「日本では子どもが親の面倒を見るんだろ。君たちがうらやましいよ」
旅行先のモスクワで知り合った50代半ばのロシア人から、そういわれました。ロシアでは、子どもは親の世話をしないのがふつうで、高齢者も自分のちからで生きていかなくてはならないのだそうです。
「考えてもみろよ。ソ連時代は住宅も医療費もすべてタダで、老後は年金で生きていくのが当たり前だった。親の面倒を国が見てくれるんなら、子どもは自分のことだけを考えればいい。だから社会体制が変わっても、この国ではだれも親の世話をしないんだよ」
帝政時代のロシアは国民の大半が農奴として土地にしばりつけられていて、家族で身を寄せ合い、助け合いながら生きていくほかありませんでした。二度の革命を経てソヴィエト連邦が成立したのは1922年、共産党支配の崩壊が1991年ですから、わずか70年のあいだにロシアでは親子の関係が劇的に変わったことになります。
とはいえ彼は、子どもを恨んでいるわけではありません。そればかりか、一人息子の自慢になると話が止まりません。
彼の息子は数学の学位をとって高校の教師になったあと、大学に再入学してコンピュータの学位も取得し、いまはドイツ系企業の子会社に職を得て、夫婦共働きでモスクワ市内にアパートを買おうとしているといいます。
「収入が減るのがイヤだといって、まだ子どもを産もうとしないんだよ。俺は早く孫の顔を見たいのに」
そうぼやくところは、親馬鹿そのものです。
孔子はひとの道として、主君への忠誠などとともに親への孝行を説きました。孔子はなぜ、親が子どもを愛することの大切さを語らなかったのでしょうか。
それはおそらく、親の愛情が遺伝子のプログラム(本能)であるのに対し、親孝行が文化だからです。それは、私たちの祖先が家族を基本単位として集団生活を送るなかで、人工的につくられた価値観です。だからこそ、社会の混乱で家族がばらばらになってしまえば親孝行の美風も廃れてしまう――孔子はそれを憂えたのでしょう。
経済的な格差をなくし、障がい者や高齢者や能力の劣った者も平等に生きていける(とされた)社会主義国家は、親孝行がこわれやすい人工物であることを証明する壮大な社会実験でした。そして孔子の洞察どおり、ホモ・サピエンスの登場から50万年以上かけて育まれてきた親孝行の文化は、一瞬にして消えてしまったのです。
日本でも、「家族の価値が廃れた」と嘆くひとがあとを絶ちません。しかしロシアの経験を見るならば、家族の崩壊は福祉国家の運命だというほかはありません。年金や健康保険制度を充実させればさせるほど、子どもは重荷が軽減されたと考えて、家族の絆は弱くなっていきます。国家が親の世話をすべて代行するならば、「親孝行は古代の奇妙な風習」ということになるでしょう。
このことから逆に、家族の絆を取り戻すきわめて効果的な方法がわかります。国民年金も国民健康保険もすべて廃止してしまえば、国民はふたたび家族という安全保障装置に頼らざるを得なくなります。もっとも、どれほど憂国の士であってもこの提案に賛成はしないでしょうが。
『週刊プレイボーイ』2011年10月3日発売号
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