保守思想家はなぜ「溺死」しなければならなかったのか? 週刊プレイボーイ連載(324)


保守思想家の西部邁さんが78歳で亡くなりました。発見されたのは多摩川で、河川敷には遺書らしきメモが残されていたといいます。編集者時代に何度かインタビューさせていただいたことがあり、教師としてはきびしい方だったようですが、私のような若輩者の門外漢にはとても丁寧な受けこたえで、腰の低いやさしいひとでした。

しかしここで書きたいのは、西部さんの思想家としての評価ではありません。

オランダ・ユトレヒトで数学教師をしていたウィル・フィサー氏は、65歳のときに左顎骨周辺の扁平上皮がんと診断されます。病気の進行は早く、がんが咽喉部分まで広がり激痛とともに呼吸困難な状態に陥ったとき、彼は「僕が死ぬ日にパーティしよう!」といいます。

パーティには身内14人と友だち12人が集まり、誕生会のような和気あいあいとした雰囲気で、全員がシャンパンを持ちウィルが乾杯の音頭をとりました。その後、病気になってから止めていた大好物の葉巻を1本巻き、火をつけて煙をそっと肺のなかに吸い込むと、「じゃあみんな、僕はこれからベッドに行って死ぬ。最後までパーティを楽しんでくれ。ありがとう」と別れの挨拶を告げました(宮下洋一『安楽死を遂げるまで』小学館)。

驚くような話ですが、オランダではこれは珍しい光景ではありません。

安楽死についての議論がオランダで始まったのは1970年代で、2001年4月には「要請に基づく生命の終焉ならびに自殺幇助法(安楽死法)」が成立、「患者の安楽死要請は自発的」「医師と患者が共にほかの解決策がないという結論に至った」など6つの要件を満たせば、自殺を幇助した医師は送検されないことになりました(それ以前は、いったん送検されたあと、要件を満たせば無罪とされた)。その結果、いまではオランダの全死因の4%が安楽死になっています。

ひるがえって、日本はどうでしょう。

じつは日本でも1976年に日本安楽死協会が設立され、積極的安楽死の法制化を目指しましたが、高名な作家などが「安楽死法制化を阻止する会」を結成して徹底的に批判したため頓挫し、無用な延命治療を中止するリビング・ウィルの普及に趣旨が変わりました。そのため、積極的安楽死を望むひとたちは縊死、墜落死、溺死、轢死などを選択するほかなくなりました。そのなかでも広く行なわれているのが「絶食死」で、日本緩和医療学会の専門家グループによる実態調査では、終末期の患者に点滴や飲食を拒まれた体験をした医師は3割にものぼるといいます。

最近では、「自殺報道は自殺を誘発する」として事件を報じないことも増えてきました。これには一理ありますが、しかしそうすると、この国で「死の自己決定権」を望むひとたちが置かれた理不尽な状況が見えなくなってしまいます。

オランダの数学教師は家族や友人に囲まれた華やかなパーティで人生を終え、日本の高名な思想家はなぜ誰にも看取られず、真冬の多摩川で「溺死」しなければならないのか。

私たちはそろそろ、この問題についてちゃんと議論すべきではないでしょうか。

【追記】オランダでは近年、安楽死の概念が大幅に拡張されており、「死が避けられず、死期が迫っている」状況でなくても、「自殺願望を消す方法はなく、このままではより悲劇的な自殺をするだろう」と複数の専門家(医師・心理学者)が判断した場合は「平穏に自殺する権利」が認められている。

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軽減税率は「弱者のため」じゃない 週刊プレイボーイ連載(323)


税制は専門的で難しいと思われていますが、じつはけっこういい加減です。例えば基礎控除。これまでずっと38万円で、他に控除がない場合、この金額を超える収入に納税義務が生じます。日本では、年収38万円で「健康で文化的な生活」ができるようです。

財務省は、基礎控除にさまざまな控除を加えて国際比較の矛盾をとりつくろってきましたが、いよいよつじつまが合わなくなってきたのか、今年の税制改正で25年ぶりに10万円引き上げられ48万円になりました。「だからなに?」と思うかもしれませんが、これは税の世界では大事件なのです。

基礎控除を引き上げると税収が減ってしまうので、どこかで帳尻を合わせなくてはなりません。そこで年収850万円以上の会社員の給与所得控除が引き下げられたのですが、しかしなぜ、増税になるのが高所得の「会社員」だけで、給与所得控除のない高所得の自営業者は対象外なのでしょうか。これでは「取りやすいところから取っている」といわれても仕方ありません。日本の税制は、あちこちの利害を調整しようとした結果、理屈もへったくれもなくなってしまったのです。

専門家のあいだでは、複雑怪奇になった所得控除をやめて、よりすっきりした税額控除にすべきだという意見が大勢です。先進国で導入の進む「給付付き税額控除」では、課税額より控除額が大きいときは逆に税金を受け取れます。

この仕組みのよいところは、国民年金や国民健康保険の保険料を支払えない低所得者にも適用できることです。国民年金の保険料は収入にかかわらず定額で、健康保険料は収入がないほど高率になるため、低所得者が真面目に払おうとすると保険料が収入を上回りかねません。これを「給付付き」にすれば、保険料から控除できない分は逆に給付されるので、未払い問題はなくなりすべての国民が社会保障の恩恵を受けられるようになります。

しかしそうなると、税と社会保障は一体化し、国税庁と社会保険庁が合体して金融庁のような独立した機関になるでしょう。これでは既得権を失うとして財務省や厚生労働省が大反対していることが、制度改革が進まない理由になっています。給付付き税額控除は民主党政権時代に検討されましたが、この改革をなしとげていればその後の評価もかなりちがったでしょう。

さらに、給付付き税額控除は消費税にも使えます。低所得者が支払った消費税分を払い戻せばいいからです。税の専門家は、これが消費税の逆進性を緩和するもっとも有力な方法だとしています。

ところが日本では、逆進性の緩和効果がほとんどない食品などへの軽減税率を強引に導入しようとしています。先行して実施したヨーロッパ諸国では、軽減税率の対象をめぐって大混乱した結果、「やらなければよかった」という話になっているというのに。

なぜ合理的な税制改革ができないのか。それは不合理な主張を頑としてゆずらないひとたちがいるからです。その筆頭が、「軽減税率は弱者のため」といって自らを優遇対象にした新聞業界であることはいうまでもありません。

参考:三木義一「所得控除より税額控除を」(日経新聞2018年1月22日「経済教室」)

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自衛隊にはなぜ軍法会議がないの? 週刊プレイボーイ連載(322)


日本の自衛隊についてずっと不思議だったことがあります。トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン主演の『ア・フュー・グッドメン』のように米軍を描いたハリウッド映画には軍法会議が舞台のものがいくつもあるのに、自衛隊にはなぜ軍法会議がないのか、ということです。さらに不思議なのは、憲法9条改正の議論のなかで、保守派もリベラルもこのことを問題にするひとがほとんどいないことです。世界の軍隊のなかで、軍法会議の制度をもたないのは(おそらく)自衛隊だけだというのに。

これは私の個人的な感想ではなく、日本法制史の碩学である霞信彦氏(慶應義塾大学名誉教授)は、『軍法会議のない「軍隊」』でこの異様な状況について述べています。自衛隊は国際的には重武装の「日本軍」であり、中国や北朝鮮との軍事的緊張も高まっているというのに、日本国内ではいまだに「自衛隊は軍隊ではない」あるいは「自衛隊は違憲だ」との理由で軍司法制度(軍刑法と軍法会議)がないことを当然する「常識」がまかり通っているというのです。

軍法会議がないと、どのようなことになるのでしょうか。

PKO(国際連合平和維持活動)に派遣された自衛隊の部隊が現地で武装勢力から攻撃を受け、戦闘に巻き込まれた民間人が死傷したとします。こうした場合、PKO部隊の兵士の行為が適切だったかどうかはそれぞれの派遣国の軍法会議によって裁かれることになっていますが、日本には軍司法制度がありません。そうなるとこの事件は、検察が自衛隊員を被疑者として刑法199条の殺人罪で起訴し、日本の裁判所で審理するほかないのです。

南スーダンのPKOに派遣された陸上自衛隊の日報を防衛省が組織的に隠蔽していたとして稲田防衛大臣が辞任しました。日報には首都ジュバで大規模な武力衝突が発生した際の状況が記録されており、これが「紛争当事者間で停戦合意が成立していること」というPKO五原則に反しているため公表を躊躇したのだと報じられています。

たしかにそういう事情もあるでしょうが、安倍政権が南スーダンからの自衛隊撤退を決断した理由は、現地でやむなく戦闘行為を行なった場合、それにともなう民事上・刑事上の紛争を処理することができないからでしょう。自衛隊は主要国に匹敵する武力を保有していますが、「戦う」ことを前提にしていないのです。

安倍首相は北朝鮮の核ミサイル開発を「国難」として総選挙に踏み切りましたが、朝鮮半島で有事が起きても、このままでは自衛隊はなにもできない張り子の虎です。それでも万が一、北朝鮮軍が攻撃してくれば自衛隊は応戦するでしょうが、そもそも憲法上は存在しないはずの軍隊なのですから、すべては「超法規的」に行なわれるしかありません。

近代国家はすべての「暴力」を独占しますから、国民にとってもっとも重要なのは、その強大な「暴力」を民主的な法の統制の下に置くことです。その中核部分が空白になっているとすれば、これは「スパイ防止法」や「共謀罪」どころの話ではありません。

「軍法会議のない軍隊」を放置している政府も、自衛隊という「暴力装置」の法治を拒絶しているリベラルも、そろそろこの異常さと向き合う必要があるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2018年1月29日発売号 禁・無断転