ガテン系のバイトで日当1万円もらって、思ったより儲かったと喜んでいたら、翌日、「計算間違えたから2000円返して」といわれた。こんなとき、素直に財布を出すよりも、怒り出すひとのほうが多いんじゃないでしょうか。
もちろん会社もこのことは承知しているので、きっと次のようにいうでしょう。
「払いすぎた分は、今日のバイト代から差し引いておくから」
これなら、ほとんどのひとがしぶしぶ納得するでしょう。
しかしよく考えてみると、これはずいぶんおかしな話です。バイト代から2000円引かれても、先に2000円を返して満額を受け取っても、損も得もありません。経済合理的な人間ならば、怒るか納得するか、態度を一貫させるはずなのです。
これと同じ現象は、税金の徴収でも観察できます。
サラリーマンは給料から税金を天引き(源泉徴収)されても、面と向かって文句はいいません。それに対して自営業者は、いったん手にした収入から税金を納めますが、脱税が毎日のように報じられていることからして、真面目に申告納税するひとはあまり多くないようです。でもこれは、税金を先に払うか、後から払うかのちがいですから、ひとびとが経済合理的であるならば、納税方法によって態度が変わるのはやっぱり変です。
この謎を解くには、人類の祖先がまだサルと未分化だった頃までさかのぼらなければなりんません。
下っ端のサルがようやくのことで果実を見つけて、そこにボス猿(アルファオス)が通りかかったとします。このとき、素直に果実を差し出したのでは、たちまち餓死してしまいます。こういうひと(?)のいいサルは生き残って子孫を残せないので、進化の過程で、「いったん手にしたものはぜったいに手放さない」という掟が埋め込まれました。これが、「私的所有権」の原型です。
その一方で、あとすこしのところで獲物が穴に逃げ込んでしまうこともあるでしょう。こんなとき、いつまでも穴の前でぐずぐずと思い悩んでいてはやはり餓死してしまいます。生き延びるためには、逃した獲物はさっさとあきらめて、狩りをつづけなければならないのです。
このような「進化論的合理性」によって、いったん手にしたものから支払うことと、最初から天引きされることのあいだには、心理的にきわめて大きなちがいが生まれました。もちろんこのことは為政者もちゃんとわかっていて、どの国も税金はできるだけ源泉徴収して、確定申告のときに払いすぎた分を取り戻すようにしているのです(商品代金といっしょに徴収する消費税も、心理的抵抗のすくない効率的な徴税手段です)。
脱税がこの世からなくならないのは、その行為が「法律には違反するものの、進化論的には正しい」からです。この無意識の感情はきわめて強力で、法や道徳で矯正することはできません。
この問題は、税金にとどまりません。社会保障でも公共事業でも各種補助金でも、いったん手にしてしまえば、私たちはそれを既得権と考えます。こうして財政は肥大化しますが、それが当初の役割を終えても「改革」はめったに成功しません。
「進化論的正義」は、国が破綻しようとも、その既得権を手放さないよう命じるのです。
『週刊プレイボーイ』2011年7月15日発売号
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