北朝鮮のミサイル発射実験は失敗に終わりましたが、国際社会の圧力にもかかわらず、核実験やミサイル開発を断念する気配はありません。北朝鮮はなぜ、このような不可解な国になってしまったのでしょう。
もちろん世界には、独裁国家や宗教国家がいくつもあります。とはいえ、革命以来ずっと一党独裁の社会主義体制がつづいているキューバは、いまでは欧米に人気の観光地で国民もずっと開放的です。イスラム教による“神政”が行なわれているイランでも、若者たちはロックバンドを結成し、自由への思いを音楽に託します。北朝鮮は、これら“問題国家”と比べてもあまりにも極端なのです。
朝鮮問題の研究者は、冷戦時代の北朝鮮はそれほど変わった国ではなかったと指摘します。権力者(金日成)の個人崇拝による独裁というのは、中国やソ連をはじめとして、第三世界ではありふれた政治体制だったからです。
北朝鮮が変質しはじめたのは社会主義諸国の停滞が誰の目にも明らかとなった80年代からで、冷戦終焉の激動のなかで、国家の“創業者”である金日成から息子の金正日への権力の世襲(94年)が行なわれました。このとき二代目の権力者は、自らの正統性と無謬性をなんらかの方途で証明しなくてはならなかったのです。
こうして生み出されたのが、首領様(金父子)を脳髄、政府を中枢神経、国民を手足と見なす国家有機体説で、金日成は“神”となり、息子の金正日が教祖として父を祀ることで、国家はひとつの宗教教団のようになっていきました。
国家有機体説は、もともとは19世紀ドイツで唱えられた国家観で、これが伊藤博文などによって明治維新の日本に伝えられました。80年代に北朝鮮の国家体制をつくったのは戦前の日本に留学経験のある政治指導者たちで、彼らは日本の大学で学んだ国家有機体説を翻案して、金王朝の支配を正当化したのです。
戦前の日本では、国体とは現人神である天皇を頂点とする有機体(イエ)のことだとする皇国思想が唱えられました。しかしそれでも明治維新から半世紀の近代化の歴史があり、国民の多くは大正デモクラシーの自由な雰囲気を知っていました。ところが北朝鮮は儒教社会からいきなり日本の植民地となり、それが社会主義独裁体制に引き継がれたことで、より純化した皇国思想ができあがってしまったのです(金正恩への世襲は“万世一系”のグロテスクなパロディです)。
北朝鮮のひとびとは、国家は「社会政治的生命体」で、人民は国家に献身することで神となった金日成から永遠の生命を与えられると“洗脳”されています。これでは国家というよりも、カルト宗教そのものです。
オウム真理教の幹部たちは、教団がフリーメーソンやCIAから迫害を受けており、真理を守るには武装化しかないと信じていました。北朝鮮もまた、飢餓や貧困の原因はアメリカをはじめとする国際社会の陰謀で、核開発はそれに対抗する正当な権利だと国民に説明しています。
北朝鮮が国家ではなくカルトならば、その奇妙な行動も、その結末も、私たちはすでによく知っています。
参考文献:古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』
『週刊プレイボーイ』2012年7月9日発売号
禁・無断転載