もうずいぶんむかしの話ですが、学生時代につき合っていた女の子から突然電話があって、数年ぶりに再会することになりました。当時はバブルの余熱がまだ残っていて、六本木のカフェバーに颯爽とやってきた彼女は、ヴィトンのバッグに花柄のシャネルのワンピースというゴージャスさです。
バーボンのオンザロック(当時はそんなのを飲んでいた)を傾けながら、お互いの近況や知り合いの消息を伝えあって、けっこういい雰囲気になったときです。ごく自然な口調で、彼女がいいました。
「これまで誰にも打ち明けなかったんだけど、わたしじつは宇宙人なの」
最初は、いったいなんのことかぜんぜんわかりませんでした。
「子どもの頃から、自分は他人とはなにかちがうってずっと不思議に思っていたの。その理由が、最近、ようやくわかったのよ」
それから彼女は、自分が宇宙人としての特殊能力を持っている理由をつぎつぎと挙げました。でもそれは、エレベーターに乗ろうと思ったら自然にドアが開いたとか、駅のプラットフォームに降りたら電車が入ってきたとか、どれもよくある偶然としか思えませんでした。そのうえ彼女は、宇宙人の祖先を知るために、一人でペルーまで行ってきたというのです。
「セスナに乗って、ナスカの地上絵を見たの。そのとき、メッセージが届いたの。君のためにこれを描いたんだって」
カルト宗教にはまったわけではありません。彼女は独力で、この奇妙な信念を持つに至ったのです。
なぜ、こんなことになるのでしょう。最新の脳科学は、これを次のような実験で説明します。
よく知られているように、右脳は感覚を、左脳は言語を統括します。右脳に送られた情報は、脳梁と呼ばれる橋を通って左脳に伝わり、そこで言語化されます。ところがごくまれに、てんかんの治療のため、手術で脳梁を切断してしまうことがあります。こうした患者は、情報の伝達経路を失って、右脳で受信した情報を左脳で言語化することができません。
実験では、脳梁を切断した患者の左視野(情報が右脳に入力される)に、「笑え」と書いたボードを示します。すると患者は、その指示にしたがって笑います。右脳は、言葉を理解することができるのです。
そこで患者に、「あなたはなぜ笑ったのですか?」と訊くと、患者は、「先生の顔がおかしかったから」などとこたえます。論理的な説明を考えるのは左脳ですが、右脳からの情報がないので、ボードで「笑え」と指示されたことを知りません。しかし、自分が笑ったというのは事実なのですから、そこにはなにか理由があるはずです。
こうして無意識のうちに、左脳はもっともらしい理屈を見つけてきます。
この実験が興味ぶかいのは、私たちがこの合理化の過程をまったく意識できないということです。左脳は、自分の解釈が正しいと信じて疑いません。
共通の知人に聞いたところ、彼女はその頃、ながくつき合っていた男性と別れたといいます。プライドの高い彼女にとって、それは大きなこころの傷になったのでしょう。
彼女は、自分がなぜこんな思いをしなければならないのかわかりませんでした。
そしてある日、彼女のもとに宇宙からのメッセージが送られてきたのです。
参考文献:『社会的脳 -心のネットワークの発見』マイケル・S・ガザニガ (青土社)1987
『サブリミナル・マインド-潜在的人間観のゆくえ』下條信輔 (中公新書)1996
『週刊プレイボーイ』2011年8月22日発売号
禁・無断転載