国際宅配便の業者から携帯に電話がかかってきた。UAE(アラブ首長国連邦)からの書類が届いているのだが、住所が不明瞭で郵送できないのだという。
口頭で住所を伝えて配達してもらったのだが、それを見て思わず考え込んでしまった。郵便物の宛名欄には、以下の情報しか記載されていなかったのだ。
- TO:AKIRA TACHIBANA
- TOKYO JAPAN
- TEL8190********(携帯番号)
「住所が不明瞭」どころの話ではなく、そもそも住所がなかったのだ。これでちゃんと届く方が奇跡だ。
ずいぶん前にUAEを訪れたときに、銀行の担当者に勧められて系列の証券会社に口座をつくった。いろいろと面倒な手続きがあったのだが、帰国後はなんの連絡もなかったので、そのまま放っておいて忘れてしまった。
ところがいつの間にか私の口座はできていたらしく、そのうえこんどは、証券会社がリテール(個人向け)サービスを止めるとかで、その口座を閉鎖しなくてはならなくなって同意書を送ってきたのだ。
もともと存在すら気づいていなかった口座で、当然残高はゼロだから、私としては勝手に閉じてもらってもぜんぜん構わない。だがそれなりの資産を運用しているひとにとっては、これは大問題だろう。証券会社もいちおうこのことは理解していて、UAE内のほかの証券会社に資産を移管するアドバイスも添えて、顧客に急な変更を知らせようとしたのだ。
しかし、内容の重要性がわかっているのならなおのこと、なぜ住所がないまま発送するのか疑問に思えてくる。
想像するに、おそらくこんな事情だったのだろう。
まず上司が、「重要な書類だから国際宅配便を使うように」と指示する。部下がデータを出力してみると、なぜか住所の抜けている口座がある(おそらく口座開設時に入力するのが面倒だったのだろう)。でもこれは自分の責任ではないから、そのまま梱包して宅配業者に渡す。
住所のない郵便物を受け取った業者も、自分に責任があるわけではないから、「TOKYO JAPAN」だけを頼りに日本行きの便に載せる。それを受け取った東京の事業所が、困り果てて私の携帯に電話してきたのだ。
しかしこれは、日本人にはとうてい理解しがたい状況だ。
そもそも顧客の住所のない口座が存在すること自体あり得ない。仮にそんなことが起きても、書類を送る際に気がついて大騒ぎになり、口座開設申請書を引っ張り出だして住所を確認しようとするだろう。さらに、万が一こんな輸送物が紛れ込んでいたら、宅配便業者は宛名の不備を指摘して受取りを拒否するにちがいない。だが砂漠のなかに忽然と現われた超近代都市では、これらのことはすべてスルーされてしまうのだ。
もちろんこれは、アラブ人を批判しているわけではない。ただ、世界にはさまざまな文化があって、私たちのよく知っている効率的なサービスがすべてではないことを、あらためて思い知らされたのだった。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.10:『日経ヴェリタス』2011年12月18日号掲載
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