ロンドンのヒースローは、世界でいちばん評判の悪い空港のひとつだ。
いちばんの理由は入国審査官がいじわるなことだ。
ヨーロッパはシlェンゲン協定によって国境を自由化したが、ドーバー海峡という“自然の防壁”があるイギリスは協定に加盟せず、不法移民の流入を水際で阻止しようと頑張っている。入国審査では目的や滞在地などをねちねちと聞かれ、到着便が重なると長蛇の列ができる。ヒドいときは3時間待ちになり、旅行者から皮肉の拍手が起きたと新聞記事になるほどだ(ロンドン五輪を目前にして、最近は多少改善されたようだ)。
ようやくの思いで入国審査を通過しても、こんどはロンドン市内への交通の便が悪い。空港のインフォメーションでホテルへの行き方を教えてもらったのだが、けっきょく各駅停車の地下鉄に乗り、コヴェント・ガーデン駅でスーツケースを引っ張り上げ、霧雨のなか石畳の道をホテルまで歩くことになった。せっかくの五つ星ホテルなのに、これではバックパッカーが安宿に向かうみたいだ。
ホテルにチェックインすると、次の悩みはレストランだ。ロンドンは、パブやスポーツバーで鯨飲するにはいい町だが、ローストビーフとフィッシュ・アンド・チップスばかり食べてはいられない。
しかしこのやっかいな問題は、インド料理店に行くことで解決する。ロンドンにはたくさんのインド系移民がいて、パキスタンやバングラデシュから南インドまで、本場のインド料理をリーズナブルな価格で提供してくれるのだ(チャイナタウンを勧めるひともいるが、中華料理は日本や中国・香港・台湾で食べられるのであまり行ったことがない)。
こうした事情はロンドンだけでなく、ほかの大都市でも同じだ。パリは「美食の都」といわれるが、高級レストランの料理の値段はほとんどが家賃と人件費で、裕福で見栄っ張りな観光客を相手に商売している。パリにはアルジェリアやチュニジアからの移民が多く、地元の食通は安くておいしい北アフリカ料理の店にいく(「フランス料理を食べるならベルギーに行け」といわれる)。
ドイツ料理もジャガイモとソーセージのイメージしかないが、いまではどの町にもトルコ料理やギリシア料理のおいしい店がある。アムステルダムなら、オランダの旧植民地だったインドネシアやスリランカ料理の店を探すといい。
移民のレストランが安くておいしい秘密は、人件費率が小さく競争が激しいからだ。安い時給でも国ではエリート並みの給料で、土日も休まず働けば故郷に豪邸が建つ。内外価格差を利用すると、移民の低賃金労働がWin-Winの関係になるのだ。
どの国も不法移民には頭を悩ませているが、それでもヨーロッパはますます多民族化している。翌日、ロンドン郊外に向かう電車に乗ると、乗客の8割は中国系、ロシア系、アラブ系などで、英語を話すのは少数派だった。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.18:『日経ヴェリタス』2012年7月22日号掲載
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