第2回 絶滅危惧種になる前に

僕たちがふだん当たり前だと思って受け入れていても、世界基準(グローバルスタンダード)で見れば不思議なことがたくさんある。そんな「ガラパゴス化」した金融サービスを探検してみようというのがこの連載のテーマで、第1回では、海外のカードが日本の銀行でまったく使えないという話を書いた。

これがどんなに異常なことかは、海外を旅行してみればすぐにわかる。標高4000メートルのチベットでも、熱帯雨林に覆われたボルネオでも、銀行に行けば世界じゅうのカードで現金が引き出せる。それに対して“超ハイテク都市”東京では、丸の内や六本木ですら、外国からの旅行者はATMカード片手におろおろしている。僕たちはふだんそういう姿に気づかないから、「問題」と認識していないだけだ。

ATMの国際ネットワークにはVISA系のPLUS(プラス)やMaster系のCirrus(シーラス)があって、この規格に対応していれば世界じゅうどこでも使える。これはとても便利なサービスなので、たいていの金融機関は“世界仕様”を採用している。ところが日本の銀行だけは進化の流れに背を向け、独自仕様のコモドオオトカゲみたいになっている。

日本の銀行のATMカードが海外では使えないのも同じ話だ。僕は10年くらい前にタイの銀行に口座を開いたとき、そこに当たり前のように「PLUS」のロゴがあるのを見て、思わず考え込んでしまった。

日本の銀行でも、「国際キャッシュカード」を申し込めば海外での利用が可能だ。でも手数料が高いので、今でもほとんど普及していない。それ以前に、一般カードと国際カードを分けるなんてことをやっているのは日本の銀行だけだ。

なぜ賢明なはずの銀行経営者は、すべてのカードを国際対応にしないのだろうか。海外旅行のときに使ってもらえば、為替手数料だけでもかなりの収入になるはずだ。それともタイの銀行にできて日本では不可能な特別な理由でもあるのだろうか。

一生のうちに数回しか海外に行かない人には、ATMカードが国際規格かどうかなんてどうでもいい。そういう顧客がほとんどだから、「国際化」なんて面倒くさいだけだ――日本の金融機関は(というか日本社会全体が)、そんな内向き志向で規格やルールを決めている。でもガラパゴスの島で独自の進化を続けていては、絶滅危惧種として国家の保護を受けながら生きていくしかない。

日本の金融マン・ウーマンは、おそらく世界でもっとも優秀で勤勉だ。それなのに旧態依然の制度に縛られて、顧客は不便で割高なサービスを強いられている。これはとても不幸なことだ。

でも僕は信じている。固陋と因習の島から、大空へと飛翔する日が来ることを。そのために必要なのは、ほんのちょっとの勇気と工夫だけなのだから。

橘玲の「不思議の国」探検 Vol.2:『日経ヴェリタス』2009年10月18日号掲載
禁・無断転載