オリンパス損失隠し事件の報道によれば、オリンパスは90年代に財テクで失敗した1000億円規模の損失を隠蔽するために、2000年3月期に、ケイマン諸島籍のファンドなどを利用して、「含み損を抱えた金融商品と、ファンドが発行する債券を簿価で等価交換した」とされています。
この記述だけではわかりにくいと思いますが、これは90年代末のプリンストン債事件と同じ構図です。この事件についてはずいぶん前(2002年10月)に書いたことがあるので、ご参考までにそれを掲載します。
9年前の原稿で、いま読み返すとずいぶん肩にちからが入っているなあ、という感じですが、けっこう新鮮です(笑)。
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「存在するものはすべて合理的である」と言ったのは、ヘーゲルだったろうか。
この洞察は、金融詐欺にも当てはまる。
無知な投資家を騙す犯罪者と、善良で哀れな被害者がいるのではない。騙される側にも、合理的な理由があるのである。
その格好の例が、数年前に世間を騒がせたプリンストン債事件だ。
つい最近(2002年10月)、関係者の一人が一審で懲役3年の実刑判決を宣告されたことが報道されたが、すでに記憶が薄れている人も多いと思うので、簡単に事件を振り返っておく。
90年代半ばあたりから、マーティン・アームストロングという人懐っこい笑顔の“天才”アナリスト兼ファンドマネージャーが日本の経済メディアに頻繁に顔を出すようになった。
アームストロングは米プリンストン経済研究所(といっても、自分で設立した個人研究所)の所長であり、紀元前1700年のメソポタミア文明に遡る相場データを分析し、スーパーコンピュータを駆使してはるか未来の株式・債券・為替・商品市場まで完璧に予測したと豪語して、バブル崩壊で自信を失った大手金融機関のトレーダー、ディーラーや、多額の損失を抱えた個人投資家の間でカリスマ的な人気を博した。今は誰も口をぬぐって知らん顔を決め込んでいるが、当時、プリンストン経済研究所から毎日発行されるアナリスト・レポートを神のお告げのように崇めていたトレーダー、ディーラーは数知れない。
アームストロングはニューヨークダウが3000ドルだった93年に「ダウ1万ドル」を予測し、また日本のバブル崩壊後は「日経平均1万円割れ」の可能性を指摘した。どちらも最初は狂人扱いで誰も相手にしなかったが、その予言が現実のものになるにしたがって徐々に信者が増え、ニューヨーク株価が1万ドルを目指して上昇し、逆に日経平均が1万4000円台まで暴落した1998年あたりから“カリスマ”の名は不動のものになった。株式専門紙や相場雑誌、テレビなどに頻繁に登場し、似非評論家たちがありがたがって彼のお告げを触れ回ったのもこの頃だ。その中にはいまだに現役で、したり顔で日本経済を憂えている輩も多い。
ところがその後の調査によれば、大手ヘッジファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメントが破綻した98年秋のロシア危機でアームストロングも大きな損失を抱え、欧米の投資家からの相次ぐ解約請求で彼の運営するファンドは資金繰りに窮していたという。
そこでアームストロングは、日本での人気を利用してひと儲けしようと企み、自分が運営するファンドを企業や機関投資家に売りつけることを画策する。それが「プリンストン債」だ。
プリンストン債はアームストロングをファンドマネージャーとする一種のヘッジファンドだが、なぜ債券(Bond)という名を冠したかというと、ほとんどの日本の企業や年金は内規によってヘッジファンドに投資することができないからだ。ところがこの障害は、金融商品の名前の最後に「債券」と付ければそれで解決する。人を馬鹿にしたような話だが、事実である。
日本で金融商品を販売するには、証券会社が必要だ。そこでアームストロングは、クレスベール証券というロンドンの潰れかけた証券会社に出資し、その東京支店長に大手N證券出身のSを据える(このS支店長が2002年10月、一審で懲役3年の実刑判決を言い渡された人物だが、本稿は個人攻撃が目的ではないのでイニシャルに留める)。
ほどなくしてイギリス本国のクレスベール証券は倒産するが、なぜか東京支店だけは営業を継続する。こうして、外国証券であるにもかかわらず、東京支店しか存在しないという奇妙な証券会社が残った(本社はケイマンのペーパーカンパニー)。要するに、クレスベール証券買収の目的は、外国証券として金融監督庁(当時)に証券業登録することだけだったのだ。
肩書きは「東京支店長」だが、S支店長は実際にはクレスベール証券のトップであり、その扱う商品は、アームストロングが運用するプリンストン債のみである。これを客観的に見れば、アームストロングは詐欺商品の広告塔であり、クレスベール証券東京支店はその販売部門ということだ。S支店長は裁判で「自分もアームストロングに騙された被害者」と抗弁しているが、両者が一体不可分のものであることに疑いはない。日本の経済メディアがアームストロングを“カリスマ”と囃したことで、彼らの計画は順調にスタートした。
クレスベール証券のS支店長は、“財テクの神様”と呼ばれていたヤクルトのK副社長に接近し、プリンストン債の購入を持ちかける。K副社長は元国税庁キャリア(金沢国税局関税部長)で、79年にヤクルトに天下り、バブルの頃は財テクで大きな利益を生み出したが、90年代に入ると相場の逆風になす術もなく、莫大な損失を抱えて進退に窮するようになっていた。
K副社長は、プリンストン債を売りつけるのにこれ以上ない格好の相手だった。
彼が目をつけられた理由は簡単だ。
1) 一部上場企業の財務担当者で、会社の金を自由に使うことができる。
2) 相場で失敗し大損したことを隠す必要に迫られている。
3) 金に汚い。
この三拍子が揃っていれば、営業の必要すらない。K副社長は自らすすんで話に乗ってきた。最終的にヤクルトは、プリンストン債に70億円を投じることになる。なぜなら、K副社長には是が非でもプリンストン債を購入しなければならない合理的な理由があったからだ。
K副社長にとって、巨額の投資を決断する根拠はふたつある。ひとつは、ヤクルトがプリンストン債を購入するとK副社長にバックマージン(リベート)が支払われること。もうひとつは、含み損の生じた不良資産を額面のプリンストン債と交換してくれることだ。
裁判などで明らかにされたところによると、プリンストン債の販売手数料は5%だという。70億円の投資額から3億5,000万円が手数料として徴収され、それがK副社長の手に渡ったというわけだ。東京地検によって、K副社長は5億円のリベートを受取ったとして起訴されているから、1億5,000万円ほど報酬が多い。これは、K副社長が他の企業や機関投資家にプリンストン債を紹介した成功報酬と考えられている。
K副社長はケイマンにペーパーカンパニーを設立し、そこにコンサルタント料の名目でリベートを振り込ませていた。そのリベートを香港の金融機関に送金し、自ら香港に出かけて行っては日本円で引き出し、持ち帰っていたらしい。これを「タックスへイヴンを利用した複雑な資金の流れ」などと書いた大手新聞もあったが、子供だましの単純な手口である。
それよりも不思議なのは、税務署の対応だ。
事件後の東京国税局の調査によれば、K副社長は目黒区柿の木坂に敷地70坪、地上3階地下1階の豪邸(時価10億円)を持つほか、近くに長男夫婦の住む一戸建て(建物の新築価格6000万円)、池袋に60平米の投資用マンション(1億円)、群馬県草津町にリゾートマンション(約2600万円)、同県嬬恋に別荘(約8200万円)、神奈川県箱根にも別荘(購入価格不明)を保有している。それ以外にも多数のゴルフ会員権を所有し、株式に投資し、自宅の地下は絵画で美術館のようになっており、高級デパートの外商部と年間数千万円の取引があったとの報道もある。
いくら一部上場企業の副社長とはいえ、一介のサラリーマン重役が可能な生活水準をはるかに越えている。要するに、K副社長のリベート体質はバブル期からのもので、証券会社の営業担当なら誰でも知っていたのである。香港から持ち帰ったリベートも、堂々と蓄財と放蕩に使われたに違いない(2003年8月、懲役7年の実刑が確定)。
しかし、素人が考えてもわかるこんなあからさまな脱税に対し、所轄の目黒税務署が税務調査を行なったとの記録はない。国税庁は表面上、「K副社長が退官したのは事件の20年前であり、税務行政とは無関係」との立場をとっているが、これでは、国税元キャリアが地元の税務署でアンタッチャブルな存在になっていたと疑われても仕方がないだろう。2億5000万円の脱税容疑で逮捕された元札幌国税局長(世田谷税務署管轄)が、事件発覚までいちども税務調査を受けていないのとまったく同じ構図だ。これで国民に対し、「税の公平な徴収」を説いても、信じる人間は誰もいない。
プリンストン債は、財テクであけた大穴を埋める便利な道具でもあった。
バブル期、どの企業も証券会社や信託銀行に余った資金を預け、これを原資に株式投資に血道をあげた。これが特金(特定金銭信託)やファントラ(ファンド・トラスト)と呼ばれたものだ。
ところがバブル崩壊後の株価の暴落で、たとえば100億円の特金が70億円になったしまったという企業が続出した。資産を時価で評価すれば30億円の投資損失を計上しなくてはならないが、そんなことをすれば自分たちの責任が問われる。そのためどの企業も、こうした損失を飛ばすのに躍起になった。
そんなところにプリンストン債が、非常にシンプルな解決方法を携えて現れた。時価70億円の不良資産を、額面100億円のプリンストン債と交換してくれるのである。これで企業は、損失を表沙汰にしなくてもすむ。プリンストン債などという誰も見たことのない金融商品の時価評価など、どんな監査法人でもできるはずがないからだ。証書に100億円と書いてあれば、それを信じるしかない。
この場合、企業の赤字30億円はプリンストン債に移転されるが、償還までの期限を10年程度と長くとっておけばどうということはない。運用がうまくいけば額面の100億円で償還できるかも知れないし、仮に失敗してさらなる損失が生じても、企業の不正経理の証拠を握っている以上、文句を言われる心配はない。考えてみれば、これほど安全な取引はない。
もっとも、この詐欺にかかわった人間たちは、売り手側も買い手側も、誰も10年後のことなど考えていなかったに違いない。彼らにとっては、今目の前にあるキャッシュこそがすべてだからだ。
プリンストン債に投資した企業や機関投資家は100社にものぼり、その総額は1200億円を越えると推定されている。99年9月にプリンストン債の破綻が明らかになると、これらの会社は、刑事事件になったヤクルトを除き、どこも「自分たちは被害者だ」と声を揃えて主張した。日本から送金された投資資金の大半が運用に回されず、既存の投資家への返金やアームストロング個人の蓄財に使われていたからだ。
しかし世の中に、はたしてこれほどまで馬鹿が溢れているものだろうか。
もういちど、ヘーゲルの言葉を思い出してみよう。
この世に起こるすべての出来事は、少なくともその当事者たちにとっては、合理的なのである。
被害者のふりをして私腹を肥やす人間は、今も至るところにいる。
WEB幻冬舎 2002年10月15日号