作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
辺野古沖事故の「報道しない自由」とメディアの末路(週刊プレイボーイ連載682)
沖縄の辺野古沖で小型船「不屈」「平和丸」の2隻が転覆し、牧師でもある「不屈」の船長と、修学旅行で「平和丸」に乗船していた同志社国際高校の女子生徒が死亡した事故が波紋を広げています。この船は米軍辺野古基地の移設に反対する団体が保有しており、学校は「平和学習」の一環として、希望する生徒が海上から基地建設現場を見学するプログラムだったと説明しています。
一般論としていえば、私立高校が社会学習として、生徒に沖縄の歴史や基地問題を体験させることには意義があるでしょう。事態を複雑にしているのは、この小型船を保有する団体が座り込みなどの強硬な抗議活動を主導しており、それに対して保守派の強い批判があったことです。一方、この海難事故を利用して沖縄の平和運動を否定し、米軍基地移設を既成事実にしようとしているとの反発もあります。
そんななか、女子生徒の遺族がnoteで、「平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達」から「対面しての直接の謝罪、面会可否の問い合わせ、託された手紙、弔電、何ひとつありませんでした」と訴えました。
これは事故の当事者の対応としては信じがたいものですが、さらに驚くのは、京都で小学生の男児が行方不明になり、その後、遺体で発見された事件について枝葉末節まで報じているメディアが、この件についてはほとんど触れようとしないことです。
その理由は、この事故が報道機関にとって「面倒な案件」になっているからでしょう。政治的な立ち位置がはっきりしている保守系のメディア以外は、どのような報道も右や左から「偏向している」と叩かれ、炎上するリスクがあります。テレビのワイドショーでは、コメンテーターを探すことすら難しいでしょう。その結果、自治体や海上保安庁など関係機関の発表をアリバイづくりのように報じるだけになっています。
しかし、遺族が求めているのはこのような事なかれ主義の「客観報道」ではなく、事故にかかわったとされる平和丸の船長や、一方的に「謝罪会見」を開いただけで遺族とは接触しようともしない団体に取材し、その真意を問いただすジャーナリズムでしょう。
遺族に名指しされた平和丸の船長は事故後、名護市のスナックで泥酔しているところを週刊誌に取材され、出航を決めたのは(死亡した不屈の)船長で、「死人から? 死人を起こして聞いた方がいいよ」と、まるで自分が被害者であるかのような主張をしています。船を保有している抗議団体については、謝罪できないのは賠償責任を負いたくないからだと囁かれています(この団体は遺族の訴えのあと、あわててホームページに謝罪文を掲載しました)。
こうした対応が白日のもとにさらしたのは、日本政府や米軍、「権力」の責任を声高に追求してきたひとたちが、自分たちの責任からは逃げ回るというグロテスクな姿です。さらに絶望的な気持ちにさせられるのは、沖縄の「悲劇の歴史」を風化させるなと警鐘を鳴らしてきたリベラルなメディアが、「報道しない自由」によってこの悲劇を風化させ、遺族が自ら声を上げざるを得ない状況に追い込んだことです。
ひとつだけ確かなのは、これからはどのような加害行為でも、「正義」を振りかざして「自分たちは被害者だ」といいつのれば許される前例をつくったことでしょう。
参考:「〈辺野古転覆事故〉スナックで泥酔した「平和丸」船長が直撃取材に答えた! 「出航を決めたのは俺じゃない」「死人を起こして聞いた方がいい」」『デイリー新潮』2026年3月25日配信
『週刊プレイボーイ』2026年5月11日発売号 禁・無断転載
イゴールの物語
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2012年10月公開の記事です。(一部改変)

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ツァールスコエ・セローはサンクトペテルブルグの南にある「皇族の村」で、ピョートル大帝が妃エカテリーナ1世のために建てた豪華な宮殿と美しい庭園で知られている。
第2次世界大戦でサンクトペテルブルグ(当時のレニングラード)を包囲したドイツ軍はこの宮殿に陣を構え、冬を迎えた。時に零下20度を下回る極寒に、ドイツ兵たちは庭園の樹々をすべて切り倒して薪にし、それがなくなると宮殿内の調度品をつぎつぎと火にくべた。貴金属や美術品は収奪され、戦争が終わる頃には絢爛たる宮殿はただの廃屋と化していた。
宮殿の復旧はソ連時代から進められていたが、サンクトペテルブルグ出身のプーチンが権力を握ると国家の威信をかけた一大事業となり、2003年、サンクトペテルブルグ建都300周年にその全貌が一般公開された。
宮殿には壁一面が琥珀細工で覆われた「琥珀の間」があり、その美しさは世界的にも知られていた。ドイツ軍は撤退の際に、ヒトラーへの献上品としてこの豪華な装飾を壁ごと切り出して持ち去ってしまった(その後の行方は謎のままで、輸送船ごとバルト海に沈んだともいわれる)。プーチンは、ロシア全土から琥珀を集め、カネに糸目をつけず、この幻の部屋を現代に甦らせたのだ。
社会主義から資本主義へという価値観の大転換
サンクトペテルブルグで日曜日が1日空いたので、この有名な宮殿を見学しようとホテルのフロントの女性に行き方を聞いた。すると彼女は、「エカテリーナ宮殿はサンクトペテルブルグでいちばん人気のある観光地で、週末はすごく混雑するから、個人で行っても入場を断わられる」という。ほんとうかどうかわからないが(あとで確認するとガイドブックにもたしかにそう書いてあった)、片道1時間かけて追い返されるのではかなわないから、彼女の勧めにしたがってツアーガイドを頼むことにした。
こうして、イゴールがやってきた。53歳で、自分で小さなツアー会社を経営しているという。身長はそれほど高くないが、がっしりとした体型で、スーツにネクタイを締めている。
車内で彼からサンクトペテルブルグの歴史についてさんざん聞かされ、宮殿を見学した。個人ガイドはどこでもフリーパスで、団体客の列に並ぶ必要もないから、たしかにものすごく効率がいい。
琥珀の間を含むさまざまな見所を案内されたあと、庭園に出た。終戦直後はわずか1本の木しか残っていない荒地だったが、往時の記録をもとに東屋まですべて再現したのだという。そんな話をひととおりすると、「なにか質問はないか」という。
歴史の話は聞き飽きたので、ソ連時代はなにをしていたのか訊いてみた。イゴールは、ちょっと驚いた顔をした。そんなことに興味を持つ観光客は、あまりいないのだろう。
イゴールは私を、池の畔のベンチに座らせた。それから私の前で仁王立ちになると、えんえん1時間にわたって自分の半生を語りはじめた。
以下は、社会主義から資本主義へという価値観の大転換を経験した一人のロシア人の物語だ。 続きを読む →
給付付き税額控除、「個人」「法人」の使い分けに見る制度のバグ(日経ヴェリタス連載127回)
超党派の社会保障国民会議で「給付付き税額控除」の導入に向けての議論が始まった。コロナ禍の一律10万円給付が典型だが、日本ではこれまで、なにかあるたびにお金をばらまいてきた。しかしこれでは、あまりに非効率で不公平だ。
突然のパンデミックで仕事を失い、路頭に迷ってしまったひとは、10万円ではまったく足りないだろう。その一方で、お金には困っていないが、とりあえずもらっておく、というひともいたはずだ。
それに対して給付付き税額控除は、一定の所得以下のひとに所得税を減税するだけでなく、控除できなかった差額を現金で給付する。ばらまきに比べれば、このほうがはるかの合理的で公正だ。
制度設計の課題は、所得や資産を正確に把握できないことだ。都内の一等地に暮らす、年金以外に所得がない資産家は給付の対象になるのか。サラリーマンは源泉徴収と年末調整で所得がガラス張りだが、自己申告の自営業者は、給付を受けるために申告所得を調整する誘惑にかられないだろうか。
「税金が安くなる」よりも「お金がもらえる」ほうがずっとインパクトが大きいので、給付付き税額控除を導入した海外でも、制度の定着に苦労しているようだ。
もちろんこうしたことはすでに議論の俎上に上がっているだろうが、ここではあまり触れられない問題を指摘したい。
「マイクロ法人」は私の造語で、自営業者の法人成りのことだ。これによって、「個人」と「法人」の2つの人格を使い分けるという不思議なことができる。
マイクロ法人では、法人(自分)から個人(自分)に役員報酬を支払うが、この額は自由に決められる。法人の所得を減らせば個人の所得が増え、個人の所得を減らせば法人の所得が増えるから、結果的に、どちらの人格で納税するかを選んでいるわけだ。
私がこの方法に気づいたのは20年以上前で、そのときは「個人所得を増やしなさい」が定番のアドバイスだった。当時はマイクロ法人や家族経営の法人は国民年金・国民健康保険に加入するのがふつうで(厳密には違法だったが)、保険料は国民年金は定額、国民健康保険は上限が低く、所得を個人で受け取ったほうが有利だったからだ。
だがその後、政府の景気対策で法人税の税率が大幅に引き下げられる一方で、法人への社会保険加入義務に強化されたことで、状況が大きく変わり、「個人所得を減らしなさい(法人で納税しなさい)」になった。社会保険料は報酬に連動して決まるので、個人の所得を減らすと負担が軽減できるのだ。
ここまでは、制度のバグを利用した一般的な節税(節社会保険料)対策だが、この手法では個人の所得がかなり少なくなることがある(社会保険料負担を最低限にするには年収75万円程度にすればいい)。
だがこれでは、給付付き税額控除の導入で、法人で大きな収入がありながらも、個人で給付を受けるという不合理なことが起きかねない。だからといって、法人の所得と個人の所得を合算して把握するのは簡単ではないだろう。
私にはこれを解決する名案はないが、せめて節税で個人所得を減らしている場合は、給付対象から自主的に除外してもらうオプトアウトの制度をつくるのはどうだろう。これで、不公平感は多少はやわらぐのではないだろうか。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.127『日経ヴェリタス』2025年4月25日号掲載
禁・無断転載