UBSのビジネスモデル
UBSはスイス・ユニオン銀行とスイス銀行が合併して1998年に生まれたグローバル金融機関で、SGウォーバーグやペインウェーバーなどの投資銀 行・証券会社を次々と買収し、米国内でも広範なビジネスを展開してきた。だがその一方で、チューリッヒやジュネーヴに米国人顧客を担当する70〜80人規 模のプライベートバンカーを抱え、彼らが観光などを装って頻繁にアメリカに入国し、顧客を開拓していた。
金融業はどの国でも免許制・登録制で、国外金融機関による営業行為は認められていない。この規制をかいくぐるために、UBSはプライベートバンカーと顧客が“私的に”出会う状況を巧妙につくり出していた。事件の発端は、一人の元行員がそのカラクリを暴露したことだった。
ブラッドレイ・バーケンフェルドはボストン育ちのプライベートバンカーで、ロシア移民の大富豪の脱税を幇助したとして08年5月に起訴され、司法取引を求めて全面的に容疑を認め、裁判での証言に応じた。
それによればUBSは、富裕層の避寒地として知られるフロリダ・パームビーチなどで頻繁に美術展やスポーツイベントを主催し、それに合わせて行員を 出張させていた。UBS行員が偶然を装って会場の参加者に声をかけると、「お仕事は何を?」と聞かれる。「スイスの銀行に勤めています。なにかお役にたて ることがあれば」と名刺を渡せば、誰もがたちどころにその意味を理解したという。顧客がスイスのプライベートバンクに求めたものは、守秘性と租税回避で あった。
スイスでは、無申告や申告漏れなどの消極的脱税と、書類の偽造などをともなう積極的脱税が区別されている。刑事罰の対象となるのは積極的脱税だけで、消極的脱税は駐車違反と同じく罰金などの行政罰しか科されない。
海外の金融資産で得た利益を申告しないのは米国では脱税とされるが、スイスでは違法ではないのだから、顧客情報は銀行秘密法によって守られる。米国 とスイスは租税条約を締結しているが、たんなる無申告は情報交換の対象外だ。かりに米国人顧客が市民の義務を無視したとしても、その事実が税務当局に知ら れて不利益を被るおそれはないと考えられていた。
UBSが地元のライバルたちから富裕層の顧客を奪い取るには、彼らにはない特別な便宜を提供できなくてはならない。バーケンフェルドの証言は、それが脱税幇助であったという身も蓋もない事実を白日の下に晒した。
UBSのビジネスモデルは、言ってみれば、スイスの主権を利用して米国の主権を侵害する、というものだ。その手口が明らかになった以上、米国当局が彼らの論理を受け入れないのは当然であった。
「我々は犯罪者ではない!」
08年7月17日、米上院調査委員会は『タックスヘイヴンの銀行と米国の税法遵守』という大部の報告書を公開し、そのなかで米国内でのUBSの営業 活動について詳細に分析している。それによれば、UBS経営陣も米国への“偽装出張”にともなう法的リスクは承知しており、02年以降、神経質なまでに出 張規定を見直していることがわかる。だがそれでも、この危うい商慣習を止めることはできなかった。
彼らが逡巡した最大の理由は、出張の取り止めが世界最大の富裕層市場を失うことに直結するからだ。富裕な顧客は担当者が会いにくることを当然と考え ており、電話やメールで取引をしようとは思わない。機嫌を損ねれば、彼らはさっさと別の金融機関に移っていくだろう。米国市場からの利益が大きくなるにつ れて、それを維持するためだけに定期的に担当者を出張させなくてはならなくなった。
プライベートバンカーは金融機関の看板を借りて商売をする自営業者のようなもので、その給与は利益と連動している。より多くの報酬を得るために、彼 らは常に新たな顧客を開拓しようと営業する。それを禁止すれば、自分の顧客を連れて他のプライベートバンクに移っていくに違いない。
その一方でUBSは、2000年にアメリカの大手証券会社ペインウェーバーを108億ドル(約1兆円)で買収し、フィナンシャルアドバイザーとも提 携して、米国の金融機関としてUBSブランドのプライベートバンキング・サービスを提供しはじめた。UBSは、オンショア(国内)の金融機関として米国の 法令を遵守する義務を負いつつ、同時にオフショア(国外)の金融機関として脱法的な手法の営業行為を続けていたのである。
02年11月に米国内の顧客に送った手紙で、UBSは次のように彼らの不安をなだめている。
「守秘性におけるみなさまとUBSの関係はこれまで同様堅固なものであり、(ペインウェーバー買収によって)米国当局の圧力があったとしてもなんら 変わることはありません。UBSは最初の米国事務所を1939年に設立しており、それ以来、海外の預かり資産の法的権限に関して米国当局と緊張関係にあり ました。我々がこの問題を成功裏に処理してきたことは、歴史の教えるとおりです」
だがその裏側で、利益と法的リスクをめぐる矛盾は深刻の度を増していた。上院調査委員会が公開したUBSの内部資料のなかに、米国出張に関する細かな内規がある。当局者から職質を受けた際の注意事項が、彼らのビジネスの本質を端的に表わしている。
「パニックになるな。慌てるな。我々は犯罪者ではない!」
リーマン・ショックが魔力を消した
バーナード・マドフはアルバイトで貯めた5000ドルの資金で証券会社を興し、ナスダック会長の地位にまで上り詰めた立志伝中の人物で、自らヘッジ ファンドを運用し、デリバティブを駆使した独自の戦略で、市場の乱高下にもかかわらず毎年10パーセントを越える利益をあげていた。
08年12月、マドフはすべてが「ひとつの大きな嘘」だったと告白した。ファンドに実態はなく、新規の資金を配当に回すねずみ講によって運用されて きたのだ。被害総額は500億ドル(5兆円)にのぼるとも言われ、大手銀行や著名人も多額の資金を失った。ヘッジファンドを組み合わせた個人向けの金融商 品にもマドフのファンドは組み込まれており、プライベートバンクを通じて富裕層に販売された。
マイケル・ルービンシュタインは富裕層向けに豪華ヨットを建造・販売する会社の会計士だったが、4月2日に脱税容疑で逮捕された。自宅を新築するた め、スイスのプライベートバンクに預けた資金を、ペーパーカンパニーを使って国内に送金したのだ。米国の圧力を受けてUBSは顧客情報の一部を開示した が、ルービンシュタインはそれによる摘発第一号となった。
プライベートバンクは、顧客の資産を保全し秘密を守ることで信用を築いてきた。だがリーマンブラザーズ破綻後の金融危機が、それを土台から吹き飛ば してしまった。 “資産運用のプロ”として、プライベートバンクはサブプライムローンを組み込んだヘッジファンドや仕組み債を大量に売り捌いてきた。投資信託や株式の売買 よりも、ずっと多くの手数料が入ったからだ。市場の暴落を受けてこれらのヘッジファンドの多くは解約を停止し、仕組み債は紙くずになった。
UBSが銀行機密情報の秘匿を確約した大切な顧客たちはいま、破滅の足音に怯えている。米税務当局はUBSから600件以上の情報提供を受けたとされているが、顧客にはそのリストに自分の名前が載っているかどうかを知る術はないのだ。
UBSはプライベートバンカーが米国に出張することをクロスボーダー(越境)取引と呼んでいた。この名称は、主権の壁を利用して、国内金融機関には できないサービスを提供する彼らのビジネスモデルをよく表わしている。だがオフショアからオンショアに越境し、他国の領土に擬似的なタックスヘイヴンをつ くりだすことで法外な利益をもたらした魔法の杖は、その効力を失ってしまった。