「デモクラシーは有権者の自画像を描くのだから、日本人の民度が低い以上、政治家が無能なのは仕方がない」という意見をよく聞きます。もしこれが本当だとすると、私たちの「民度」が上がらなければずっとこのままということですから、どこにも救いはありません。この“自虐的”政治観から抜け出す道はないのでしょうか。
議論の前提として、日本人の民度は低いかもしれないが、それ以外の国もだいたい同じようなもの、ということを確認しておきましょう。
自由とデモクラシーの理想を体現したとされるアメリカでは、有権者の約半数は各州に上院議員が2人いることを知らず、4分の3はその任期を答えられません。半数以上の人が自分たちの州の下院議員の名前を挙げることができず、40%は2人の上院議員の一方すら知らない、という調査結果もあります。そのためアメリカの政治学では、「こんなに民度が低いのに、なぜ民主政はそれなりに機能しているのか」が大きな議論になっています。
もうひとつの前提は、ひとの行動はルールに応じて変わる、ということです。
同じトランプゲームでも、ババ抜きではジョーカーは嫌われ、ポーカーや大貧民では最強のワイルドカードとしてみんなが欲しがります。同様に私たちは、社会や組織のルールのなかで自分の利益を最大化すべく合理的な選択をしています。だとしたら、政治家の行動を変えるもっとも簡単な方法は、政治のルールをつくり直すことです。
米国大統領の任期が4年(2期8年)であることからもわかるように、大統領制であれ議院内閣制であれ、いったん政権を選択したら、ある程度の期間任せてみないと結果は出ません。ところが日本では、菅政権が小泉以来の“長期”政権になったことからもわかるように、ほとんどの内閣が1年もたたずに消えてしまいます。これでは閣僚は前任者の仕事を引き継ぐだけで手いっぱいで、官僚支配打破をうたいながら、ますます官僚制度に依存するしかありません。当の官僚にしても、すぐにいなくなる上司の命令に従って責任を負おうとは思わないでしょう。
日本の内閣が短命になるのは、衆議院のコピーのような参議院があって、ねじれ国会が常態化するからです。日本国憲法によれば衆議院が政権選択の選挙になるはずですが、そこで第一党を獲得しても参議院で多数を占めなければなにも決められず、立ち往生してしまいます。衆参両院で多数を確保しても、参院選は3年に1回やってきますから、そこで失敗するとまたすべてが止まってしまいます。こんな効率の悪い制度で政治を運営している国は、日本以外あまりありません。
本来の議院内閣制では、衆院選を制した政党の党首が内閣を組織し、最長4年にわたって安定した政権を運営できるはずなのですが、現実には参院選がすぐにやってきて、そのたびに「勝てる党首」をめぐって党内が混乱します。こうした非効率を解消するには、憲法を改正して参議院を廃止し一院制にするか、衆議院の優越を明確にするしかありません。
もちろん、これは簡単なことではありません。しかしそれでも、日本人の「民度」を上げるという遠大で(おそらく)実現不可能な目標に比べれば、ずっと現実的であることは間違いないでしょう。
『週刊プレイボーイ』2011年7月4日発売号
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