AIを殺人教唆で逮捕できるか?(週刊プレイボーイ連載693)

今年2月、カナダ西部のブリティッシュコロンビア州の中高一貫校で、18歳の元生徒が校内で銃を乱射し、生徒5人と女性教諭1人が死亡し、数十人が負傷する事件が起きました。警察が学校に突入すると、容疑者は自らの銃で自殺しており、その後、自宅で容疑者の母親と11歳の義弟が死亡しているのが見つかりました。

カナダの警察によれば、容疑者は生物学的男性に生まれ、12歳の頃に女性への移行を始めたトランス女性で、14歳で学校を中退したあと、メンタルヘルスに関する通報を受けて複数回、警察が出動したことが記録されていました。さらに、精神鑑定のために保護・拘束されたり、精神科施設で治療を受けていたことも判明しました。

その後、事件の遺族が、容疑者がGhat GPTに犯行の相談をしたにもかかわらず通報しなかったとして、開発元のオープンAIを訴えました。訴状によると、事件の8カ月ほど前に容疑者はChat GPTと銃による大量殺人についてやり取りし、これがオープンAIの自動監視システムに検知されました。それを受けて社内の専門チームが、現実の暴力の前兆として警察に通報すべきだと提案したものの、経営陣は「他者への危害についての差し迫ったかつ信頼できる計画は確認できない」として、アカウント停止にとどめました(その後、容疑者は別のアカウントを作成しました)。

AIが殺人や自殺の計画に関与・教唆したとして、開発企業が刑事捜査の対象になったり、遺族から訴えられる同様の事例が相次いでいます。

2025年4月のフロリダ州立大学での銃撃事件では、キャンパス内で学生が発砲し2名が死亡、6名が負傷しました。容疑者は事件当日、ChatGPTに「銃撃事件が起きたら社会はどう反応するか」「学生会館が混雑する時間帯はいつか」などと質問していました。

26年4月には、南フロリダ大学で大学院生2名が殺害されました。 容疑者は犯行の数日前からChatGPTに「遺体をゴミ袋に入れたらどうなるか」「遺体の処理方法」「銃声の聞こえ方」「身元を隠す方法」などを執拗に質問していたことが捜査で明らかになっています。

また、カリフォルニア州で自殺願望を抱えていた16歳の少年が自殺した事件では、ChatGPTがその手段について詳細に助言し、遺書の草案まで作成していたとして25年8月に遺族が提訴しています。

容疑者がAIに犯行を相談した時点で開発企業が警察に通報していれば、悲惨な事件は起こらなかったと遺族が考えるのは当然です。しかしそうなると、どのようなケースなら通報するのかの基準をつくらなければなりません。

映画のシナリオや小説の執筆のためにAIを使っていたら、いきなり自宅に警察が乗り込んできて逮捕される、などということは誰も望まないでしょう。しかし、現実の犯罪の準備と、フィクションの犯罪とをどのように見分ければいいのでしょうか。

AI開発企業は、通報しなければ殺人教唆や自殺ほう助で刑事責任を問われ、通報すれば「監視社会」の批判を浴びます。本音では「だったら法律で決めてくれ」と思っているでしょうが、政治家も行政もこの泥沼に足を踏み入れる気はないので、けっきょくは事件のたびに袋叩きにされる運命を受け入れるしかないのです。

「AIに犯行相談も通報せず 学校銃乱射事件で遺族がオープンAI提訴」朝日新聞2026年4月30日

『週刊プレイボーイ』2026年8月17日発売号 禁・無断転載

チベットの旅の備忘録

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年3月公開の記事です。(一部改変)

Xiong Wei/Shutterstock

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当事者でも専門家でもない私がチベット問題を軽々しく論じることはできない。そこでここでは、チベットの旅で感じたことを備忘録風に記しておきたい。

オリエンタリズム

1)欧米人のチベットに対するロマン主義的な感情がもっともよく表われているのは、ブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』だ。
この作品は、アイガー北壁の初登頂に成功したオーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラー(ナチス親衛隊員でもあった)の自伝をもとにしている(邦訳は『セブン・イヤーズ・イン・チベット  チベットの七年』福田 宏年訳/角川ソフィア文庫)。

ヒマラヤ遠征の途中で第二次世界大戦が勃発し、イギリス領インドで捕虜になったハラーは、親友のペーターとともに収容所を脱走し、険しい峠を越えてチベットに逃れる。賓客として宮殿に招かれた2人はそこで利発な少年と出会い、その人柄に魅了される。ハラーは少年に外国語と欧米の学問を教え、少年はハラーに精神世界の奥深さを伝える。ポタラ宮の主人であるこの少年こそがダライ・ラマだった……。

ハラーの数奇な体験が現在に至るまで多くの欧米人を魅了するのは、「近代社会から隔絶したどこか遠くに、文明に毒されていない無垢で高貴なひとびとが暮らしている」という夢物語を現実のものにしたからだ。

科学が進歩し、生活がゆたかになり、なにもかもが便利になるにつれて“かつてあった純真なものが汚されていく”と感じるのは万国共通で、その幻影を自分たちとは異なる社会に投影して自己満足に耽ることを、パレスチナ生まれの文学者エドワード・サイードは「オリエンタリズム」と名づけて批判した。

アジアにおけるオリエンタリズムには武士道や浮世絵、切腹や芸者などがあるが、明治期の日本が近代化に成功するにつれてその魅力は色あせていく。

それに対して、標高3000メートルを越える高地に壮麗な宮殿を建てて宗教生活を送っているチベットの民ほど、「オリエンタリズム」の夢の舞台として完璧なものはない。

こうしてチベットは、欧米の(主として)知識層にとって、“なにものにも替えがたい特別な場所”になった。この地に生きる聖なるひとびとが共産主義者の手によって権利を奪われているのなら、彼らの自治・独立を支援してともにたたかうのが自由主義者(リベラル)の義務なのだ。

中国にはチベット以外にも少数民族の自治区はいくつもあるが、チベットがことさら注目され大きく報道されるのにはこうした背景がある。 続きを読む →

政治家はなぜ「言うだけ番長」化するのか?(週刊プレイボーイ連載692)

「言うだけ番長」という言葉は『夕やけ番長』というマンガが元ネタで、昭和の終わりのプロレス界で、「口ばかり達者で、実際はなにもできない」有名レスラーを揶揄して使われたとされます。それを保守系の新聞社が、2009年に発足した民主党政権の政調会長に対し、「数々の目玉政策を打ち出しながら、ことごとく実現できなかった」としてこのレッテルを貼り、すっかり有名になりました。

政権発足時には70%を超えていた高市内閣の支持率が、調査結果は各社でばらつきがあるものの、5割前後まで急落したと報じられています。これまで高市首相はSNSを効果的に使いこなし、「サナ活」という言葉まで生み出しましたが、数千通たまったメール処理に追われて「(総理就任以来)0時間~3時間睡眠が常態化」という“多忙アピール”に対しては、ねぎらいの言葉よりも冷ややかな反応が多いという逆転現象も起きています。

日本は2022年からの物価上昇で実質賃金が4年連続のマイナスになり、国民の多くは家計の苦しさを実感しています。高市首相はその状況を変えてくれると期待されたのでしょうが、大騒動の末に国会で決まったのは国旗損壊罪と皇室典範改正で、皇位継承者を男系男子に限定したことに対しては、女性天皇を期待する世論が多数派です。

もちろん、高市政権がなにもしていないというわけではありません。インフレにともなって日本の税収は増えており、それを国民に還元し、成長につなげる方針が間違っているわけではないでしょう。

それでも社会保障国民会議では、2年間限定で食品消費税を1%にし、その後に給付付き税額控除に移行するという与党案に対し、減税の代わりに現金給付を主張する野党が対立して混迷しています。首相肝いりの「骨太の方針」にしても、財政悪化を懸念した円安や国債売り(金利上昇)によって、威勢のいい言葉はどんどん後退している印象です。

高市内閣の支持率の推移は、当初の期待がはげ落ち、「SNS映えだけでけっきょくたいしたことはできない」と国民が気づきはじめたことを示しているように思えます。しかしこれは、高市首相への批判というわけではありません。

日本国の予算を見れば明らかなように、社会保障費(31.9%)と国債の利払い(25.6%)、地方交付税(17.1%)で全体の約75%を占めており、それ以外も防衛費や国家公務員の人件費、教育関連予算などで、自由に使える予算はほとんどないのが実態です。

しかしそれでも、政治家はこの現実を認めることはできません。「わたしたちはなにもできませんが、頑張ります」では選挙に勝てないからです。そしてこれは、日本だけでなく、欧米をはじめ世界中で起きていることです。

「言うだけ番長」という批判には、自分の言葉に責任をもち、公約を実行する政治家がいるはずだという確信(あるいは願望)が込められています。しかし実際は、わたしたちは「誰もが言うだけ番長」という世界に生きているのかもしれません。

後記:7月30日、高市首相は来年4月から2年間限定で食料品の消費税を1%に引き下げる方針を正式に表明しました。

『週刊プレイボーイ』2026年8月3日発売号 禁・無断転載