有権者がバカでもデモクラシーは成立するか? 週刊プレイボーイ連載(10)

その奇妙な現象は、ヴィクトリア時代のイギリスの片田舎で開催された「雄牛の重量当てコンテスト」で見つかりました。発見者は、ダーウィンの従弟で、優生学の創始者としても知られる統計学者フランシス・ゴールトンです。

コンテストは、6ペンスを払って雄牛の体重を予想し、もっとも正解に近い参加者が景品をもらえるというものでした。約800人の参加者のなかには食肉関係者や牧場関係者もいましたが、ほとんどは興味本位の素人で、彼らは当てずっぽうでいい加減な数字を書き込んで投票していました。

このコンテストに興味を持ったゴールトンは、主催者から参加チケットを譲り受け、統計的に調べてみました。ゴールトンは最初、参加者のほとんどは「愚か者」で、正解を知っている「専門家」はほんの少ししかいないのだから、参加者全員の平均値はまったくの的外れになるはずだと考えました。

ところが驚いたことに、参加者の予想の平均は1197ポンド(542.95キロ)で、雄牛の体重は1198ポンド(543.4キロ)だったのです。

「みんなの意見は案外正しい」というこの不思議な出来事は、容器に入っているジェリービーンズの数を当てる実験や、複雑な迷路を集団で解く実験などさまざまな事例で確認されています。素人が集まれば、一人の専門家よりずっと正しい答が導き出せるのです。

ゴールトンは、この現象を次のように考えました。

素人はそもそも雄牛の体重のことなどなにも知らないのだから、その予想はとてつもなく軽かったり(100キロ)、とんでもなく重かったり(1トン)する。しかし、こうした愚かな予想は互いに相殺し合うから、最終的にはゼロになって結果にはなんの影響も及ぼさない。そうなれば、予想の平均は「専門家」の正解に自然と近づいていくはずだ……。「みんなの意見」は、たくさんのなかから真の専門家を見つけ出す効率的な方法なのです。

この「統計の奇跡」から、有権者の民度にかかわらずデモクラシーは機能するという希望が見えてきます。大衆は政治や経済の専門的な知識など持たず、一時の感情に流されて投票しますが、こうした愚かな判断は相殺されて、最終的にはもっとも正しい政策が選ばれる、というわけです。

この理屈は数学的には正しいのですが、それが成立するにはひとつ条件があります。統計の奇跡が起こるためには、「バカ」が正規分布していなければならないのです。もうすこし穏当な表現を使えば、右から左まで多様な意見を持つひとたちがいて、極端な主張や間違った判断がちゃんと相殺されなければなりません。民主的な憲法の下でドイツ国民がヒトラーを選んだように、有権者の選択に強いバイアスがかかっていると、みんなの意見は大きく間違ってしまうのです。

この議論の評判が悪いのは、有権者が「バカ」であることを前提にしているからです。問題なのは有権者の民度が低いことではなく、「バカ」の分布が偏っていることなのです。

今回もなんだか救いのない話になりましたが、日本の政治に「奇跡」が起きるのなら、どれほどバカと呼ばれてもかまわないと思うのは私だけでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2011年7月11日発売号
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