人類の遺伝子をたどると、約20万年前のアフリカの女性にたどり着くといいます。サバンナで生まれた人類(ホモ・サピエンス)の祖先は、約5万年前に故郷を捨ててアジアやヨーロッパ、南北アメリカからオーストラリアまで広がっていきました。
その後、ヨーロッパ北部に移住したヒトは、短い日照時間にあわせて皮膚のメラニン色素を減らし、白い肌に進化しました。アジアに移住したヒトのメラニン色素は、やはり日照時間に応じて、白人と黒人の中間あたりに落ち着きました。このようにして、数万年のあいだに白人、黒人、黄色人種のちがいが生まれたと考えられています。
いうまでもなく、人種差別はこの世界が抱えるもっとも大きな問題のひとつです。つい100年ほど前までは、黒人やインディアン(ネイティブアメリカン)はヒトではなく、殺したり奴隷にしたりしてもかまわないと思われていました。アジアの黄色人種は、黒人から白人へと「進化」する中間段階で、「半人間」として扱うべきだとされていました。人種についてのこうした誤解がどれほど多くの悲劇を生んできたかは、あらためて述べるまでもありません。
じつは私たちは、肌や髪、目の色のちがいよりもずっと見知らぬヒトと日常的に接しています。それが、男にとっての女(あるいは女にとっての男)です。
最近の研究では、男と女はたんに生殖機能が異なるだけでなく、脳の構造もちがっていることがわかっています。
たとえば男性の言語機能は左脳に集中していて、脳卒中でこの部分が損傷するとたちまち話せなくなってしまいますが、女性の場合は言語能力がかなりの程度維持されます。逆に男性は、右脳が損傷を被っても言語能力に影響はありませんが、女性は言語性IQが明らかに低下します。これまでの常識とはちがって、女性は話すために脳の両方を使っているのです。
さらに男性と女性では、見ているものまでがちがっているかもしれません。
目の網膜は光を神経シグナルに変換する仕組みですが、視野の中央と周辺では異なる神経節細胞がはたらいています。中心部にあるP細胞は色や質感などの情報を集め、周辺部のM細胞はものの動きを検知します。そして、男性の網膜は主にM細胞(動きと方向)が分布するのに対し、女性の網膜はP細胞(色と質感)で占められているのです。
この単純な網膜の構造のちがいから、女の子が赤やオレンジといったカラフルな色が好きで、質感に富んだ人形で遊びたがる理由がわかります。逆に男の子は、色にはほとんど興味を示さず、トラックや飛行機など動くものに強く引かます。
「男女平等」の思想によって、これまで男と女のちがいは文化的なものだと考えられてきました。しかしこうした研究は、性差が生得的なものであることを示唆します。チンパンジーの子どもを観察すると、オスは車のおもちゃ、メスは人形で遊びたがるのです。
もちろんこのことは、男女差別は当然だ、ということを意味しません。たとえ脳の構造がちがっていても、男と女は努力してわかりあおうとします。
私たちがすぐ隣にいるエイリアンと共生できるのなら、たんに肌の色がちがうだけの人々がわかりあえないはずはないのです。
参考文献:レナード・サックス『男の子の脳、女の子の脳』
『週刊プレイボーイ』2011年10月17日発売号
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