作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
AIによって、わたしたちは「ポストモダン」の世界に向かっている(週刊プレイボーイ連載672)
今年の大学入学共通テストでChatGPT(チャッピー)が15科目中9科目で満点を取ったことが話題になりました。得点率は96.9%で、東大に楽々入学できる成績です。印象的なのは受験生との差で、AIが満点をとった「数学ⅠA」と「数学ⅡBC」では、受験生の平均はそれぞれ47点、54点でした。「学校の勉強」において、AIの能力が人間を超えたことは間違いなさそうです。
これからの子どもたちはAIとともに育つので、どんな質問にも瞬時に答えてくれる、とてつもなく賢い友だちがいるのと同じです。そのうえこの友だちは、嫌な顔ひとつせず1日24時間いつでもつき合ってくれるですから、これからの勉強は、教室で先生の話を聞くのではなく、AIと対話しながら行なうものに変わっていくでしょう。
アメリカの教育心理学者ベンジャミン・ブルームは1980年代に、「個別指導を受けた生徒の成績が、教室での一斉授業の生徒の98%を上回った」という研究を発表して教育界にセンセーションを巻き起こしました。これは2標準偏差の学力向上に匹敵し、偏差値は1標準偏差を10としているので、偏差値50の生徒が個別指導によって偏差値70になったことに相当します。
この研究はその後、多くの追試が行なわれ、これほど劇的な結果は再現されなかったものの、それでも個別指導には偏差値で10前後に相当する大きな効果があることがわかっています。生徒一人ひとりの能力に合わせて教材を選び、教え方を工夫すれば、どんな子どもでも学力は伸びるのです。
それではなぜ、個別指導が広がらなかったのでしょうか。その理由はいうまでもなく、生徒一人ひとりに専任の教師をつけようとすれば、財政的にも人材の面でもとてつもなく大きなコストがかかり、とうてい現実的ではなかったからです。ところがそれが、AIによって実現するかもしれません。
四則演算を筆算でなく電卓を使って行なうことが当たり前になったことで、イギリスの学校では一部の試験で電卓の使用が認められています。日常的に電卓で計算しているのに、試験のときだけ筆算をさせても意味がないというのは、理にかなっているように思われます。
だとしたら将来的には、「いつもAIと一緒に勉強している子どもに対して、試験のときだけAIを取り上げ、「自分の頭」で考えさて序列をつけることになんの意味があるのか」という議論が出てもなんの不思議もありません。試験にAIの持ち込みを許可し、対話しながら問題を解くようになれば、ほとんどの生徒が満点を取るでしょう。
いまは「親の年収が子どもの将来を決める」といわれていますが、AIはほとんど無料なので、スマホをもっていれば誰でも使えます。AIで「個別学習」した子どもの成績が、毎日学校に通って、朝から夕方まで「座学」をしている子どもを大きく上回ることが明らかになれば、親は子どもを学校に行かせるべきか真剣に悩むでしょう。
このことは、近代的な教育の根幹を揺るがします。AIの能力の驚くべき進歩を見れば、わたしたちが「ポストモダン(近代「近代以後」の世界)に向かっていることがわかります。
『週刊プレイボーイ』2026年2月9日発売号 禁・無断転載
「失われたアーク」を探すエピオピアへの旅(1)
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2019年6月公開の「映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で描かれたモーセの十戒を刻んだアークはエチオピアにあるのか?」です。(一部改変)

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スティーヴン・スピルバーグ監督、ハリソン・フォード主演の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』はインディ・ジョーンズシリーズの第一作で、1981年に公開され世界中で大ヒットした。
失われたアーク(The Lost Ark)はモーセの十戒が刻まれた石版を収めた「契約の箱」のことだ。
ユダヤの民を率いて出エジプトを敢行したモーセは、シナイ山で神ヤハウェ(エホバ)から「汝、殺す勿れ」など10の戒律を授けられる。契約の石版はアーク(木箱)に収められてエルサレムに運ばれ、最初の神殿に奉納された。
だがユダヤ教にとってもっとも重要なこの秘宝は、紀元前9世紀のソロモン王の治世以降、旧約聖書ではほとんど触れられなくなり、所在もわからなくなってしまう。アークは失われたのだ。
映画では、アークはエジプトのナイル川デルタにあるタニス(古代エジプト王朝の北方の首都)の遺跡に隠されており、それをナチス・ドイツが発掘する話になっているが、これはまったくの創作でなんの根拠もない。
ではアークはいったいどこにあるのか? それはエチオピアだ。
エチオピアには古代ユダヤ王朝があった
エチオピア(旧名アビシニア)が「キリスト教国家」だというと、大航海時代以降、ヨーロッパの宣教師たちによって布教されたのだと思うだろう。しかしこれは大きな間違いだ。
エリトリアに近いエチオピア北部の古都アクスムの建都は、伝説によれば紀元前1000年で、すくなくとも紀元前1世紀にはアクスム王国が栄えていたことは歴史資料からも明らかだ。
このアクスム王朝がキリスト教を受け入れて国教としたのはエザナ王の治世(325~350年)で、ローマ帝国のテオドシウス帝がキリスト教を国教と定めたのが392年だからそれよりも早い。エチオピアは東方のアルメニアと並んで、世界最古のキリスト教国なのだ。
さらに興味深いことに、エチオピアには「ファラシャ(流民)」と呼ばれるユダヤ教徒もいた。彼らはエチオピア北部のタナ湖周辺に暮らしていたが、イスラエルの帰還政策により1980年代以降、ほぼ全員が移住した(「ファラシャ」には侮蔑的なニュアンスがあるとして、最近では「ベタ・イスラエル(イスラエルの民)」や「エチオピア系ユダヤ人」が使われる)。
どのようにしてエチオピアにユダヤ教が伝わったのかはほとんどわかっていないが、かつてユダヤ教の王朝があったことは確からしい。それがキリスト教の国教化によって衰退し、北部の一部に押し込められ細々と伝統を守ってきたのだ。
エチオピアのキリスト教は、エジプトのコプト教の強い影響を受けている。地中海世界に広がったキリスト教の拠点(五本山)はローマ、コンスタンティノープル(イスタンブール)、エルサレム、アレクサンドリア(エジプト)、アンティオキア(シリア)で、東アフリカの辺境にあるエチオピアがもっとも近いエジプトの正教を取り入れたとしても不思議はない。
エチオピアのキリスト教化の経緯を記した4世紀ビザンチンの歴史書によると、アクスム王に仕えたシリア人のフルメンティウスが、アレクサンドリアを訪れて主教にふさわしい人物を派遣してほしいと総主教のアタナシウスに懇願した。アタナシウスはフルメンティウスの英明さと献身を見て、主教に叙任して神の恩寵を受けた土地に戻るよう命じたとされている。
「保守vsリベラル」から「右翼vs中道」へ(週刊プレイボーイ連載671)
*1月22日執筆のコラムです。
1月19日に高市早苗総理が衆院解散を表明しました。前回の選挙から1年3カ月、議員の任期を大幅に残したまま、予算案の審議を止めて総選挙を行なうことには批判もありますが、維新の閣外協力で不安定な国会運営を続けるよりも、高支持率のいま国民の信を問おうと考えるのは自然です。
それより驚いたのは、立憲民主と公明が「中道改革連合」という新党を結成したことです。
このあいだまで与党だった公明党は、自民との再連立の憶測も流れましたが、“右傾化”する高市自民ではもはや支持者がついてこないと見限ったのでしょう。立憲民主としては、公明と連立すれば衆院で170人規模の勢力となり、小選挙区では公明党の宗教票が期待できます。
「中道」という言葉は創価学会の故・池田大作名誉会長が好んだ仏教用語で、これを党名にしたのは、新党結成でうまみが大きな立憲民主が、公明に気を使ったからだといわれています。たしかに説得力がありますが、ここでは別の視点党名を考えてみましょう。
立憲民主党は2017年、前身である民進党が小池百合子氏の希望の党との合流を決めたとき、小池氏から「排除」された議員らが枝野幸男氏を中心に集まり、「リベラルの旗を守る」ために結党しました。総選挙では枝野氏の街頭演説に数千人の聴衆が集まるなど、大きなブームを巻き起こして、希望の党の50議席を上回る55議席を獲得したことで、リベラル(立憲民主)と保守(自民)の対立の構図が定着します。
ところがその後、「リベラル」への逆風が強まります。とりわけ中国の習近平政権が軍備を拡張し、台湾問題や尖閣などで挑発を繰り返すようになると、安保法制に反対し「憲法9条を守っていれば平和になる」と唱える戦後リベラルはきびしい批判にさらされるようになりました。それに加えて、第二次トランプ政権の成立などで欧米先進国でもリベラルが退潮し、日本のSNSでも「リベラル叩き」が広がります。
立憲民主の議員たちが「排除」された理由は安保法制を「違憲」としたからですが、新党結成にあたって野田佳彦代表は「違憲部分の廃止」を撤回し、「自国防衛のための自衛権行使は合憲」と明記しました。国民民主の分裂では「原発ゼロ」をめぐる意見のちがいが理由のひとつになりましたが、これも条件付きでの再稼働を容認しました。
すべての政党が平均的な有権者が支持する政策を採用するようになるのが「中位投票者定理」で、イデオロギーで分極化するアメリカに対して、日本は理論どおり、主要政党の政策がほとんど区別できなくなりました。しかしこうなると、なんのために立憲民主を結党したのかわからなくなってしまいます。
野田氏らが自らのアイデンティティを否定してまで党名を変更したのは、「保守対リベラル」の構図では、もはや選挙は戦えないと思い知ったからではないでしょうか。だからこそ、それを「右翼対中道」の対立に変えようとしたのです。
立憲民主が「リベラルの旗」を下ろしたことで、日本の政治におけるリベラルは共産党とれいわ維新になってしまいました。日本のリベラルメディアやリベラルな知識人ははたしてこれでいいのか、気になります。
【後記】2月8日に行なわれた衆院選で中道改革連合は選挙前の議席を半減させる大惨敗を喫し、この賭けは失敗に終わりました。
『週刊プレイボーイ』2026年1月26日発売号 禁・無断転載