すこし前のことですが、ベルギーリーグのリールスに所属する日本代表ゴールキーパー川島永嗣選手が、アントワープのクラブ・ゲルミナル戦で、ゴール裏の相手サポーターの「カワシマ、フクシマ」という野次に抗議し、試合が一時中断されるという出来事がありました。
この試合のダイジェストはYoutubeにアップされていて、それを見ると試合はリールスのホームゲームで、開始前には東日本大震災の犠牲者のために黙祷が捧げられています。それだからこそ、福島原発事故の被災者に対する心ない野次は許されず、毅然として審判に申し出た川島は立派です。
試合は後半16分にリールスが先取点をあげたあたりから荒れはじめ、中断再開後の後半35分、ディフェンダーのクリアミスから同点に追いつかれると、こんどはリールスサポーターがゲルミナルのゴールキーパーに激しい野次を飛ばす騒然とした雰囲気になったようです。
この出来事はヨーロッパでも大きく報じられ、試合の翌日にはゲルミナルのホームページにサポーター代表の謝罪が掲載されました。現在は、クラブの選手・関係者による日本語の謝罪文と、サポーターへの義捐金の呼びかけがトップページに掲げられています。
ヨーロッパサッカーでは、黒人選手に対するモンキーチャントなど、人種差別が大きな問題になってきました。フーリガンと呼ばれる暴力的なサポーターにはネオナチなどの白人至上主義者も多く、サッカーが人種間の憎悪を増幅させているとの批判もあります。
残念なことに、私たちは人種や国籍で無意識のうちにひとを差別してしまいます。進化心理学でいうならば、これは“差別のプログラム”がヒトの遺伝子に埋め込まれているからです。
しかしサッカーには、「差別」とは別の進化論的プログラムによって、このやっかいな性向を修正する素晴らしい機能があります。それが“チーム愛”です。
川島に対する「フクシマコール」に本気で怒ったのは、リールスのサポーターたちでした。彼らは福島原発事故のことを知ってはいても、遠い日本のニュースにさほどの興味は持っていないでしょう。
それではなぜ彼らは激昂したのか。それは、「俺たちのカワシマ」が“奴ら”に侮辱されたからにほかなりません。
どんなサポーターも、人種や国籍に関係なく、自分が愛するチームの選手への誹謗中傷はぜったいに許しません。それは、自分への侮辱と同じことだからです。
この本能的な怒りには、なんの理屈もありません。遠い国からやってきた選手がチームの一員に加わったとたん、なにかの魔法にかかったかのように、あらゆる“ちがい”は消滅して自分と一体化してしまうのです。こうして、ネオナチの若者が黒人選手の熱狂的なファンになるという「奇跡」が起こります。
ヨーロッパサッカーは、世界じゅうから一流選手が集まることで、あちこちでこうした小さな奇跡を起こしています。「俺たちのチームが世界一だ」という偏狭なローカリズム(地域主義)が、人種の壁や国境を超えてグローバリズムへとまっすぐにつながっていくところに、サッカーのいちばんの魅力があるのです。
『週刊プレイボーイ』2011年9月19日発売号
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