日本の政治に、みんなが怒っています。怒りを通り越して、絶望しているひとも少なくありません。
大震災と原発事故という未曾有の国難にあって、いまこそ国がひとつにまとまらなければならないのに、政治家は足の引っ張り合いばかりしている――こうした批判はもっともですが、しかし、政治の本質が権力闘争であるという基本的なことを見落としています。
権力闘争とはいったいなんでしょう。
オランダの動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァールは、動物園で暮らすチンパンジーたちの「政治」を研究して世界じゅうを驚かせました。ベストセラーとなった『政治をするサル』では、老いたボスザルが人望(サル望?)の厚いライバルの台頭を押さえ込むために、乱暴者の若いサルと同盟を結んで共同統治を画策する様が活き活きと描かれています。
友情と裏切り、権謀術数と復讐が織り成す残酷で魅力的なチンパンジーたちの政治ドラマは、戦国絵巻や三国志、シェークスピアの史劇そのままです。
彼らを支配する掟は、たったひとつしかありません。
「権力を奪取せよ。そして子孫を残せ」
チンパンジーやアカゲザル、ニホンザルなど社会的な動物たちは、きびしい階級社会に生きています。オスは、階級を上がることによって多くのメスと交尾し、子孫を残すことができます。だからこそ彼らは、権力闘争に勝ち残ることに必死になるのです。
チンパンジーと99%の遺伝子を共有しているヒトも、当然のことながら、権力を目指す本能を埋め込まれています。ヒトでもチンパンジーでも、権力の頂点に立てるのは一人(一匹)ですから、ライバルが権力を握るのを手助けするのは自殺行為にほかなりません。政治家の「本性」は相手の成功に嫉妬し、どのような卑劣な手段を使ってでも足を引っ張ろうとすることなのです。
だからといって、ここで政治家個人を批判しているのではありません。日本の政治家のなかにも優れたひとは多く、「この国を変えなくてはならない」との高い志にウソはないでしょう。しかし政治の世界の掟は「支配と服従」ですから、理想を実現するにはまず権力を奪取しなければなりません。そして激烈な権力闘争のなかで、理想はつねに妥協の前に敗れていくのです。
多くのひとは、日本の政治がダメなのは政治家がだらしないからだと考えています。しかしこの問題は、ずっとやっかいです。私たちはみんな、権力への欲望を脳にプレインストールされて生まれてきます。外部から隔離された政治空間ではその本能が理性を失わせ、“サル性”が前面に出てしまうのです。
アメリカ映画『猿の惑星』では、地球に帰還中の宇宙飛行士が、ヒトがサルによって支配される惑星に不時着します。この寓話がよくできているのは、人間社会がいまも「内なるサル」によって支配されているからです。
私たちが「猿の惑星」に住んでいると思えば、日本の政治でなにが起きているのかをすっきりと理解できるようになります――なんの慰めにもならないでしょうが。
『週刊プレイボーイ』2011年5月30日発売号
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