給付付き税額控除、「個人」「法人」の使い分けに見る制度のバグ(日経ヴェリタス連載127回)

超党派の社会保障国民会議で「給付付き税額控除」の導入に向けての議論が始まった。コロナ禍の一律10万円給付が典型だが、日本ではこれまで、なにかあるたびにお金をばらまいてきた。しかしこれでは、あまりに非効率で不公平だ。

突然のパンデミックで仕事を失い、路頭に迷ってしまったひとは、10万円ではまったく足りないだろう。その一方で、お金には困っていないが、とりあえずもらっておく、というひともいたはずだ。

それに対して給付付き税額控除は、一定の所得以下のひとに所得税を減税するだけでなく、控除できなかった差額を現金で給付する。ばらまきに比べれば、このほうがはるかの合理的で公正だ。

制度設計の課題は、所得や資産を正確に把握できないことだ。都内の一等地に暮らす、年金以外に所得がない資産家は給付の対象になるのか。サラリーマンは源泉徴収と年末調整で所得がガラス張りだが、自己申告の自営業者は、給付を受けるために申告所得を調整する誘惑にかられないだろうか。

「税金が安くなる」よりも「お金がもらえる」ほうがずっとインパクトが大きいので、給付付き税額控除を導入した海外でも、制度の定着に苦労しているようだ。

もちろんこうしたことはすでに議論の俎上に上がっているだろうが、ここではあまり触れられない問題を指摘したい。

「マイクロ法人」は私の造語で、自営業者の法人成りのことだ。これによって、「個人」と「法人」の2つの人格を使い分けるという不思議なことができる。

マイクロ法人では、法人(自分)から個人(自分)に役員報酬を支払うが、この額は自由に決められる。法人の所得を減らせば個人の所得が増え、個人の所得を減らせば法人の所得が増えるから、結果的に、どちらの人格で納税するかを選んでいるわけだ。

私がこの方法に気づいたのは20年以上前で、そのときは「個人所得を増やしなさい」が定番のアドバイスだった。当時はマイクロ法人や家族経営の法人は国民年金・国民健康保険に加入するのがふつうで(厳密には違法だったが)、保険料は国民年金は定額、国民健康保険は上限が低く、所得を個人で受け取ったほうが有利だったからだ。

だがその後、政府の景気対策で法人税の税率が大幅に引き下げられる一方で、法人への社会保険加入義務に強化されたことで、状況が大きく変わり、「個人所得を減らしなさい(法人で納税しなさい)」になった。社会保険料は報酬に連動して決まるので、個人の所得を減らすと負担が軽減できるのだ。

ここまでは、制度のバグを利用した一般的な節税(節社会保険料)対策だが、この手法では個人の所得がかなり少なくなることがある(社会保険料負担を最低限にするには年収75万円程度にすればいい)。

だがこれでは、給付付き税額控除の導入で、法人で大きな収入がありながらも、個人で給付を受けるという不合理なことが起きかねない。だからといって、法人の所得と個人の所得を合算して把握するのは簡単ではないだろう。

私にはこれを解決する名案はないが、せめて節税で個人所得を減らしている場合は、給付対象から自主的に除外してもらうオプトアウトの制度をつくるのはどうだろう。これで、不公平感は多少はやわらぐのではないだろうか。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.127『日経ヴェリタス』2025年4月25日号掲載
禁・無断転載

日本人が知らないイタリアの不思議

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年8月公開の記事です。(一部改変)

encierro/Shutterstock

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前回はイタリア・ラヴェンナに生まれ、日本で比較宗教論を学んだファビオ・ランベッリの「イタリア人は、暗いからこそ明るい」という逆説の文化論を紹介した。

参考:イタリア人は、暗いからこそ明るい

ランベッリ氏は、、『イタリア的考え方 日本人のためのイタリア入門』(ちくま新書)と『イタリア的 「南」の魅力』(講談社選書メチエ)で、これまで日本ではほとんど語られることのなかったイタリア人の日常の不思議を解説している。今回はそのなかから、宗教、政治、教育を紹介してみたい。

カトリックの歴史を知っていて、宗教に関心を失う

ローマにはカトリックの総本山であるバチカン(ローマ教皇庁)があり、イタリアが敬虔なカトリックの国だということは誰でも知っている。実際、激論の末に国民投票で離婚が認められるようになったのが1974年、妊娠中絶が認められたのはようやく1980年だ。

だが1990年に、戦後イタリアの保守政界を支配してきたキリスト教民主党が大規模な汚職スキャンダルによって解体すると、イタリアの世俗化は急速に進みはじめた。イタリアでは8~9割の国民がカトリック教育を受けるが、ランベッリの見立てによると、いまではその多くは名義だけのカトリックで、実際には無関心や無宗教だという。

カトリックでは11歳になったら聖体拝領が許されるが、そのためには1年ぐらい、毎週土曜日の午後、教区の教会で神父やボランティアからカトリックの教えを学ばなければならない。これが教理問答(カテキズムモ)で、イタリア人の多くはこれによってカトリックの教義について一定の知識を保持している。

これは幼少期に特定の宗教教育を受けることがない日本人との大きなちがいだ。日本人は宗教のことをよく知らないから関心がないが、イタリア人はカトリックの歴史や教義を知っていて、それでも世俗化や近代化のなかで宗教への関心を失うのだ。

イタリアではすべての町や村に教会があり、日本の戸籍制度のように、教会は教区の信者の出生(洗礼)、結婚、死の記録を保存している。

カトリックでは、子どもが生まれてから数カ月以内に教区の教会で洗礼(バッテージモ)を受けてキリスト教徒になる。小学校高学年でキリストの身体(パン)を受ける聖体拝領の秘蹟が、中学生のときにカトリック教育を終了した証として「堅信」の秘蹟が行なわれる。これに続いて多くのイタリア人が受ける秘蹟が婚姻(マトリモニオ)で、神の前で家族をつくることを誓う。

カトリックはプロテスタントとちがって、罪の告解を信者の義務としている。告解を行なうためには、キリスト教的な罪の概念と、それを犯した自己を客観的に認識することが必要だ。フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、この告解の秘蹟がヨーロッパ人の「内面」の構築に大きな影響を与えたと論じた。

カトリック信者にとって生涯でもっとも重要な告解の秘蹟が死の直前の終油だ。死を迎えつつある信者のもとを神父が訪れ、慰めの言葉をかけ、告解を聞き罪を許してから、その身体に神聖な油で十字架の印を描く。この終油の秘蹟を受けることで、生前の罪は許されて神に救われるのだ。

このようにカトリックは、政治的、文化的、象徴的な権威としてイタリア人の日常に直接介入している。世論調査などによると、毎日曜日にミサに行き、カトリックの秘蹟を重視するひとは国民の3分の1くらいだそうだが、イタリア人の生活に与えるその影響はやはり大きいといわざるを得ない。

お寺や神社と似ているカトリック教会 続きを読む →

経済制裁はほんとうに効果があったのか?(週刊プレイボーイ連載681)

バンス副大統領によるイランとの交渉が決裂(4月12日)したことで、トランプは石油輸送の要衝であるホルムズ海峡を「逆封鎖」しました。交渉の目的のひとつは、イランが事実上封鎖しているホルムズ海峡の開放だったのですから、これではまるでカフカの不条理小説のような展開です。

アメリカによる空爆は、誤爆による市民の死傷を除いても、イランのひとびとを困窮に追いやりました。英誌『エコノミスト』によると、イランでは生産年齢人口の60%が失業しており、戦争によって労働力の半分を抱えるサービス産業が大打撃を受け、イラン政府は労働人口の25%にあたる700万人が軍務に志願したとしています。

その一方で、アメリカとイスラエルによる攻撃以降、原油価格が高騰しています。イランの石油タンカーはホルムズ海峡を自由に航行し、中国などへの石油輸出を続けており、皮肉なことに、石油を独占する革命防衛隊の収入は倍増しました。この「ぼろ儲け」をやめさせるために、アメリカはホルムズ海峡を逆封鎖せざるを得なくなったのです。

トランプは「苦境に立ったイランがディールに応じるはずだ」とか、「大規模な民主化デモが起きるにちがいない」といった根拠のない楽観(というか妄想)を前提として戦争を始め、それがすべて外れたことで、SNSで意味不明な罵詈雑言を浴びせるしかなくなったのでしょう。

しかしさらに考えてみると、アメリカの失敗はそれ以前から始まっていたともいえます。

イランにどれほど経済制裁をしても一般市民を苦しめただけで、政権にはほとんど打撃を与えられませんでした。北朝鮮やキューバも長年にわたってきびしい経済政策を受けていますが、体制が転覆する気配はありません。

ウクライナへの侵攻でロシアは欧米の経済制裁の対象になりましたが、中国やインドに石油輸出を振り替えたことで経済への影響は限定的で、その一方でエネルギー価格が高騰した欧州諸国ではポピュリスト政党が躍進し、政権はどこも苦境に立たされました。

だったら武力を使えばいいかというと、アメリカはベトナム戦争に敗北し、イラクではフセインの独裁を打倒したものの民族紛争で社会は混迷し、アフガニスタンは体制を変えたものの、けっきょく元のタリバン政権に戻ってしまいました。

1987年までの韓国の軍事政権や、1996年に直接総統選挙が行なわれるまでの一党独裁の台湾は、今日の基準では経済制裁の対象にされてもおかしくありませんでした。しかしその間に経済が発展し、ゆたかになったひとびとは自らの手で自由とデモクラシーを獲得したのです。

もちろん中国のように、中間層が生まれたことで社会が不安定化し、共産党が「強権化」することもあるので、経済発展はつねに「奇跡」を起こすわけではありません。他国の主権を侵すような行為を放置できない、ということもあるでしょう。

それでも、独裁者に富を独占させ、国民に貧困という罰を与え、けっきょくは今回のような武力攻撃になる経済制裁にどれほどの意味があるのか、いちど冷静に考えてみる価値があるのではないでしょうか。

「The Economist 革命防衛隊の経済力、予想外の強さ」日本経済新聞2026年4月14日

『週刊プレイボーイ』2026年4月27日発売号 禁・無断転載