年明けに明るい話題を、とのご注文を受けて、2005年に書いた「日本がリバタリアン国家になったら」をアップします。これはウォルター・ブロックの『不道徳教育-擁護できないものを擁護する』を翻訳した際の解説の一部で、来月、『不道徳な経済学』とタイトルを変えて文庫化の予定です。
5年前の文章なので、前振りの話題が古いのはご容赦ください。現在であれば、名古屋市や大阪府、阿久根市などの騒動に置き換えて読んでいただければ(現象は変わっても本質は同じです)。
いま読み返すと、考え方が若干変わったところもありますが、加筆・訂正は最小限にしています。
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厚生労働省の特殊法人である雇用・能力開発機構は、10億円以上を投じて建設したリゾート施設を10万円で売却するなど、“勤労者の福祉”を目的に全国に建設した宿泊施設・体育館など全2070施設の大半を二束三文で売り払っているが、破格の好条件の背後で全職員の再雇用を地元自治体に要求していた。「労働者の雇用を守るべき公的機関がリストラを実施するわけにはいかない」からだという。
大阪市では長年、市職員の協力を得るためのヤミ給与、カラ残業、ヤミ年金が常態化し、バス運転手の給与が年収1400万円を超え、社会問題になったスーツ無料支給ばかりか、長期勤続や結婚記念日、子どもの誕生記念など冠婚葬祭のたびに旅行券・図書券・観劇スポーツ観戦券、祝い金・弔慰金が贈られていた。そのうえ職員互助組合は交付金で豪華な福利厚生施設を建設し、それを市に寄付して固定資産税を逃れてもいた。ところが市職員やOBは、ヤミ給与・ヤミ年金、各種福利厚生の廃止に対して「すでに全額受給した人と比べて不公平」と猛反発している。
バブル崩壊とその後の長い不況を経て、“役人天国”日本でもようやく公務員の実態が白日の下にさらされるようになったが、それでも人々はまだ「ありうべき公僕」を求めている。よき公務員の条件とは、すぐれた能力と自己犠牲の精神によって国家の発展と国民の幸福のために献身することだ、と。一部の堕落した役人を矯正すれば、いずれは福祉の向上に邁進する真の公務員に生まれ変わるにちがいない――。
しかしリバタリアンは、こうした牧歌的な偶像を完膚なきまでに破壊する。彼らは市民から問答無用で税金を取り立て、公金を横領し、利権を漁り、いったん手にした既得権を絶対に手放そうとはしない。すなわち、公務員は市民社会の敵なのだ。
本書を翻訳しながら、「日本がリバタリアン国家になったらどうなるか」を何度となく想像してみた。そこで最後に、私なりの“ありうべき日本の姿”を紹介しておきたい。他人の本の解説で勝手なことを書くのは気がひけるが、一人ひとりがリバタリアンな未来を語ることからしか「改革」ははじまらないのだから、ブロック教授も私のささやかなわがままを許してくれるにちがいない。