ところが鳩山政権は、当初こそ事業仕分けで喝采を博したものの、マニュフェストにも記載のない沖縄・普天間基地の移設問題で国会を紛糾させ、さらには小沢一郎幹事長(当時)が政治資金規正法違反で強制起訴され、鳩山自身も個人献金の虚偽記載が明らかになったことで行き詰まって政権を投げ出してしまった。
代表戦の結果、菅直人が総理の座を担うことになったが、その直後の参院選で大きく議席を減らし、衆参のねじれ国会で立ち往生することになった。その後、東日本大震災と福島原発事故で延命したものの、けっきょく政治改革はなにひとつ進まないまま辞任することになった。
しかし菅首相は、皮肉にも、日本の統治構造における内閣総理大臣の権限を明らかにするうえで大きな貢献をした。そのことを示す好個のエピソードがある。
7月27日、菅首相は海江田経産相の頭越しに、経済産業省に対し電力需給に関する情報をすべて開示するよう文書で指示した。この措置に対して海江田大臣は、「私は全部開示してきた。これまでやってきたことはほとんど無駄だという思いだ」「悔しい。信用されてないと思った」「私の行動に納得がいかなければ、そのときは首を切っていただくことになる」などと述べた。
さらに29日の衆院経済産業委員会で、自民党議員から早期辞任を求められた海江田経産相は、「もうしばらくこらえてください。お願いします。頼みます」などと声を詰まらせ答弁し、席に戻った後、涙を堪えきれず顔を手で覆った。
『日本の統治構造』で飯尾は、日本の内閣総理大臣は憲法上は強大な権限を持っているものの、内閣法ではなんの権限もないと述べている。
憲法第72条には、「(内閣総理大臣は)内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」と定められている。これによれば、内閣総理大臣には各省庁官僚を使って、行政事務を実施する権能が与えられていると解される。
一方、内閣法第3条は、「各大臣は、別に法律に定めるところにより、主任の大臣として、行政事務を分担管理する」とある。これを厳密に適用すると、内閣総理大臣は、分担管理大臣としては、内閣府(かつての総理府)の長としての権能しか持たない。すなわち、その他の各省庁に指揮監督権を行使することはできず、総理大臣にはほとんど権限が残っていないことになる。
これまでは内閣法に則って、あるいは慣習として、首相は大臣を通じて行政を統括し、各省庁に直接の指示・命令は出さないことになっていた。だからこそ海江田大臣は、菅首相の仕打ちを自分に対する侮辱ととらえたのだ。
しかしこの騒動は、制度上、内閣総理大臣はオールマイティに近い権力を持っていることを明らかにした。浜岡原発の運転停止要請にせよ、全原発に対するストレステストにせよ、日本の総理大臣は、やろうと思えばなんだってできるのだ。
しかしこれは、民主党がマニュフェストで高らかにうたった「政治主導」とはまったく異なるものだ。
マニュフェストによれば、総理直属の「国家戦略局」に官民の優秀な人材を結集し、そこで策定された国家戦略に基づいて、首相の強力なリーダーシップの下、各省庁を統括する国務大臣や副大臣、政務官などの政治家が官僚を指揮して政策を立案・実行することになっていた。
だが国家戦略局は「国家戦略室」に格下げされ、その位置づけも曖昧で、大震災以降もほとんど存在感を示せていない。そうなると、首相がどのような手続きを踏んで意思決定をしているのか外部からはまったくわからなくなる。これが、経産省や電力会社に対する一連の指示・要請が「思いつき」「パフォーマンス」と批判された理由だ。
これは控えめにいっても、民主党がマニュフェストで主張した「新しい日本の統治構造」とはまったく関係のない、グロテスクな権力行使だ。「権力の集中」が、総理大臣が恣意的に強大な権力を行使することなら、これはたんなる独裁にほかならない。
民主党はきわめて理念的に日本の統治構造を分析し、設計図を引き直すようにシステム全体をつくりかえようとした。それは自民党時代からの共通認識に基づくもので、淵源をたどれば小沢一郎の『日本改造計画』に行き着くのだろうが、現状分析や対処法(ビジョン)が間違っていたとはいえない。
それではなぜ、民主党の「日本改造計画」は失敗してしまったのか。鳩山政権の金銭疑惑や菅政権での参院選の敗北がなければ、民主党はマニュフェストどおりの改革を実現できたのだろうか。次回は、そのことを考えてみたい。