主婦年金の救済問題について、忘れないうちに書いておきたい。
現在の年金制度では、サラリーマン家庭の主婦は第3号被保険者として、保険料を負担することなく老齢年金を受給できる。夫が自営業になった場合はこの制度は適用されないから、第1号被保険者として、夫も妻も国民年金保険料を納めなくてはならない。これが問題の前提だ。
年金の3号制度では、同じ専業主婦でも夫がサラリーマンの場合と自営業者では扱いが違う。結婚しても共稼ぎなら夫婦とも保険料を払わなければならないし、生涯独身のひとも多い。フルタイムで働くよりも主婦として年金保険料を免除された方が得だとして、女性の社会進出を阻むという批判は、女性の人権を擁護するフェミニズム系の団体からもあがっている。「弱者」である主婦を救済するためとはいえ、これが明らかに不公平な制度であることは間違いない。
混乱の発端は、長妻前厚労大臣の時代に、夫の転職にあたって第3号被保険者から第1号被保険者への切り替えを忘れて、無年金や低年金になる主婦が最大100万人いることがわかったことだ。そこで長妻前大臣は、2年分の保険料を追加で納付すれば減額せずに年金を支払うという「運用3号」によって、届出漏れの主婦をほぼ無条件で救済することにした。この大盤振る舞いの根拠は、旧社会保険庁が年金の切り替えを周知徹底していなかったからだという。
だが今年の1月に厚労省が課長通達によって運用3号を実施しようとしたところ、現場の年金事務所が自主的に処理を一時停止するという前代未聞の事態が起きた。
会社を退職した夫が国民年金の加入手続きに来ると、市町村の窓口では専業主婦の妻にも国民年金に入るよう勧める。ところが「運用3号」では、役場の勧奨を無視して届出をしなかった主婦が、真面目に保険料を納めていたひとよりも得をすることになる。問合せを受けたときに、こんな不公平な制度が説明できるわけがない、というのがその理由だ。
「年金のプロ」を自負する前厚労大臣は、この件に関して、「年金記録回復委員会で方向性が決定し、私なりに判断した」と述べている。ほとんどの委員は沈黙を守っているが、2011年5月27日付の朝日新聞で、委員の一人である斉藤聖美氏(ジェイ・ボンド東短証券社長)がインタビューに応じている。
斉藤氏は、「運用3号」が不公平であることは認識していたが、年金記録問題と同様に、「多少の不公平が生じても、できるだけ本人の利益を優先して救済する」という原則を適用したと説明し、問題の根底には旧社会保険庁の怠慢と年金制度自体の矛盾があるとして、次のように述べている。
年金は複雑かつ長期にわたる仕組みで、国民全員に厳密に制度を適用するのは難しい。「いまの仕組みを続ける限り、少々の不公平は仕方がない」という割り切りも必要ではないでしょうか。
同じく年金記録回復委員でありジャーナリストの岩瀬達哉氏も、ラジオのインタビューにこたえて、「批判覚悟でかなり英断でやった」と説明している。
彼らの主張は、「3号制度」がそもそも不公平なのだから、「運用3号」の不公平性だけとことさらに批判しても問題はなにも解決しない、というものだ。だったら多少の不公平には目をつぶっても、社会全体の効用を最大化すべく功利主義的な立場で「弱者」を救済すべきだ、ということなのだろう。
私は届出をしなかったひとが「社会的弱者」だとも、運用3号問題が社会が許容できる「多少の不公平」だとも思わないが、こうした主張が「正義」に対する一貫した立場であることは理解できる。問題なのは、後任の細川厚労大臣が野党からの批判を受けて、全面的に非を認め謝罪してしまったことだ。
長妻前厚労大臣は、運用3号が不公平として批判を浴びることを覚悟したうえで、より大きな「正義」だと考えて政治的な決断をした(そうですよね)。それを後任の大臣が、「いや、あれはちょっとした間違いでした。ぜんぶなかったことにしますから許してください」と頭を下げるのでは、最初に掲げた「正義」は紙っぺらよりも薄いものになってしまう。
政権与党の大臣が正規の委員会に諮ったうえで政治的決断を下した以上、後任の大臣は、その「正義」を堂々と国会で説明すべきだった。そうすれば、「運用3号」で正直者がバカを見るのと同じように(あるいはそれ以上に)、「3号制度」で正直者がバカを見ているという現実が明らかになり、より公正で簡素な年金制度につくり変えるための一歩になったかもしれない。
けっきょく、民主党政権は「運用3号」を撤回し、届出漏れ期間は年金額に反映させず、最長10年の保険料追納を認める新たな救済策をまとめた。私はこの措置が現実的なものだと考えるが、その結果「正義」はますます軽くなり、この国の政治家の「決断」はどうでもいいものになってしまった。
正義を扱うこうした幼稚さが、国民の政治に対する絶望を深めていく。どこかでこの悪循環を止めないと、いずれ社会の基盤がメルトダウンを起こしてしまう--そんな危惧を抱くのはおそらく私だけではないだろう。
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