「官僚支配」というのは、各省庁が共同して日本を統治しているということではない。官僚制の本質は、権限の範囲を仕切られたなかでの省庁同士、あるいは省庁内部の局や部、課のあいだの権限争いで、そこには共同の意思はなく、各自が自分たち(と関係者)の利益を最大化するために合理的に行動しようとする。
こうした組織は、合意形成の積み上げによって意思決定するのだから、経済が拡大するなかでの分配には長けているが、全体のパイが縮小するとたちまち足の引っ張り合いを起こしてしまう。太平洋戦争における陸軍と海軍の確執がその典型で、彼らの全精力は敵とたたかうことではなく、内輪もめに対処することに割かれていた。
もちろんこんなことは、これまで繰り返し指摘されてきた。しかし、日本でもっとも知的なひとたちの集まりであるはずの官僚制は、何十年たってもこの欠陥を自ら修正することができない。
いつまでたっても変わらないのは、変わらないことに合理的な理由があるからだ。
そもそも公務員の人事制度は、日本社会と独立に存在するわけではない。終身雇用と年功序列を絶対の掟とする公務員人事は、日本的雇用制度の純化した姿だ。
公務員制度改革の理念では、官僚を企画(総合職)と実施(一般職)、および技官(専門職)に分け、政策の立案に携わる企画官僚は内閣に新設される人事局でプールし、省庁を横断して最適な人材を派遣していくことになっていた。これがもし実現すれば、省庁の縦割りは意味を失い、日本の官僚制は革命的な変化を起こすだろう。
だがこの理想世界には、決定的に重要な前提条件がある。
新しい公務員制度では、企画官僚は政権党のシンクタンクの役割を果たすことになるが、常に最適なポストがあるとはかぎらない。幹部の人数は限られているのだから、人材プールで待機中は民間企業で働くことになる。アメリカで行なわれている、官と民の「リボルビングドア」だ。
ところが年功序列と終身雇用の日本的雇用制度では、たとえ現役官僚であったとしても、企業は中途採用をしたがらない。そこで省庁が、コネを使ってなんとか引き取ってもらうというのが「官民交流」の実態になっている。これはもちろん官と民の癒着の温床になるが、だからといって禁止してしまうと、官僚は再就職できなくなって省庁に滞留するほかなくなる。
民主党は、日本的な雇用慣行をそのままにして、官僚制だけをアメリカ型に改造しようとした。彼らに欠けているのは、アメリカの公務員人事制度は、アメリカの労働市場に最適化されているという視点だ。
アメリカでは労働市場の流動性が高く、異業種への転職も頻繁に行なわれ、中途入社は当たり前だ。だからこそ、能力と実績を買われた官僚が民間企業に転職したり、成功したビジネスマンが省庁幹部に政治任用されたりする。
官僚機構をアメリカ型につくり変えるには、その土台である日本的雇用制度を解体しなければならなかったのだ。
官僚制度は誰かが意図的につくったわけではなく、日本社会のなかで自生的に生まれ、歴史のなかを連綿とつづいいて、高度成長期にいまの姿に拡張を遂げた。それは私たちの身近な生活に深く根を下ろし、そこから養分を吸い上げてきた。
私たちは、公務員制度改革を自分たちには関係のない話だと考え、既得権にしがみつく官僚たちに憤慨し、事業仕分けで立ち往生する様を嘲笑した。だがひとは、鏡に写った姿だけを都合よく変えることはできない。
「日本改造」とは、官僚の天下りを禁止することではなく、日本そのものをドラスティックに変えていくことだ。しかし、連合の支援を受けた民主党政権に日本的雇用に手をつける覚悟があるはずもなく、そもそもどの程度理解していたかも疑わしい。マニュフェストは、最初から絵に描いた餅だったのだ。
このようにして「改革」は予定調和的に破綻し、いまでは大臣は省庁の代理人に戻り、与党と政府が責任を押しつけあう旧態依然の統治構造に逆戻りしてしまった。
「改革」は、戦後日本の統治構造が機能不全に陥ったからこそ、やむなく始まった。それがうまくいかないからといって元に戻しても、問題はなにも解決しないばかりか、事態はさらに悪化していくだけだ。これは次に誰が首相になっても同じで、仮に大連立が成立したとしてもさらなる混迷に陥るだけだろう。
私たちは、次なる衝撃に備えなければならない。