『週刊現代』11月6日号の特集「金持ちでも不幸、貧乏でも幸せ――年収は減っても幸せは減らない デフレ経済の賢い生き方・考え方」の一部として掲載されたインタビューを、編集部の許可を得てアップします(投資の話が唐突に入っているのは、後続記事との関係です)。「どうすれば「恐竜の頭」が見つかりますか?」と合わせてお読みいただければ。
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たくさんのお金を手に入れたからと言って、人は幸福になれるわけではありません。宝くじの高額当せん者を追跡調査すると、不幸になるケースの方がずっと多いことがわかっています。
「一億円当たった」という噂が流れると、それまで疎遠だった親戚や知人が、分け前にあずかろうと押しかけてくる。彼らを邪険に扱うと、これまでの近所づきあいや友人関係まで消えてなくなってしまう。買い物や旅行でお金を使い果たす頃には、「自分には何も残っていない」と気づいて愕然とするわけです。
ヒトにとっての幸福とは、「愛情空間や友情空間で他者から承認されること」以外にありません。それを実現するにはいくつかの方法がありますが、理想は、自分の好きなことや得意なことを仕事にして高い評価を獲得することでしょう。
ジョン・レノンは歌で、メッシはサッカーで世界中から愛され、莫大な富を手にしました。
ただし、そんな夢を実現できる幸運な人はきわめて限られています。私たちの大半は、生きるためになにかをあきらめなければならないのです。
もう一つ覚えておかなければならない大事なことは、「ヒトはお金を稼ぐことで幸福になれるようにデザインされてはいない」ということです。
何かをあきらめる
このことは、人間の感情が進化の過程でつくられてきたという事実から、簡単に説明できます。生命の誕生が40億年前、霊長類のなかでヒトが分化したのが600万年前なのに、農耕と交易で貨幣が生まれてまだ1万数千年しか経っていません。この「短い」期間では感情という基本プログラムは変化しませんから、貨幣の多寡が幸福感と直接結びついているわけではないのです。
こう語るのは、作家の橘玲氏。2002年に『マネーロンダリング』でデビューして以来、ベストセラーになった『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』をはじめ、主に経済、金融、投資などをテーマに『貧乏はお金持ち』『亜玖夢博士のマインドサイエンス入門』など、数々の話題作を発表している。
そんな橘氏が、好評の近著『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』の内容に沿って、この時代の「お金と幸福の関係」を語る。
日本経済を、深刻なデフレが蝕んでいます。モノの値段が下がり、給料も下がり続けている。なぜこういうことが起きているのか、理由はマクロ経済の専門家でない私にも、ある程度はわかります。
一つは、藻谷浩介氏が『デフレの正体』で指摘したように、日本の労働人口が減少し、生産も消費も縮小しているから。もう一つは、消費者が「安くて品質の良いモノ」を求めるから。企業はそのニーズに応えるために効率化を進め、結果として、ますますモノの値段は下がっていきます。
パイが縮小する中で価格を下げる競争をしているのだから、構造的にデフレが続くのも当然の話なのです。
そんな時代、多くの企業は「安くて良いモノがほしい」という消費者ニーズを満足させるために、仕事のマニュアル化を進めています。誰がやっても同じ時間で同じ結果が出るように、マニュアルはどんどん緻密になっていく。社会学者はこの徹底した効率化を、「マクドナルド化」と呼んでいます。
規格を統一し、仕事の細部までマニュアル化することで、マクドナルドは世界のどこの店でも、短時間でまったく同じハンバーガーやフライドポテトを提供できるようになりました。この仕組みは従業員の習熟したスキルや臨機応変の判断を必要としませんから、能力に対してお金を払う必要がありません。日本でこのマクドナルド化をもっとも完璧に実行しているのが、牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショーです。
残りの人生で必要な金額
ゼンショーは、元東大全共闘の社長が「世界から飢餓と貧困をなくす」という壮大な理想を掲げて起業した会社で、安価で良質な牛丼を提供するために、すべての作業手順を秒単位で決め、深夜は一人のクルーが調理と接客をこなし、それを本部が監視カメラでモニターする、米国海兵隊のような超効率的組織をつくりあげました。従業員の評価はいかにマニュアル通りに動作できるかで決まり、個性や工夫を反映する余地は一切ありません。その結果、労働生産性でトヨタを凌ぎ、売上高でマクドナルドに迫る驚異の急成長を実現したのです(『日経ビジネス2010年9月20日号』)。
マニュアル化した仕事の総称が、「マックジョブ」です。マクドナルド化は消費者が求める安くて快適なサービスを提供する唯一の方法ですから、グローバル化の進展によって、仕事におけるマックジョブの割合はどんどん増えていきます。「市場原理主義」の実験場であるアメリカではすでに、マックジョブが8割、専門職や管理職などのクリエイティブクラスが2割と二極化しています。
このようにして、能力を開発し、自分を「変える」ことでクリエイティブクラスを目指す自己啓発が大流行することになりました。もちろん、クリエイティブな職業とマックジョブを比較すれば、前者の方が高い収入が得られることは間違いありません。
しかしその一方で、クリエイティブクラスは、進行中のプロジェクトで常に結果を出すことを求められます。それに成功すれば、さらに重要な仕事を任されますが、失敗すれば次はない厳しい世界です。クリエイティブクラスを目指すのは能力の高い人ばかりなので、競争はますます激しくなり、大きなストレスに晒されます。
そう考えれば、マックジョブが「不幸な仕事」とは一概に言えません。マニュアルどおりに作業すればどんな結果になろうとも責任を取る必要はなく、サラリーマンのように、仕事の成果だけでなく、上司や部下、同僚の評判まで気にする必要もありません。
マックジョブで幸福は得られないかもしれませんが、仕事に悩んでうつ病になったり自殺したりすることもありません。「クリエイティブクラス=高給=幸せ」「マックジョブ=低賃金=不幸」という二元論は、常に正しいとは限らないのです。
もちろん市場経済の社会では、お金が幸福の必要条件になることは事実です。お金があっても幸せになれるとは限りませんが、なければ幸せは得られません。
そこで、幸福になること(他者の承認)とお金を稼ぐことを分け、ストレスのないマックジョブで生活に必要な貨幣を効率的に獲得し、愛情や友情はそれとは別の場所で手に入れればいい、と考える人が出てきます。仕事に自己実現は必要ないと割り切れば、これは幸福な人生のための有効な戦略のひとつでしょう。
これと同じく、投資によって効率的にお金を稼ごうとするのも、きわめて合理的な行動です。ただし、このときに大事なのは、「その行動はほんとうに合理的なのか」を自問することです。
「使っても使っても減らないお金」のような荒唐無稽な話に多額の資金を投じたり、「私はこうして1億円稼いだ」といった体験談を真似したりするのは、もっとも効率的に破滅する方法です。確かにFXで1億円儲けた人はいるでしょうが、トレーディングの本質はゼロサムゲームなので、その背後には同じハイリスクを取って失敗した無数の参加者がいます。ただ彼らはメディアに登場することがないので、その存在に誰も気づかないだけなのです。
日本人はいま、かつてなく大きな不安に怯えています。家族、会社、国家など、これまでは絶対的に信頼できた存在が大きく揺らぎ、「倒産やリストラで収入がいつ途切れるかわからない」「年金が崩壊したら老後はどうなるのか」……といった恐怖に誰もがさいなまれています。
ではこの不安を解消し、あなたが今後の人生で経済的な独立を手に入れるためには、どのくらいのお金が必要なのでしょうか。1億円? 5億円? 答えは一概には言えません。それは、あなたが求める生活によって異なってくるからです。
私は会社を辞めて独立する時、「いくらあれば公園のホームレスにならずにすむか」を真剣に考えました。答えは3000万円でした。ずいぶん少ないと思うでしょうが、日本を捨ててタイやフィリピンなどの東南アジアに移住すれば、これで一生それなりの暮らしができるとわかったからです(円高の今ならもっと少額ですむでしょう)。
これを知って、私は精神的に非常に楽になりました。3000万円という実現可能な目標を設定したことで、それを達成した後は、「好きなことだけやって生きていけばいい」と気楽に考えられるようになったからです。
好きなことを評価されれば、そのことがもっと好きになり、市場の評価が収入につながります。お金と仕事との幸福な関係は、こうしたサイクルの中でしか成立しないのだと思います。
生活の基本コストを下げれば、人生に余裕が生まれます。逆に生活コストが高いままだと、永遠に不安は解消されません。
日本人は世界中でもっとも要求水準の高い国民です。高級住宅地の一戸建てに暮らし、子どもは幼稚園から私立に通わせ、車はベンツかBMWで、年に一度はヨーロッパ旅行を……などと考えていては、1億円や2億円あっても不安なのは当然です。
べつに日本を脱出しなくても、マイカーをあきらめたり、マイホームを賃貸に切り替えたり、生活の基準を見直すだけで、人生をよりポジティブに考えられるようになります。将来への漠然とした不安が払拭されれば、おかしな投資に手を出すこともなくなるでしょう。私たちにとって、それがお金と幸福を両立させる最良の道ではないでしょうか。
インタビュー:平原悟