ギリシアのパパンドレウ首相が国民投票を行なうと発表(その後撤回して新政権樹立)したことで、ヨーロッパが揺れています。
すでにいい尽くされたことですが、この混乱は、政府(財政政策)をばらばらにしたままユーロという通貨だけを共通にしたという“設計不良”によるものですから、対症療法では解決できません。この欠陥は1999年のユーロ発足のときから指摘されていましたが、ヨーロッパの政治家は耳を貸そうとはしませんでした。その構造的な歪みが、世界金融危機によって現実のものとなったのです。
もちろんギリシアの経済は、日本でいえば神奈川県ほどの規模しかありませんから、たとえばドイツがお金を出してギリシアの財政赤字を清算すれば“危機”はたちまち消えてしまいます。これは経済的にはもっとも被害の少ない合理的な解決法でしょうが、ドイツの有権者を納得させることができないので、政治的には実現不可能です。
そこでEUは、大岡越前の三方一両損のような合意を目指すしかなくなりました。すなわち、ユーロ圏の納税者と、ギリシア国債を保有する民間銀行と、ギリシア国民がみんなで損を分け合おう、というわけです。
すこし前に、「退出という選択肢のないムラ社会では、原理的に、政治的な決定は全員一致しかない」という話(「決断できない世界」)を書きましたが、ヨーロッパのリーダーたちが江戸時代の奉行と同じことをするのは、国を物理的に動かせない以上当たり前です。
これまで私たちは、欧米と比べて、「決断できない」日本の政治をずっと批判してきました。しかしいったん“ムラ社会状況”にはまってしまうと、“デモクラシーの祖国”であるヨーロッパでもやはり「決断」などできないのです。
ところで、この「三方一両損」がギリシアで大規模なデモを引き起こしたのは、EUからの援助があっても、自分たちの“損”があまりにも大きいと感じられたからです。「ギリシア人はもっと働け」というのは正論ですが、批判されればされるほど反発するというのもひとの性(さが)です。そのうえ、公務員が大量に解雇されたり、年金の額が大幅に引き下げられたりしたら生きていけませんから、既得権を奪われるひとたちの死に物狂いの抵抗は止められません。
このようにしてギリシアの政治は機能不全に陥り、国民投票か内閣総辞職でしか事態を打開できなくなってしまいました。ギリシア国内では、「ドラクマ(以前のギリシア通貨)に戻せば為替相場が大幅に下落して、観光収入や輸出の増加で経済は回復する」という意見もあるようですが、制度上、EUから脱退しなければユーロから抜けられない、という問題があり、事態はさらに混迷の度を深めそうです。
ところで、この「ユーロ危機」の本質はどこにあるのでしょうか。
それは、「国家はもはや市場を制御することができない」ということです。
世界金融危機以降、世の識者たちは「国家が市場を規制せよ」と大合唱してきました。しかし現実には、市場(資本主義)に合わせて国家を再設計しないかぎり、問題は解決できません。
なぜなら「問題」は国家そのものが起こしているからですが、その話はまた別の機会にしましょう。
『週刊プレイボーイ』2011年11月14日発売号
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