第6回 金融界に潜む「カオナシ」

宮崎駿の『千と千尋の神隠し』にカオナシというさびしい魔物が登場する。いつもお面を被っていて、みんなに好かれようと黄金をばら撒くけれどそれはただの土くれで、自分では声を出すことができず、話をするには他人を飲み込んでその声を借りるしかない。

だいぶ前の話だけど、あるネット銀行の外貨預金の宣伝で、このカオナシを思い出した。

ほとんどの銀行では、日本円を米ドルに両替するのに1ドル=1円の為替手数料がかかる。それに対してこのネット銀行では、1ドル=25銭で両替ができる。もともと銀行の為替手数料は高すぎるから、それが4分の1になるのは素晴らしいことだ。そのうえ外貨預金の金利も、ほかの銀行より高いのだという。

すっかり感心した僕は、さっそく口座開設の資料を取り寄せた。でも説明を読んでいて、ふと疑問に思った。どこにも外貨送金について書いてないのだ。

そこで電話をかけて聞いてみると、外貨での送金は扱っていないと言われた。いったん日本円に戻さないと、どこにも資金を動かせないのだという。

僕はそれまで、銀行は決済機関だと思っていた。送金や振込をしたり、ATMから現金を引き出したり、クレジットカードの請求を引落としたりできなければ、誰も豆粒みたいな金利のためにわざわざ預金しようなんて思わないだろう。
もちろん円預金と外貨預金はちがうけれど、決済機関なら外貨でも送金できて当たり前だ。円を外貨に替えて、その外貨をもういちど円に戻さなくてはならないのなら、やっていることはFX(外国為替証拠金取引)と同じだ。

FXでは、厳しい競争によって、ドル/円の為替手数料(スプレッド)は2~5銭まで下がっている。金利(スワップ金利)も、銀行の外貨預金よりはずっと高い(もっとも最近はマイナス金利になることもある)。そのうえ証拠金取引だから、元本の何十倍も無利子でお金を貸してくれる。

ネット銀行の外貨預金をFXと比べれば、ドル/円25銭の為替手数料はずいぶん割高だし、レバレッジをかけた取引などできるはずもない。唯一の取り得はマイナス金利がないことだけど、米ドルで0.05%程度の金利にどれほどの魅力があるのだろう。外貨預金のときはあんなにきらきら輝いていたのに、FXの一種だと思ったとたん、すべてが色あせてしまった。

この商品の問題は、なにもかも中途半端なことだ。ふつうの常識があれば、外貨送金したい人は外資系銀行を使うだろうし、為替取引が目的ならFX会社を利用するだろう。送金のできない外貨預金とか、証拠金取引のできないFXでは、なんのためのサービスかわからない。ようするに、自分の顔がどこにもないのだ。ほんとうは、もっと魅力的になれるのに。

宮崎アニメでは、カオナシは最後に自分を取り戻した。金融界のカオナシくん、君のアイデンティティはいったいどこにあるんだい?

橘玲の「不思議の国」探検 Vol.6:『日経ヴェリタス』2010年1月10日号掲載
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