「恋人(配偶者)が突然死んだとしたら、こころの痛みは最初の年で3800万円」
こんなことを大真面目で研究している「科学」があるとしたら、誰だってバカバカしいと思うでしょう。
でも「幸福の計算」はれっきとした経済学の一分野で、それ以外にもさまざまな人生のイベントに値段がつけられています。たとえば独身のひとが結婚したとすると、その直後の喜びは43万円の宝くじに当たったのと同じです。子どもが生まれるのは、31万円を道で拾った喜びに相当します……。
結婚や子どもを持つことは私たちをそれほど幸福にはしてくれない――。この研究結果がイギリスで発表されたときにはものすごい反発がありましたが、結婚で失ってしまった自由や子育ての大変さを思って、ひそかに納得したひとも多いのではないでしょうか。
私たちのこころが、幸福にも不幸にもすぐに慣れてしまうこともわかっています。
たとえばある研究では、宝くじに当たったひとと交通事故で下半身麻痺になったひとの人生の満足度を比較しています。当然、それぞれの幸福度には大きなちがいがあると思うでしょうが、その結果は、宝くじに当たってもたいして幸福にはならず、下半身麻痺のひとと比べても大きな差はないというものでした。幸福とは主観的なもので、交通事故で障害を負ったひとは、「生命が助かっただけ運がいい」と前向きに考えるのです。
恋人や配偶者と死別すれば、誰もが大きな精神的ショックを受けます。しかしその後の彼らを追跡調査すると、男性では4年、女性では2年で人生の満足度は元に戻ります。離婚はもっとはっきりしていて、最初のうちは傷つきますが、数年のうちに以前より幸福になってしまいます。
あなたは、「こんな話になんの意味があるのか」と思うかもしれません。しかしこれは、今後とても重要になる研究分野です。「お金で買えないもの」はたくさんありますが、しかしそれでも私たちの社会は、それに無理矢理値段をつけなくてはならないからです。
日本の裁判所はこれまで、離婚などのケースを除いて、精神的苦痛に対する損害賠償(慰謝料)をほとんど認めてきませんでした。賠償というのは実損害に対するもので、“こころの痛み”に値段をつけることはできない、という立場です。
しかし一見もっともなこの考え方は、原発事故のような巨大災害が起こると、理不尽なものになってしまいます。住み慣れた我が家から強制避難させられたひとたちも、代わりの住居などを用意されると実損害がなくなってしまうからです。
これではあまりにもヒドいということで、原発事故では精神的な賠償も認められることになりましたが、これまでなんの基準もない以上、加害者(東京電力)と被害者の主張は大きく食い違ったままです。賠償資金が有限である以上、公平で平等な賠償のためにはなんらかの「幸福の計算式」が必要なのです。
ちなみに研究では、死別のような一度かぎりの出来事よりも、持続する苦痛のほうが幸福度を引き下げることがわかっています。毎日の長時間通勤は、恋人の死よりもずっと人生を不幸にするようです。
参考文献:ニック・ポータヴィー『幸福の計算式』
『週刊プレイボーイ』2012年3月19日発売号
禁・無断転載
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追記
ここで「結婚の喜びは43万円の宝くじに当たったのと同じ」と書きましたが、元になった本の表紙には「結婚初年度の『幸福』の値段は2500万円?」とあって、混乱するひとがいるかもしれないので追記します(1200字のコラムでは、必要なことすべてをなかなか説明できないのです)。
著者のニック・ポータヴィーは、幸福の計算において、お金の受け取り方で「内在」と「外在」を区別しています。
「内在」というのは、「地位が上がって責任も重くなり、
当然、外在の方がずっとうれしいので、内在よりも
内在と外在の差はものすごく大きくて、たとえば結婚の場合、外在(棚からボタ餅)では43万円でも、
まあ、どちらもたんなる参考値ですが。