“リバタリアン日本”では、少なくとも政府の役割は、以下のレベルまで縮小されているはずだ。
郵政民営化で唱えられた「民間にできることは民間に」を徹底するならば、すべての教育機関は真っ先に民営化できる。当然、文部科学省は廃止されるだろう。教科書検定もなくなるから、中国や韓国との「教科書問題」も存在しなくなる。
教育機関よりもっと簡単に民営化できるのが、国営の雇用事業(ハローワーク)だ。この分野ではすでに民間企業がシェアの大半を占めており、国家が同じサービスを提供しなければならない理由はどこにもない。本書で指摘されているように、労働基準法や雇用機会均等法などの労働関連の法律は百害あって一利なしなので、労働災害保険(これも当然、民営化可能)や労働基準監督署とともにすべて廃止してしまう。これで、厚生労働省の旧労働省部門はすべてなくなるだろう。
小さな政府においては、国家は原則として市場に干渉しないのだから、個々の産業を保護したり、育成したりする必要もない(こうした産業政策は逆に市場を歪める)。その意味で、農林水産省と経済産業省にはそもそも存在意義がない。彼らはこれまでも、国民から取り上げた税金を無駄にばら撒いただけで、なんの役にも立っていなかった。
道路公団の民営化はもちろん、河川や交通網の維持管理も民間企業に委託することが可能なので、国土交通省はごく一部を除いて不要になる。小さな政府には公共事業が存在しないから、談合も政治家の汚職もなくなるだろう(みんなが談合を批判するが、公共事業があるかぎり談合以外の方法で工事を分配することはできない)。郵政事業と同様に通信事業の規制も撤廃すれば、総務省の旧郵政省部門は必要なくなる。国が地方自治に関与する理由はなく、地方交付税も廃止されるから、同省の旧自治省部門も自然消滅するだろう(地方自治体は道州制のようなより大きな単位に統合され、国家から自立した運営を行うようになる)。
では次に、一見、民営化の難しそうな省庁について考えてみよう。
厚生労働省の旧厚生省部門であるが、国公立の医療機関を民間企業に売却するのは当然として、年金の民営化によって年金局と社会保険事務所が廃止できる。医薬品などの審査は国民の安全を守るために必要だが、考えてみれば国籍や人種によって薬剤の効果が異なるわけでもないので、審査機能を国際的な専門家組織に委託することが可能だ(会計士の世界組織である国際会計基準審議会が世界共通の会計基準を作成しているように)。
医療保険と介護保険も廃止し、医療産業は完全に民営化され、人々は民間保険会社の医療保険に加入し、好きな病院で自ら選択した治療を受けるようになる。ただし医療機関は一般のサービス業とは異なって、患者に支払い能力がないからといって治療を拒否するわけにはいかないので、一定のセーフティネットは必要になるだろう(それを国家が提供するかどうかは別として)。
外務省は民営化とはもっとも遠い存在のようだが、その仕事の半分は政治家等の海外渡航のアテンドであり、これはJTBやHISなどの旅行代理店に委託できる。「小さな政府」は外国からの移民を制限しないから、ビザの発給業務は原則として不要だ。調査業務というのはCNNなどのテレビを観てレポートを送る仕事のようだが、これなら大学生のアルバイトで十分だ(もしそれが必要ならば)。他国の重要機密にアクセスしたいのであれば、自分たちで調べるよりCIAから購入したほうがずっと効率がいい。
残るのは外交交渉だが、小さな政府はいっさいの貿易規制を撤廃しているので交渉すべき事項はそれほど多くない。安全保障にかかわるような重要な外交問題は首相官邸の役割だ。どうしても大使館が必要だというのなら、旅行代理店の海外支店の一室を間借りすればいいだろう。
法務省および裁判制度を完全に民営化することは難しそうだが、民事裁判はかなりの程度まで民間組織が代替できる。これは実際にアメリカで広く行われているが、企業同士が契約を結ぶ際に、トラブルが起きた場合の調停機関(中立的な弁護士事務所など)をあらかじめ決めておき、両者ともにその裁定に従うことを約束する。面倒な民事裁判を避けて早期に和解することができるので、双方にとって好都合なのだ。民間の調停機関が常に公平な判断を行うとはかぎらないが、特定の顧客に便宜を図るような業者は次回から指名されなくなり、市場からの退出を余儀なくされるだろう。
*これは裁判外紛争手続き(ADR)として日本でも始まった。(文庫版註)
ただし刑事裁判や、民事でも損害賠償請求の強制執行などでは、なんらかの強制力が必要になるので、国家が関与する余地は残るかもしれない。
警察庁も完全民営化が難しい組織のひとつだ。しかしその機能のうち、交通取り締まりや地域の治安維持にかかわる仕事は民間警備会社で代行できる。その場合は町内会のような地域コミュニティ(ないしはマンションの管理組合)が住人から費用を徴収して個別に警備会社と契約することになる。警察は独占事業だが、民間警備会社は消費者に選ばれるべく、安価に高品質のサービスを提供するよう努力するだろう。ただし犯罪捜査に関しては、それが個人(容疑者)の権利を不可避的に侵害するものである以上、民間企業(探偵事務所)が行うのは当面は難しいだろう。
防衛省と自衛隊は、その性質上、民営化にもっとも馴染まない分野だ。イラクなどの準戦闘地域で活動する国際警備会社(傭兵のようなもの)に業務委託することも考えられるが、これはさすがに無理がある。それよりむしろ、駐留米軍に全面的に防衛業務を“アウトソーシング”するほうが現実的かもしれない。
最後に財務省・日銀と環境省だが、前者は案に相違して解体可能である。
たとえ小さな政府でも、国家を運営するには租税収入が必要だ。所得税としてそれを徴収しようとすると、必然的に、徴税機関によるプライバシーの全面的な侵害を引き起こす。これが一人いくらの人頭税(日本では住民税の均等割りがこれにあたる)であれば、各自治体が住民票に基づいて徴収すればいいだけだから、国税庁と主税局は不要になる。財源に消費税を加えても、消費税の預かり金を事業者から徴収するだけなので、徴税業務はずっとシンプルになるだろう。また小さな政府では、予算の穴埋めをするために国債を発行する必要がないので、理財局にはなんの仕事もない。予算案の作成は必要だが、これは主計局ではなく首相官邸の役割だろう。ということで、「役所のなかの役所」と言われた財務省は、じつは世の中に存在しなくてもだれも困らないのだ。
中央銀行としての日銀が必要になるのは、日本円という通貨を発行するからだ。ハイエクは国家による通貨の独占発行を批判し、複数の民間金融機関が独自の通貨を発行し信用力を競う自由な市場制度を構想したが、その実現が難しいのであれば、香港のように基軸通貨である米ドルと日本円を固定し金融政策を放棄するか、通貨そのものを米ドルに統合することで中央銀行を廃止できる。
*世界の主要通貨を加重平均した通貨バスケットを「新円」にするのもいいかもしれない。これなら国内通貨と外貨は一体化するから、円高問題は消滅する。(文庫版註)
それに対して環境省というのは、原理的に民営化不可能な役所である。なぜならその役割は、「一人ひとりの無限の欲望を駆動力とする資本主義では、地球というかぎりある資源を未来の世代に残すことができない」という認識から生じているからだ。もしこの前提が正しく、なおかつ人知によって「市場の過ち」を正すことができるのなら、環境省は必要不可欠であろう。もしそうでないのなら、もともとなんの用もない役所だったのである。