避けなければならなかった。そのためには、手段を選んではいられなかったのだ。

ドルの現金取引と同時に疑惑の目を向けられたのが、トラベラーズチェック(TC)だ。一定額以上のTCの購入や換金は本人確認が必要だが、それだけでは資金の真の所有者はわからない。使い方次第では、TCには現金と同様の匿名性がある。

04年にHBMXは1.1億ドル(90億円)のTCを発行したが、これはHSBCグループ全体の発行額の3分の1に達した。そのTCの多くは500ドルや1000ドルの高額な額面の連番で、サインは判読不能だった。支払先は、健康食品やおもちゃ会社、中古車ディーラーなどで、これらは麻薬カルテルのフロント企業と見なされている。

持ち込まれたTC

米上院の報告書は、北陸銀行(富山市)とHSBCのTC取引についても問題視する。ロシアの中古車輸入業者が北陸銀行に持ち込んだTCが、上記の特徴をすべて満たしていたからだ。

資金移動の記録が残ることを嫌う中古車輸入業者は、ロシア国内の銀行で多額のTCを購入し、それを日本に持ち込んで換金していた。北陸銀行が扱ったTCの総額は、05~08年の4年間で2億9000万ドル(230億円)にも上るという。

北陸銀行は行内調査の結果、資金洗浄に関する不自然な取引などなかったと主張する。TCは、ロシアの業者から直接持ち込まれたのではなく、中古車を売った日本のディーラーを通じて受け入れたという。麻薬取引と同列に扱われるいわれはないということのようだ。

だが上院の報告書が問題にするのは、ロシアの業者が電信送金ではなく面倒なTCを利用するのは、犯罪資金の洗浄が目的ではないのか、ということだ。米国では出所不明の現金やTCを受け取ること自体が犯罪収益への関与と見なされる。マネーロンダリングに対する日米の認識は大きくずれているのだ。

新興国市場に積極的に進出したHSBCは、この20年間でもっとも成功した金融グループのひとつだ。しかし、HSBCのマネーロンリング疑惑を調査した米上院調査委員会の報告書は、グローバル戦略の負の側面を描き出している。顧客にとって便利なサービスは、犯罪組織にとっても魅力的な資金洗浄の道具だったのだ。

今後HSBCは、米司法当局により、最大10億ドル規模の制裁金を科される可能性があると報じられている。

経緯やデータなどは米上院の常設小委員会の報告書「“U.S. Vulnerabilities to Money Laundering, Drugs, and Terrorist Financing: HSBC Case History” United States Senate Permanent Subcommittee on Investigation」より。

 『日経ヴェリタス』2012年8月12日号
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