38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任 (『(日本人)』未公開原稿1)

人肉食の噂

フィリピンやニューギニアで、絶対的な飢餓状態に置かれた日本兵のあいだで人肉食が常態化していたという噂は、戦後すぐに広がりはじめた。作家・大岡昇平は、1952年刊行の『野火』で、はやくもこの重いテーマを取り上げている。

大岡は京都帝国大学を卒業後、新聞社やメーカーに勤めていたが、終戦の前年(44年)、35歳で徴用されてフィリピン・ミンドロ島に派遣された。自身の戦争体験を描いた『俘虜記』によると、大岡たちの部隊は食糧は十分に持っていたものの、米軍に追われて山中に撤退するときにマラリアの特効薬のキニーネを失い、敵に包囲されたときは兵士の多くが病気で満足に動けない状態だった。

大岡もマラリアで臥せっていたが、砲撃を受けて、銃を杖に坂道をのぼりはじめた。だがようやくのことで本隊に追いつくと、そこで米軍の待ち伏せにあい、中隊長が戦死し部隊はばらばらになって敗走するほかなくなった。

大岡はここで置き去りにされ、水を求めて林のなかを彷徨った。いよいよ死を覚悟して、自決用に支給された手榴弾の針金を抜いたが、それは不発だった。信管を石に打ち当てても、手榴弾は火を吹かなかった。こうして死ぬこともできず、意識を失っているところを米兵に捕獲されたのだ。

このことからわかるように、大岡自身が戦場で飢餓を体験したわけではない。その後、激戦地レイテ島の俘虜収容所に移送され、そこで多くの敗残兵からジャングルのなかでの出来事を聞き、『野火』の構想を得たのだろう。

『野火』は、結核に冒された主人公の田村一等兵が、わずか数本の芋を持たされて本隊から追放されるところから始まる。地獄の底へと降りていく『神曲』のダンテさながらに、田村は道端に倒れ死を待つ兵士たちの間を、輸送艇が着くという港目指して歩きつづける。

この小説の白眉は、飢餓に苦しむ田村が丘の上で、四十過ぎの気の狂った将校と出会う場面だ。男は死にかけており、眼を閉じればおびただしい蝿が顔を覆い、雨が蝿をすべり落とすと、こんどは山蛭が襲いかかった。

田村は、男が死んだらその人肉を食おうと思って待っていた。死の直前、男は澄んだ眼で田村を見つめていう。

「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」

男はのろのろとやせた左手を挙げ、右手でその上膊部を叩いた。

だが田村は、男の死体を前にしても、どうしてもその肉を食べることができない。死体にはたちまち蝿が群がり、山蛭が血を吸った。田村はそれを死体からもぎ放し、ふくらんだ体腔を押しつぶして、なかに充ちた血をすするのだった。

38年目の亡霊

『ゆきゆきて神軍』で奥崎が訪ねる旧日本兵たちはみな60歳を過ぎ、子どもや孫に囲まれて暮らしていた。戦後を平凡な一市民として生き、いまや好々爺となった彼らの前に、38年の時を経て怨霊のごとき奥崎が現われ、ニューギニアの生き地獄の記憶を呼び覚ましていく。

映画の最後で奥崎は、同じ中隊にいた山田吉太郎という元軍曹を訪ねる。山田は病気のため6回も開腹手術を重ね、そのときは埼玉県・深谷市の実家に戻ってきたばかりだった。

独立工兵第36連隊の本隊は、終戦前には、連隊長以下わずか5名になっており、生きて日本に戻ってきたのは山田一人だった。山田は戦後、奥崎にも声をかけて、『独立工兵第三十六連隊行動記録』という小冊子を編むが、ニューギニアのジャングルでのほんとうの出来事を決して語ろうとはしなかった。

そんな山田に奥崎は、ニューギニアから生かされて帰ってきたことの意味をはげしく問う。

あなたは地獄を見てきたわけでしょ。その地獄を語らなくて、戦友の慰霊なんかなるはずがないですよ。

あなたのような特別なね、部隊主力からただ一人生きて帰られた方がね、世間一般の方のように、ご自分の子どもさんと家族だけをやっておられたんではね、おそらく天は、そういう世間並みのね、戦争体験のない人間のような生き様をさせるために日本に帰らしたんじゃないんだと(いって)、あなたに、そういう何回も(腹を)切るようなね、私は病気をなさったんじゃないかと思った。

 奥崎は病身の山田を「天罰」と面罵し、「靖国神社」という言葉に激昂して殴りかかる。警察官を呼ぶ騒ぎのあと、山田ははじめて自身の戦争体験を語りはじめるのだ。

山田が生き延びたのは、日本兵が日本兵を殺して食べる鬼畜の世界だった。だがそこには、暗黙の掟があった。

真っ先に狙われるのは、他の部隊の食糧を盗んだり、「一人だけ生きようとする、ずるく考える」兵士だ。こうした兵士は、全員の迷惑になるという理由で、所属する部隊に「責任をとれ」という圧力がかかる。それを拒否すれば自分たちの身があぶないから、隊長はやむなく部下を処刑し、その肉を差し出す。ジャングルの極限状況では、ムラ社会に与えた損害は、部下の人肉によって償わなければならなかったのだ。

だがそれによって、部隊の人数は減っていく。人数が減れば減るほど、他の部隊から狙われやすくなる。このようにして部下を失った連隊長は自殺し、最後に山田だけが残った。

山田元軍曹は、奥崎にいう。

 実を言えば、自分のことは言いたくねえけど、勘がよかったわけ。水がある山、ない山、この峰はどっちに通じるか、外が見えないジャングルだって、見分けるだけの力があったわけ。だから、俺を殺しちゃえば、みんな不自由になるわけ。だから殺したいっていう人も、殺して食いたいっていう人もいるけんども、また、かばう人もいるわけだ。それで、生きたんだよ。

 1983年12月、奥崎は上等兵2名を銃殺した責任を認めない元残留守備隊長を殺害すべく、改造銃を持って自宅を訪ね、応対に出た長男に発砲して重傷を負わせる。懲役12年の判決を受け、97年に満期出所。05年に死去。享年85だった。

参考文献等
1 水木しげる『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)
2 水木しげる『敗走記』(講談社文庫)(講談社文庫)
3 水木しげる『水木しげるのラバウル戦記』(ちくま文庫)
4 DVD『ゆきゆきて神軍』原一男監督/疾走プロダクション
5 奥崎謙三『ヤマザキ、天皇を撃て!』(三一書房)
6 原一男『ドキュメントゆきゆきて神軍』(現代教養文庫)
7 山本七平『私の中の日本軍』(新潮文庫)
8 大岡昇平『野火』(新潮文庫)
9 大岡昇平『俘虜記』(新潮文庫)