「とりあえず謝っとけ」文化がクレーマーを生む? 週刊プレイボーイ連載(314)


モンスター・クラアントやカスタマー・ハラスメントが社会問題になっています。流通や小売業の労組UAゼンセンのアンケートによれば、「お前はバカか」「死ね、やめろ」などの暴言を浴びせられ、説教が3時間つづいたケースもあるそうです。ここまでいくと常軌を逸しており、災難にあったひとには同情するほかありません。

こうしたトラブルの原因は、日本のサービス業が“おもてなし”至上主義で「お客さまは神様」といいすぎたからだとされます。IT化で仕事の内容が高度化し、ミスが増えたり、顧客が説明を理解できなかったりすることもあるでしょう。とはいえ、非が顧客にあることが多いとしても、謝罪についての日本の文化が問題をこじらせている面もありそうです。

7~8年前のことですが、ひょんなことから知人のオーストラリア人と大手損保会社とのもめ事に巻き込まれました。オートバイを運転中に乗用車と接触事故を起こしたのですが、それが高級車(マセラッティ)だったため、損保会社の担当者から自損自弁を強く勧められているというのです。この件は本に書きましたが(『臆病者のための裁判入門』)、担当者は実は、相手が事情のよくわからない外国人なのをいいことに、保険金を支払うのを嫌って勝手に事故を処理していたのです。

私は知人に頼まれて、通訳兼代理人として損保会社と交渉したのですが、当初は自らの非を認めて(言い逃れのしようのない不祥事なのです)ひたすら謝罪するのですが、そのうちだんだん雲行きがあやしくなってきました。最後は本社の部長まで出てきて「たいへんご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げるのですが、それだけなのです。

オーストラリア人の彼にとっては、謝罪と賠償(責任)は一体のものです。「謝ったけどなにもしない」というのはまったく理解できません。そのことを指摘すると、損保会社の弁護士は「これで納得できなければ裁判でもなんでもやってください」といいました。

仕方がないので自分たちで裁判して、2年半かけて東京高裁で20万円の和解に漕ぎつけたのですが、裁判では損保会社の態度は180度変わって、私たちは「法外な賠償金目当てで悪質」と非難されました。「お客さま」から一転して「クレーマー」扱いされることになったのです。

この貴重な体験からわかったのは、日本の会社のトラブル処理の基本は、相手があきらめるまでひたすら謝り倒すことだということです。それに納得しないと、こんどは逆ギレして自分たちが被害者のようにいいはじめます。これでは解決できるものもどんどんこじれていくのは当然です。

しばしば指摘されるように、アメリカでは謝罪が裁判で不利な証拠として扱われるので、どんなに非があってもぜったいに謝りません(最近はすこし変わってきたようですが)。それに対して日本では、「謝罪はタダ」でとにかく頭を下げますが、それ以上なにもしようとはしません。

どちらも一長一短ですが、顧客の怒りを誘発するのは、この「とりあえず謝っとけ」文化にも理由があるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2017年12月4日発売号 禁・無断転

第72回 パラダイス文書、守秘はどこへ(橘玲の世界は損得勘定)


鳴り物入りで報道が始まったパラダイス文書だが、エリザベス女王やロス米商務長官の名前が出たもののその後は失速気味だ。

日本では鳩山元総理や有名マンガ家の関与が報じられたが、記事を読むと、名誉会長に就任した香港の上場企業がたまたまバミューダ籍だったとか、節税目的で不動産リースの投資事業組合に出資したところ、その組合がたまたまバミューダに設立されていた(おまけにその節税スキームは国税庁に否認され、出資者は追徴課税された)とかで、本人がタックスヘイヴンを悪用して違法な税逃れをしたという事実はない。

こんなことになる理由のひとつは、パナマ文書とは異なり、文書が流出したのがバミューダを拠点とする法律事務所だったからだろう。カリブ海のバミューダ諸島はイギリスの海外領土だが、ニューヨークからは飛行機でわずか2時間の距離。通貨バミューダ・ドルは米ドルと等価で、経済を支えるのは米国からの観光客だ。実態はアメリカの「経済領土」という豆粒のような島が、「主権」を盾に米司法・税務当局の圧力に抵抗できるとも思えない。

タックスヘイヴンとしての守秘性が覚束ないなら、法律事務所はトラブルになりそうな顧客との関係を避けようとするだろう。脱法行為をたくらむ側も、そんな場所にあやうい情報を預けようとはしないはずだ。こうして、「大山鳴動して鼠一匹」になる。

もうひとつの理由は、度重なる情報流出によって、タックスヘイヴンの利用者が対策を立てているからだろう。

2008年には、リヒテンシュタインの大手銀行LGTの元行員がドイツ当局に顧客情報を約8億円で売り渡した。09年には、そのことを知ったスイス・ジュネーヴのHSBCプライベート・バンキング部門の元行員が、12万7000件の顧客情報を盗み出し、フランス・イタリア・スペインなどの司法・税務当局に提供した。

「スイスリークス」と呼ばれたこの事件では、主謀者は金銭的な見返りを得られなかったが、ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)が口座情報の一部をインターネット上に公開したことで「脱税のスノーデン」と呼ばれる“ヒーロー”に祭り上げられた。また08年にはプライベートバンク最大手UBSの米国部門トップが脱税ほう助の疑いで身柄を拘束され、情報提供した元行員にはその後、約140億円もの報奨金が支払われた。パナマ文書以前に、すでにタックスヘイヴンの「守秘性神話」は崩壊していたのだ。

経済のグローバル化によってタックスヘイヴンを利用する取引は増えていくが、その大半は合法的なものだ。来年からは、日本や香港、シンガポールなどが参加するCRS(国際的な口座情報自動交換制度)の運用が本格化する。ICIJはタックスヘイヴンに関与した膨大な個人情報をインターネットで一方的に公開しているが、わずかな「不正」を暴くためにこうした手法が正当化できるのか、いずれ問われることになるだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.72『日経ヴェリタス』2017年11月25日号掲載
禁・無断転載

人生をリセットするボタンがあれば… 週刊プレイボーイ連載(313)


どんなロールプレイングゲームにもリセットボタンがついているのに、いちばん面倒なゲームである「人生」にリセットボタンがないのは理不尽だ。いまから四半世紀も前にこんな主張をした本が、10代や20代の若者たちの圧倒的な支持を受けてミリオンセラーになりました。服薬から首吊り、投身、自刃、焼身、餓死までさまざまな自殺の方法を紹介した『完全自殺マニュアル』は一部で有害図書に指定されるなど物議をかもしましたが、この本で若者の自殺が急増するような事態は起きませんでした。読者は自殺に興味はあっても、実際に死のうとは思わなかったのです。

いまもむかしも、自我が不安定な若者が「死」という未知の体験に引きつけられるのは同じです。といっても、若者の自殺率がもっとも高かったのは日本が戦争へと突入していく1940年前後で、近年の特徴は40代、50代男性の自殺が増えていることです。これは、自殺が経済的要因に強く影響されることを示しています。男は打たれ弱いので、バブル崩壊後のリストラで失業率が上昇するとそれに応じて自殺者が増えていきます。人手不足で失業率が下がるにつれて自殺者が減ったのも同じ理由でしょう。それに対して女性の自殺率は、経済要因にほとんど影響されません。

座間で起きた猟奇殺人の被害者の多くは、追い詰められていたというよりも、死についてのロマンチックな願望を共有する相手を探していたのでしょう。とはいえ、ふつうは身近にそのような都合のいい人物がいることはなく、ラノベやアニメ、マンガなどが代替してきました。

ところがSNSは、こうしたヴァーチャルな体験をリアルな出会いに変えることができます。そしてサイコパスは、このネットワークツールを利用することで、“ダークな”ロマンスに憧れる若い女性をきわめて効率的に誘惑することができたのです。

産業革命に始まるさまざまなイノベーションは人類の生活水準を大きく改善してきましたが、新しいテクノロジーが登場すればかならずそれを悪用する人間が出てきます。人種や宗教、国籍にかかわりなくひとびとをつなげ、よりよい世界をつくるというフェイスブックの高邁な理想が、フェイクニュースの温床となって極右の台頭やトランプ大統領を生み出したのもそのひとつです。

現代の進化論によれば、ヒトの脳にプレインストールされているOS(基本プログラム)は旧石器時代とほとんど変わりません。私たちが求める幸福や愛情は、原始人と同じなのです。それにもかかわらず、科学技術の進歩によって環境だけが急速に変わっていきます。これでは多くのひとが適応不全におちいるのも当然です。

AI(人工知能)の実用化が現実味を帯びてきたことで、環境の変化は今後さらにはげしくなっていくでしょう。サイコパスは社会のなかにつねに一定数存在するのですから、今回のような猟奇事件がいつまた起きても不思議はありません。

もっとも、「人生をリセットするボタン」が発明されれば別かもしれませんが。

『週刊プレイボーイ』2017年11月27日発売号 禁・無断転載