「日本人」をカッコに入れる

新刊『(日本人)』のなかから、冒頭部分を掲載します。

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『(日本人)』は「かっこにっぽんじん」と読む。文字どおり、「日本人」をカッコに入れてみようという意味だ。

私たちのまわりには、「日本」と「日本人」があふれている。過剰な「日本」に溺れて、私たちは自分が何者で、世界がどんなところなのかを見失ってしまったのではないだろうか。

3.11東日本大震災と福島第一原発事故のあと、マスメディアやインターネット上でさまざまなひとたちが「日本」や「日本人」について論じた。その論旨は、おおよそ次の一行で要約できる。

日本の被災者は世界を感動させ、日本の政治は国民を絶望させた。

ここには二種類の、まったく異なる日本人がいる。

津波で肉親を失い、原発事故で故郷を奪われても絆を失わず、お互いに支え合いいたわり合ううつくしい日本人。その一方で責任を逃れ、利権をあさり、権力にしがみつく醜い日本人。そして誰もがうつくしい日本人の側に立ち、醜い日本人を糾弾する。

だがこのわかりやすすぎる構図は、なんの問題も解決しない。私たちはこれまで何十年も同じ議論を繰り返してきて、あげくの果てが現在なのだ。

本書のアイデアはものすごく単純だ。

私たちは日本人である以前に人間(ヒト)である。人種や国籍にかかわらず、ヒトには共通の本性がある。だとしたら「日本人性」とは、私たちから人間の本性を差し引いた後に残ったなにものかのことだ。

私たちは、自分自身を他人の目で見ることはできない。「日本人は特別だ」という思い込みだけがあって、どのように特別なのか、その客観的な評価をほとんど意識したことがない。

「世界価値観調査」は、世界80ヵ国以上のひとびとを対象に、政治や宗教、仕事、教育、家族観などを調べたもので、1980年代から定期的に行なわれている。国民性についての現時点でもっとも網羅的な調査だが、2005年調査の全82問のなかで、日本人が他の国々と比べて大きく異なっている項目が3つある。

これを見ると日本人は明らかに「特別」だが、それは私たちのイメージとはずいぶんちがう。

最初に、その質問とアンケート結果を紹介しよう。

問:もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか。

この質問に「はい」とこたえたひとの比率だ。

あなたは進んで国のために戦いますか?

問:あなたは日本人(ここにそれぞれの国名が入る)であることにどのくらい誇りを感じますか。

この質問に、「非常に感じる」「かなり感じる」とこたえたひとの比率だ。

あなたは日本人であることに誇りを感じますか?

香港は国ではなく中国の特別行政区なのだから、こちらの値も実質的に日本が世界でもっとも低い。日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気もないし、自分の国に誇りも持っていないのだ。

あなたはこの結果についてどう感じるだろうか? 保守派なら、「自虐史観」で日本人を洗脳した戦後民主教育の大罪だと騒ぎ立てるだろう。リベラル派なら、「平和憲法」によって日本人がいかなる戦争も拒否するようになったのだから、戦後民主主義の偉大なる成果だというかもしれない。

いずれが正しいかは別として、日本と並んでドイツの値が低いことから、この結果に第二次世界大戦の敗戦体験が強く影響していることは明らかだ。

だが、次の結果はさらに衝撃的だ。

問:ここに近い将来起こると思われるいろいろな生活様式の変化があげてあります。もし、そういうことが起こった場合、あなたはどう思われますか。
よい(好ましい)ことだと思いますか、悪い(好ましくない)ことだと思いますか、それともそういうことが起こっても気にしませんか。それぞれについてお答えください。

この質問のうち、「権威や権力がより尊重される」について、「良いこと」と回答したひとの比率だ。

権威や権力は尊重されるべきですか?

集計結果を見ればわかるように、先進諸国だけを見ても、フランス人の84.9%、イギリス人の76.1%が、健全な社会では権威や権力は尊重されるべきだと考えている。マリファナや安楽死を容認するオランダで70.9%、自助・自立を旨とするアメリカでも59.2%が権威や権力は必要だと回答し、権威的な体制への批判が噴出する中国ですら43.4%が権力は好ましいものだと考えている。

それに対して日本人のうち、「権威や権力を尊重するのは良いこと」と答えたのはわずか3.2%しかおらず、逆に80.3%が「悪いこと」と回答している。日本人は世界のなかでダントツに権威や権力が嫌いな国民だったのだ。

私たちがこのような特異な価値観を持つようになったのには、やはり戦争体験の影響があるだろう。権威や権力を振りかざす政治家や軍人を信じたら、広島と長崎に原爆を落とされ、日本じゅうが焼け野原になり、民間人を含め300万人もが犠牲になったのだから、もうこりごりだと思っても不思議はない。

しかしそれでも謎は残る。敗戦によって同じような惨状を体験したドイツでも、半分(49.8%)のひとが「権威や権力は尊重すべき」とこたえている。日本人の“反権力(というか厭権力)”はあまりにも極端なのだ。

本書はこの“謎”を出発点に、私たちは何者で、どのような社会に生きているのかを解明していく。そこでは、進化心理学の知見が私たちの旅を助けてくれるだろう。

グローバル化した世界では、政治や行政にできることはじつはそれほど多くない。それにもかかわらず、私たちはあまりにも多くの期待や要求を「国家」に寄せている。それと同時に、個人の持つ複数のアイデンティティのなかで、「国民」を過大に意識しすぎている。

日本人をカッコに入れるいちばんの効用は、「国家」や「国民」という既成の枠組みから離れることで、世の中で起きているさまざまな出来事をシンプルに理解できるようになることだ。私たちのほとんどは日本で生まれ、この島国に育ち、ここで死んでいくだろうが、それでも個人の人生と国家の運命は一蓮托生ではない。

国家の権威が大きく揺らいでいるいまこそ、私たち一人ひとりが、自立した自由な個人として、正義や幸福や社会について考えてみるべきなのだ。