プライベートバンカーの告白
“自由の国”アメリカは、世界でもっとも厳しい税制を国民に課している。日本を含むほとんどの国は属地主義を採用し、非居住者には原則として納税義務がない。それに対してアメリカは属人主義で、アメリカ市民(居住者)であれば、世界のどこにいようとも全世界からの所得に対して米国に納税義務を負う。アメリカ政府は国外居住者を含むアメリカ市民に対し、1万ドル以上の資産を海外の金融機関に保有する場合はIRSに報告し、利子・配当、譲渡所得などを申告納税するよう義務づけている。
だが金融のグローバル化のなかで、こうした規制は徐々に効果を失っていった。企業や富裕層はオフショアにペーパーカンパニーや信託・財団を設立し、資産を隠蔽し課税を逃れてきたからだ。米国上院調査委員会は、これによって毎年最大700億ドルの損失が国庫に生じていると推定している。租税回避はいまや巨大ビジネスで、その甘い蜜に世界じゅうの金融機関が群がっている。
2008年5月7日、米司法当局はUBSアメリカ部門トップを事情聴取のため拘束したと発表した。さらに13日、オレニコフへの脱税幇助の容疑でバーケンフェルドとリヒテンシュタイの信託責任者を起訴した。バーケンフェルドは司法取引を求めて全面的に容疑を認め、米国の富裕層に脱税の手助けをしていた事実を裁判で証言した。
バーケンフェルドによれば、スイスのUBSには米国内の顧客を担当する70〜80人のプライベートバンカーがおり、観光などを装って頻繁にアメリカに入国していた。出張にあたって書類の携行はいっさい許されず、暗号化されたパソコンを使い、顧客をコードネームで呼び、プリペイドの携帯電話で海外経由の通話をし、ホテルを頻繁に変え、当局に質問された際は黙秘権を行使して弁護士に連絡する規則になっていた(バーケンフェルドは、オレニコフのために歯磨きのチューブにダイヤモンドを隠して持ち込んだこともあった)。
米司法当局はこの証言に基づき、UBSにはおよそ2万件の米国人口座があり、総額200億ドルの資産から毎年3億ドルが脱税されているとして、銀行側に対し米国人顧客の情報を提供するよう求めた。
スイス銀行秘密法
スイス銀行法47条(銀行秘密法)では、「職務上知りえた秘密を漏らした者」に対し、懲役刑を含む刑事罰を科すと定めている。この条文には例外規定がないため、スイスの金融機関はどのような場合でも第三者に顧客情報を開示することはないと考えられていた。
この守秘性は金融立国スイスを支える礎であると同時に、犯罪資金やテロマネー、独裁者の資産を不当に保護しているとの批判も浴びた。そのためスイス政府は98年にマネーロンダリング防止法を施行し、違法な口座を排除するよう銀行に義務づけた。だが、脱税に関しては話は別だ。
スイスでは、無申告や申告漏れなどの消極的脱税と、書類の偽造などを伴う積極的脱税が区別されている。刑事罰の対象となるのは積極的脱税だけで、消極的脱税は駐車違反と同じく罰金などの行政罰しか科されない。利益を申告しないのはスイスでは違法ではないのだから、口座保有者は銀行秘密法によって固く保護されているはずだった。
ところがオレニコフの裁判では、プライベートバンカー自身が脱税幇助を認めている以上、この杓子定規な論理で米司法当局を納得させるのは不可能だった。そこでUBSは、米国人顧客の情報をスイス税務当局に提供したうえで、悪質な税逃れ(積極的脱税)と認定された約300件を米国に引き渡した。オフショア部門の米国からの完全撤退に加え、大口の脱税者をスケープゴートに差し出すことで恭順の意を表そうとしたのだ。
だが11月12日、UBSをさらなる衝撃が襲った。プライベートバンキング部門を統括していた最高幹部のラウル・ワイルRaoul Weilが脱税の共謀犯として起訴されたのだ。ワイルはすでにスイスに帰国しており、裁判所の出頭命令に応じなかったため、翌年1月に逃亡犯として指名手配された。
かつて最高のプライベートバンクと讃えられたUBSは、「犯罪銀行」のレッテルを張られようとしていた。