民主党政権とはなんだったのか(1)

日本の政治のもうひとつの特徴は、政権党が自らを「与党」と名乗り、政府から距離を置くことだ。

自民党時代は、党の政務調査会が実質的な立法活動を担い、族議員(派閥の有力議員)が政策決定を実質的に支配した。これが「派閥政治」だが、しかし先に述べたように、官僚内閣制では政府に官僚を統制するちからがないのだから、政治家がその権限を別の場所に求めるのは当然のことでもある。

与党の合意のない法案は閣議決定を行なわないという不文律が生まると、官僚は自分たちの政策を実現するために政治家の支持を得なくてはならなくなった。日本では、国会運営は党の専管事項とされ、政府(内閣)は関与できないため、与党議員の協力や野党議員の暗黙の了解がなければ法案は議会を通過できないのだ。

その結果、「国対政治」で与野党が国会審議を紛糾させればさせるほど、官僚は対応に窮し、政治家の権限が拡張していくという奇妙な現象が起きることになった。

さらには自民党の人事システムでは、大臣は能力や実績とは関係なく、一定以上の当選回数に達した議員に平等に割り振られる名誉職とされたため、実際の権力は官僚以上に政策に精通した族議員に集中することになった。これが「政高官低」で、90年代以降、若手の官僚が省庁を見捨てて政治家に転進する例が急増した。

政府・与党二元体制は、官僚内閣制と省庁代表制のもとで、「国民代表」としての政治家が行政に介入する非公式な仕組みであったが、その行動は選挙区や支援団体の利害に左右され、日本全体の利益に関心を持つことはなかった。

こうして日本の統治構造は完全に行き詰まり、「小泉改革」を経て、民主党による政権交代が実現した。

次回は、民主党(鳩山政権)が、日本の統治構造の抜本的な変革を目指したことを検証してみよう。