「官僚内閣制」「省庁代表制」「政府・与党二元体制」という日本的な統治構造では、仕切られた省庁の枠組のなかで、ボトムアップの合意形成によって政策がつくられていく。この仕組みは戦後の復興期、社会の各層に的確な政策が必要とされていた時期にはきわめてよく適合した。
だがこの大きすぎる成功体験が、冷戦終焉以降の歴史的な変化に乗り遅れる原因ともなった。「省庁連邦国家日本」には、国益のためにトップダウンで合理的な意思決定をする仕組みが備わっていないのだ。
そこで民主党は、2009年の政権交代を受けて、日本の統治構造の改造に乗り出すことになる。
民主党の「原理主義者」たちの理解では、政権交代後にこの国にふたつの権力が並立することになった。ひとつは選挙で選ばれた国民代表を基盤とする民主党内閣、もう一つは省庁代表を基盤とする官僚内閣だ。
ひとつの国にふたつの権力は並び立たないのだから、民主党内閣は、権力闘争によって官僚内閣を打倒しなければならない。このようにして事業仕分けによる官僚バッシングが始まったのだが、じつは主戦場は別のところにあった。
日本の官僚制は、大きく3つの権力の源泉を持っている。
ひとつは、官僚だけが事実上の立法権を有していることだ。
日本では、内閣法制局の審査を通った法案しか国会に提出できない。これは、法令体系を統一的で相互に矛盾のない規定によって構成するためだとされるが、複雑怪奇で膨大な法令データベースを参照できるのは現実には担当部局の官僚だけであり、立法府のはずの国会はほとんど立法機能を持っていない。
二つ目は、法律の解釈を独占し、事実上の司法権を有していることだ。
地方自治体では、法令について不明な部分があると省庁の担当部局に問合せ、官僚が正しい解釈を伝えることが当たり前のように行なわれている。これも法令についてのデータベースを独占しているから可能になることで、官僚は立法権だけでなく司法権も行使できるのだ。
三つ目は、予算の編成権を持っていることだ。
日本国の予算は各省庁の要望を財務省(主計局)が「総合調整」したものだから、官僚が自ら予算を編成しているのと同じことになる。もちろん政治家は族議員などを通じて予算に関与することができるが、官僚と族議員(ロビイスト)は共生関係にあり、こうした非公式の影響力では官僚の権限は揺るがないのだ。
日本は憲法のうえでは三権分立だが、実際は省庁が行政権ばかりか立法権と司法権を有し、予算の編成権まで持っている。さらには、各省庁は法によらない通達によって規制の網をかけ、許認可で規制に穴を開けることで業界に影響力を及ぼし、天下り先を確保している。
こうした権力の源泉を絶つためには、政と官の役割の徹底した組みなおしが必要だ。
アメリカやイギリスでは、「後法は前法を破る」「特殊法は一般法に優先する」といった概念をもとに法令の有効性を判断し、法令相互の矛盾を気にせず法律をつくり、最終的には裁判所による判例の蓄積で矛盾を解決している。これが議員立法が活発な理由で、小沢一郎は、内閣法制局を廃止することで官僚から立法権を奪取し、国会を名実ともに立法府とすることができると繰り返し主張している。
また政治=行政改革では、司法の機能を強化するとともに、官僚の恣意的な法令解釈を排除し、利害関係者が司法の場で法令の解釈を問うことを目指した。
さらには予算の総合調整機能を財務省から国家戦略局もしくは内閣予算局に移行するとともに、民主党の議員が個別に霞ヶ関に陳情することを禁止し、党の要求は幹事長に一元化することにした。
だがこのなかで実現したのは霞ヶ関への個別陳情の禁止だけで、それ以外の官僚の権限に手をつけることはできなかった。
本来であれば、憲法によってその権威を保証された議院内閣に対し、たんなる非公式な慣習でしかない官僚内閣が対抗できるはずもなかった。だが普天間問題で鳩山政権が求心力を失うと、立法・司法・行政権を独占する官僚に、「権力の集中」を目指したはずの内閣は実務を丸投げするほかなくなった。
だがこれは、官僚制が権力闘争に勝利した、ということではない。自分たちの組織が機能不全を起こしていることは、彼ら自身にも認識されていたからだ。