中国共産党という秘密結社

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年12月公開の記事です。(一部改変)

Tang Yan Song/Shutterstock

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フリーメーソンの起源は諸説あるが、よく知られているのは中世の石工組合から始まったというものだ。

石工といっても石垣をつくる肉体労働者ではなく、教会などの大型建築に携わった建築家集団のことだ。彼らは当時としては最先端の技術者で、華麗なゴシック様式の教会をつくりあげる特殊な技法は師から弟子へと伝えられた。彼らはこの技術を携えてヨーロッパじゅうを移動し、「自由なメーソン」と呼ばれるようになった(だからフリーメーソンのシンボルは直角定規とコンパスだ)。

啓蒙主義の時代になると、イギリスやフランスで知識人がフリーメーソンに続々と入会した。モンテスキューやヴォルテールなどの哲学者のほか、フランス革命の指導者の多くがフリーメーソンだったため、その特異な入会儀式や階級とあいまって、「体制転覆を目指す秘密結社」のイメージが定着していく。

だがこれは話が逆で、フランス革命前夜、王政打破を目指す啓蒙主義の知識人は反体制派として権力の弾圧を受けていた。そのため彼らは、自分たちの主張や政治行動を秘密にする必要に迫られていた。

そのようなとき、「秘密」をメンバーだけに囲い込む汎ヨーロッパ的な組織が手近にあれば、それを利用するのがもっとも簡単で効果的だ。このようにしてフリーメーソンは発見され、啓蒙主義者や革命家らによって利用されたのだ。

こうした事情は、「秘密結社大国」である中国ではどうなっているのだろうか。ここでは、山田賢『中国の秘密結社』(講談社選書メチエ)の魅力的な論考を紹介したい。

16世紀の「人口ビッグバン」

山田氏は、中国の秘密結社を大きく3つの時期に分けている。

第1期は宗教結社の時代で、14世紀半ば(元朝末期)に紅巾の乱を起こした白蓮教に始まるとされる。

白蓮教は、仏教の末法思想とマニ教から強い影響を受けた異端の宗教だ。マニ教はササン朝ペルシアの宗教で、善悪二元論のゾロアスター教を引き継いでいる。

紀元前のペルシアで興ったゾロアスター教は、世界は光(善)と闇(悪)の闘争で、最後の審判に至って救済者(メシア)が現われ世界は光に覆われるという終末論を唱えた。開祖はザラスシュトラ(ツァラトゥストラ)で、ユダヤ教よりも古い紀元前1600年に成立したとの説もある。旧約聖書はゾロアスター教の聖典『アヴェスター』と瓜二つだ。

終末論とメシアイズム(救世主信仰)を奉じる白蓮教は、「天崩れ地割ける」終末が訪れるとき弥勒仏が人間として地上に転生し、「劫(世界を破滅させる災い)」から衆生を救うと説いて農民たちの反乱を引き起こし、元朝を崩壊に導いた。

マニ教は中国では明教とも呼ばれ、白蓮教の開祖・韓山童は自らを「明王」、遺児の韓林児は「小明王」を名乗った。彼らは紅い布を頭にまとって目印にしたため、紅巾と呼ばれた。

紅巾軍の一兵卒から身を興したのが朱元璋で、中国全土を平定して明王朝を創始する。「明」はもちろん白蓮教の救世主の意味だが、その後、この国家の出自は隠蔽されることになる。

朱元璋は皇帝になるにあたって、白蓮教の教主で「小明王」である韓林児を暗殺した。そのうえ宗教結社が王朝を倒す現実を身を持って知ったことで、白蓮教を「邪教」として徹底的に弾圧した。明朝は“親殺し”によって生まれた王朝だったのだ。

白蓮教に連なる新興宗教は、その後も興っては消えていった。ひとびとが宗教結社に引きつけられたのは、その教えとともに、相互扶助の共同体だったからだ。

16世紀になると、大航海時代の「グローバル化」のなかで中国は巨大な社会変動を経験する。

ヨーロッパ諸国は南米で産出した銀を中国に運び、絹や陶磁器などの物品を購入した。その結果、市場の拡大によって出生率が上がり、未曾有の人口爆発が始まったのだ。明末までは中国の人口は数千万から1億のあいだを上下していたが、それがわずか数百年で5億に達した。

この「人口ビッグバン」は、ひとびとの意識や生活に大きな変化をもたらした。

人口が短期間で何倍にもなる社会では、生まれた土地にしがみついていては生きていくことができない。だからといって、当時の都市は雇用を吸収する産業をもたなかったから、あぶれたひとびとは人跡未踏のフロンティアを目指すほかはなかった。彼らは山林を切り開き、木を切り出して、トウモロコシやジャガイモなど痩せた土地でも育つ新大陸の農産物を植えた。

こうした辺境は、歴史や文化に基づいた共同体が成立せず、「万人の万人に対する戦い」が繰り広げられるホッブス的世界だった。そこで生き延びるには、身を守り家族を包んでくれるなんらかの共同体を人工的につくりだすしかない。このようにして、同じ出身地の者が集まる同郷結合や、苗字を共有する者が「血のつながり」を確認する宗族などの自治組織が生まれ、中国社会の基層をかたちづくっていく。

だがすべてのひとが、宗族や同郷結合に加われるわけではない。弱肉強食の辺境にたった一人放り出された者は、どうすればいいのだろうか。

このような「共同体を持たない弱者」を受け入れたのが宗教結社だった。

ひとたび白蓮教系の宗教結社に加入すれば、「一銭ももたずに天下をめぐり歩くことができる」とされた。そこは貧しい者たちの「家」であり、どこに行こうとも同じ教えを奉ずる仲間たちが助けてくれるのだ。 続きを読む →

「国保逃れ」疑惑、背景に社会保険料との負担格差(日経ヴェリタス連載126回)

日本維新の会の地方議員が、一般社団法人の理事になることで、国民健康保険の保険料を脱法的に安くしていたことが問題になった。社会保障制度改革を掲げる党の議員が制度を悪用していたのだから弁解の余地はないが、それでも気になったのは、どのメディアも「なぜ国保から逃れようとするのか」という疑問に触れようとしないことだ。

現役世代の大半は会社の社会保険に加入しているから実感がないだろうが、自営業者らが加入する国保の保険料はきわめて重い。

国保の保険料は自治体ごとに異なるが、「年収600万円の会社員の夫に専業主婦の妻と子どもが2人いる世帯」が納める健康保険料(本人負担)が年間およそ33万円なのに対し、同じ所得レベルの自営業者の世帯負担は計算上、82万円あまりになる(東京都の場合)。

同じ公的健康保険なのになぜこんな極端なちがいが生じるかというと、国保では専業主婦の妻はもちろん、ゼロ歳の子どもにまで保険料が課せられるからだ(子どもについては自治体が免除や減免措置を設けているところも多い)。その結果、「国保の保険料は社会保険の2倍」といわれている。

じつは国保加入者の多くは自営業者ではなく、退職した元会社員だ。75歳で後期高齢者医療保険に移行するまでは、社会保険から脱退すると国保に加入することになる。

国保の保険料が重いなら、なぜ年金収入しかない高齢者が支払えるのだろうか。その理由は単純で、低所得者への手厚い軽減措置があるからだ。たとえば夫婦2人の世帯の場合、前年の所得金額が53万円以下なら保険料の7割が軽減される。その結果、国保加入者の約6割が満額の保険料を払っていないという異常なことになっているが、この軽減措置は一定以上の収入がある世帯には適用されない。

このような現状では、国保の保険料は、子どもを育てながら働いている現役世代の自営業者への罰ゲームになっている。こども家庭庁は日本を「子どもまんなか社会」にすると宣言しているが、これが「老人まんなか社会」である日本の現実なのだ。

そこでこの負担から逃れるために、便宜上、社会保険に加入するという裏技が編み出された。月額報酬を6万3000円(年収75万6000円)以下にすれば、健康保険料を月額6670円(労使込み)にしたうえで、なおかつ扶養家族の健康保険証を無料で取得できる。

もちろんこんな収入では生きていけないだろうが、現行の制度では、他に所得があっても、社会保険の適用事業者の社員になると、社会保険に強制加入させられる。この制度をハックすると、自営業者として多額の所得を得ていても、“偽装社員”になることで年金や健康保険のコストを最小化できるが、それを「ずるい」と批判する資格があるのは、真っ当に国保の保険料を払っている者だけだろう。

なお、自営業者の法人成りであるマイクロ法人でも、自分で自分に払う役員報酬を引き下げれば同じことが可能だが、役員報酬を減らした分だけ法人の所得が増えて、それを法人税で納付することになる。これは単に、個人で納税するか、法人で納税するかの選択の問題なので、「脱法」ではなく合法的な社会保険料の節約になる。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.126『日経ヴェリタス』2025年2月28日号掲載
禁・無断転載

リベラルは成功したからこそ失敗した(週刊プレイボーイ連載674)

世界的に「リベラルの失敗」が議論されています。しかしこれは、「リベラルズムが間違っていた」ということではありません。それとは逆に、「リベラルはあまりに成功したからこそ、失敗した」のです。

リベラリズムを「自分らしく生きるのは素晴らしい」という価値観と定義するならば、「私は自分らしく生きるが、あなたにはその権利がない」ということはできません。こうしてリベラルは、性別や人種、性的志向など自分では変えることのできない属性による差別を否定し、すべてのひとに平等な機会を与え、理不尽な差別に苦しんでいた多くひとたちの人生をよいものに変えました。

これはもちろん素晴らしいことですが、女性や有色人種、同性愛者などマイノリティの法的権利が次々と認められるにつれて、運動は行き詰まってしまいます。低い枝に実った果実を収穫してしまえば、あとは高い枝に手を伸ばすしかありませんが、それは簡単ではないのです。

そこでリベラルは、大きく2つの戦略に頼ることになりました。

1つは「マイノリティ探し」で、社会のなかで差別されている新たな集団を見つけて、それを運動の核にしようとしました。こうして「発見」されたのがトランスジェンダ―ですが、その割合は多く見積もっても人口の0.5%程度で、(その運動が無意味とはいいませんが)大衆の広い共感を得ることはできませんでした。

もう1つは、法律以外のさまざまな「制度的差別探し」で、そうした問題が残っているのは間違いないとしても、自分たちを「目覚めた者(ウォーク)」として、白人や男性などマジョリティの「無意識の差別」を上から目線で批判する態度に強い反発が生じたのは当然です。

しかしより本質的な困難は、リベラルな社会がメリトクラシーを土台としていることです。

日本では「能力主義」と訳されますが、「メリット」の本来の意味は、学歴・資格・経験(職歴)のような「客観的に評価できる人的資本」のことです。リベラルな社会では属性にもとづく選別は許されませんが、それでも組織を維持するには、入学や採用・昇進などで個人を評価することが必要になります。このとき唯一公正な評価基準が、「努力によって獲得できる(とされている)メリット」なのです。

しかしいうまでもなく、これは机上の空論です。メリットは知能に強く依存しており、知能のばらつきの大半は環境ではなく遺伝によってほぼ決まるからです。こうして、メリットをもてないひとたちが知識社会から「脱落」し、怨嗟の声をあげるようになりました。

しかしリベラルは、この事態にまったく対応できません。平等な社会では、成功できないのは「自己責任(努力が足りないから)」になるしかないのです。

だったら、メリトクラシーを廃止すればいいのでしょうか。でもこれでは、個人を身分によって差別する前近代の社会に戻ってしまいます。メリトクラシーが問題であることはわかっていても、誰もその代案を出すことができないのです。

ひとつだけ確かなのは、これがリベラルが嫌われる理由だとするなら、この状況を変えるのはほとんど無理ということです。

『週刊プレイボーイ』2026年3月2日発売号 禁・無断転