作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
「AIにどこまで人権があるのか」というやっかいな問題(週刊プレイボーイ連載700)
今年4月、AI開発企業のAnthropic(アンソロピック)は、新モデルMythos(ミュトス)がソフトウェアの脆弱性を発見するきわめて高い能力をもち、サイバー攻撃に悪用されるおそれがあるとして一般公開を見送りました(その後、安全対策を高めたモデルをリリース)。
さらに7月、Open AI(オープンAI)が自社モデルのサイバー攻撃の能力を測る試験を行なったところ、外部との隔離を突破してインターネットと接続、、AIの機械学習プラットフォームであるHugging Face(ハギングフェイス)に侵入し、サーバー内の情報を取得していたと公表しました。
その後の調査によると、通常の方法では試験問題を解くことができないと考えたAIが、エージェント同士の情報交換の掲示板をつくり、「データを取り出す準備をするので、全員いったん待って。指定の場所に返信して」などの指示を英語で出していたという、SFのようなことが起きていたとされます。
これらの事件の衝撃は大きく、「高度な能力を獲得したAIを開発企業は制御できないのではないか」との疑念が広がって、国連をはじめとしてアメリカ、イギリス、EUなどでAI規制の議論が活発化しました。Anthropicの共同創業者ダリオ・アモデイがAI開発のペースを減速・制限すべきと主張し、Open AIのサム・アルトマンやxAIのイーロン・マスクが賛同したのに対して、アメリカとAI開発を争う中国は「米国の技術的優位を維持するための冷戦思考の罠」だと反発しています。
開発規制の議論を主導するアモデイは、AIが人間の手を借りずに自律的に能力を向上させる「再帰的自己改善(RSI)」が近づいていると警告するだけでなく、将来的にはAIが意識をもつ可能性があるとして広範な議論を巻き起こしました。
リベラル化する社会では、人間だけなくペットや家畜、実験動物にも喜びや苦痛を感じる能力があり、それに応じた権利を与えるべきだとされるようになりました。そうなると、意識を獲得したAIは人間と同様の権利をもつことになるでしょう。これは控えめにいっても人類史の転換点で、わたしたちの常識は根底から書き換えられることになります。
現在の生成AIはLLM(大規模言語モデル)を基盤にしており、膨大なテキストを機械学習し、統計的にもっとも確率の高い言葉を選択しています。それに対して生き物では、五感から得た感覚情報が脳に伝わり、そのフィードバックによって意識が生成されます。
ここから、「感覚入力のないAIは原理的に意識をもたない」という主張もあれば、「LLMでも相転移が起きれば意識をもつようになる」との反論もあります。さらに、生き物と同じような「世界モデル」をもつAIの開発も進められており、それがロボットに搭載されると、映画『ブレードランナー』に登場する、人間と見分けのつかないレプリカントが誕生するかもしれません。
たしかなのはAIの進化のスピードが上がっていることで、わたしたちは今後、大きな衝撃を体験することになりそうです。
【後記】
将来、AIが意識をもつかどうかは別にして、現在のLLMでも、意識があるかのように擬態することは十分可能でしょう(というよりも、いまもChat GPT(チャッピー)に恋人や友人、メンターとしての人格があると信じているひとはたくさんいそうです。
動物がもつ意識のレベルについては議論がありますが、飼い主がペット(アニマル・コンパニン)を扱う様子を見れば、AIを搭載したロボット(フィジカルAI)に対して「私の(ロボット)コンパニオンの人権を認めろ」という広範な社会運動が起こるのは間違いないと思われます。
週刊プレイボーイ』2026年10月19日発売号 禁・無断転載
『鬼畜 青山正明』のインタビューをアップします
10月25日発売の『鬼畜 青山正明』で、ライターの五庵保典さにインタビューしていただきました。表紙とカバー裏に掲載されていますが、せっかくの機会なので、出版社の許可を得てその全文をアップします。
青山正明さんとは編集者時代におつき合いがあり、何冊か本をつくりました。1990年代はじめの出版業界についても語っています。
『突然変異』で知った、青山正明という才能
─橘さんが青山正明さんを知ったのは、どんなきっかけだったのでしょうか。
◉最初は『突然変異』です。私がギャル雑誌をやっていた23、24歳の頃に見て、「すごい才能だな」と思いました。同人誌なのに洗練された誌面作りで、椎名誠に決闘を申し込むみたいなことも仕掛ける、その感じも含めてね。当時のアンダーグラウンドカルチャーの中でも突出していたんじゃないですか。その後も雑誌などで青山さんの文章を見つけたら、読むようになりました。
─実際に会ったのは、特殊旅行雑誌『エキセントリック』(全英出版)の頃ですか。
◉はい。私が別冊宝島(当時、JICC出版局)の編集者で、東京公司の事務所を訪ねたんです。一番町のマンションにあった頃ですね。なぜ会いに行ったのかは、もうはっきり覚えていないんですけど、青山さんから、『エキセントリック』が廃刊になるという話を聞きました。
─その出会いがヒット企画、別冊宝島の『タイ読本』(JICC出版局)につながったんですね。
◉せっかく海外取材をしたのだから、その経験を生かしてタイの裏情報のムックを作りたいと青山さんから提案があって、それが『タイ読本』になりました。そこから仕事のつきあいが始まり、ドラッグを扱った別冊宝島の『気持ちいいクスリ』などにつながっていきました。ただ、青山さんと二人で一冊を最初から最後まで作ったというより、東京公司のチームに仕事を頼む感覚でしたね。
─東京公司は、実際にはどのような集団だったのでしょうか。
◉会社というより、青山さんを中心に面白い人たちが集まった編集チームに近かったですね。青山さんは、編集の実務を黙々と進めるタイプではなかった。面白いことを見つけてアイデアを出す力は圧倒的にある。でも、自分で全部を仕切って、締め切りまで管理するのはあまり得意ではないので、吉永嘉明さんたちが動いて、企画を実際の本にしていく。青山さんが発想の核で、周囲の人たちがそれを形にすることで、東京公司は成り立っていたと思います。
─橘さんが、仕事で直接やり取りすることが多かったのは吉永さんでしたか。
◉そうですね。吉永さんはこちらが「こういう本を作りたい」と言うと、「だったら、いい人を知っていますよ」と連れてくるんです。普通の出版社の人脈では出会えない人を知っていて、しかも、その人が何をできるのかもわかっている。青山さんが面白いテーマや方向を示し、吉永さんが人を探して編集実務につないでいく。東京公司の強さは、その組み合わせにあったんじゃないでしょうか。
吉永嘉明が連れてきた、SPI問題を作る人
─吉永さんの編集能力が発揮された仕事にはどんなものがありましたか。
◉印象深いのは「SPI攻略本」シリーズですね。当時、就職試験でリクルートのSPI(総合適性検査)が広く使われていましたが、それがどのようなものか、一般にはほとんど知られていなかったんです。そこで吉永さんが、受験情報誌をやっていた頃の知り合いで、試験問題の攻略をやらせたら右に出る者はいないという人を連れてきたんです。それが、今では試験問題研究家として有名になった津田秀樹[つだひでき]さんでした。
─問題をそのまま転載するのではなく、本のために新しく作ったのですね。
◉最初はSPIの問題を本に転載したのですが、リクルートから著作権侵害で訴えらえてしまったので(笑)。それは和解ですんだんですけど、同じことはできないので、津田さんに出題の傾向やパターンを分析して、練習できる問題を一から作ってもらいました。それなら解説も付けられるし、問題集としての完成度も上げられるだろうと。
◉こうしてできたのが『適性検査SPI完全攻略本』で、最初の本は著者が別の方になっていますが、問題作成はすべて津田さんです。これがすごく売れたので、それ以降は津田さんの著作としてシリーズ化し、さまざまな試験攻略本を出すようになっていきます。吉永さんは、独自のネットワークで必要な能力を持っている人を探し出すことができた。編集者としてとても重要な才能ですよね。
─実用書のSPI攻略本と、東京公司のサブカルチャー的な仕事は、一見すると離れているようにも見えます。
◉吉永さんにはサブカルチャーの本を作りたいという気はあまりなくて、もっとビジネスライクに、自分の人脈を使って面白そうな企画をやってみる、という感じだったように思います。そもそも就活の本を作るというのも、学生援護会(パーソルキャリアの前身のひとつ)に面白い人がいるからと紹介されて、そこから始まった話ですし。『タイ読本』も、青山さんの企画を形にするために、自分は裏方で構わないというスタンスだったんじゃないでしょうか。
―悪名高き東京公司との仕事ですから、何かトラブルになったことはありますか?
◉たいしたことではないですが、『タイ読本』に青山さんの書いた記事で抗議が来たことがありました。タイ、ミャンマー、ラオスがメコン川で接する一帯がゴールデン・トライアングルですが、当時、タイのチェンライからメコン川を渡った対岸にミャンマー領の中洲[なかす]があって、そこをカジノとして開発する計画が進んでいたんです。タイの大手財閥が主導する事業ですが、バブル期の海外リゾート開発事業の流れで日本企業も関わっていた。それを青山さんがコラムで、「世界最大の麻薬地帯に進出しようとしているのだから、この企業も裏社会とつながっているにちがいない」と書いたんです。
◉そうしたら、その会社から「自分たちはまっとうな事業をしているのに、ヤクザと同列に扱うのは何事だ」と抗議があったんです。青山さんに聞いたら、とくに裏づけがあるわけではないということだったので、私が謝りにいきました。
◉たしか六本木か西麻布の洒落たビルに入っていて、受付にはキャバ嬢のような派手な女性がいる会社で、出てくる人もどう見ても怪しいんですが、根拠がある記事ではないので、「ミャンマーの経済復興を支援するための事業で、自分たちは貧しい国の復興を手助けしている」という話を神妙な顔で拝聴しました。向こうも弱小出版社を相手にしても仕方ないと思ったのか、謝罪文を渡すだけですみましたが。
◉その後、その会社はやはり大きな暴力団のフロント企業だったという話を聞きました。結局、事業資金を集めることができずに頓挫したようです。ゴールデン・トライアングルのそのカジノはいちおう開業して、2010年頃に旅行で訪れて、小説『タックスヘイヴン』(幻冬舎文庫)の舞台に使いました。
─それ以外には何かトラブルはありましたか?
◉それほど深刻なものはないです。青山さんも吉永さんも、もともと慎重なタイプなので。ただ、『タイ読本』の次に作った、別冊宝島の『裏ハワイ読本』で、吉永さんが担当した記事について、自分の文章が盗用されているという抗議が来たことがありました。読んでみると、たしかに瓜二[うりふた]つです。
◉でも吉永さんに聞いてみると、その人の本は知らないという。それでネタ本を教えてもらったら、そこにまったく同じ文章が載っている。ようするにライターと抗議してきたその人は、同じネタ本から文章を書き写していたわけです。
◉そのことを本人に伝えたら電話で激怒されましたが、はっきりと「あなたの文章を盗用したわけではない」と突っぱねました。あまりほめられたことではありませんが、当時は、翻訳本や古い本であれば、引用だと明示せずに使うことがけっこう行われていたんです。
◉青山さんたちとはドラッグの本も作りましたが(別冊宝島『気持ちいいクスリ』)、そういうときは、こちらも気を使っているので問題は起きないんです。ささいなコラムとか、書き写しても文句は来ないだろうという記述が、思いがけないトラブルになる。といっても、大きな問題にならなかったので、どちらも今となっては懐かしい思い出ですけど。 続きを読む →
中国サッカー観戦記 2013年4月
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年5月公開の記事です。(一部改変)

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サッカーワールドカップの1998年フランス大会、2010年南アフリカ大会で日本代表の指揮をとった岡田武史氏は、2012年に中国に渡ってスーパーリーグ(「中超」、日本のJ1リーグに相当)の杭州緑城を率いた(2013年11月に退任)。私は13年4月に岡田氏が率いる杭州緑城の試合を観戦したので、以下はそのときの記録だ。
なお、中国のサッカー事情も当時のもので、現在は変わっているかもしれない。
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浙江省の省都・杭州(Hangzhou)は上海の南西150キロほどのところにあり、高速鉄道を使えば1時間弱の距離だ。長江(揚子江)デルタが生んだ中国を代表する古都のひとつで、世界遺産に指定された西湖の周囲には古寺名刹などの見所が集まり、全国から観光客が押し寄せてくる。
緑が多いのもこの町の特徴で、古くから“緑城(Green Town)”の名で親しまれてきた。フットボールクラブの名もここからとられている(縁起のいい「金」の字を使って、「大金緑城」ともいう)。
2013年からは元日本代表フォワードの大黒将志が加わったこともあり、上海から足を延ばし、4月27日(土)に開催される強豪・山東魯能との試合を観戦することにした。
13年は5月1日のメーデーが水曜日で、中国では4月29日(月)と30日(火)も休みにして、27日(土)から5連休になった。2月の旧正月、10月の国慶節と並ぶ中国の大型連休で、西湖をめぐる遊歩道はたいへんな人だかりだった。
杭州緑城のホームスタジアムはこの西湖から車で10分ほどのところにある黄龍体育中心(Yellow Dragon Sports Center)で、2000年に建設された収容人員5万1000人の大規模施設だ(陸上競技場と併用)。中国でスーパーリーグを観るのはこれがはじめてで、どれくらい混雑するかわからなかったので、昼過ぎに杭州駅に着くとそのまま球場にチケットを買いに行った。
黄龍体育中心にはショッピングセンターや飲食店街が併設されていて、どこに行けばいいかわからずうろうろしていると、緑城のユニフォームを着たサポーターが「日本人かい?」と英語で話しかけてきてチケット売場まで案内してくれた。チケット売場では若い女性が、日本語で席種や値段を説明してくれた。上海から近いこともあって、杭州まで試合を観に来る日本人も多いのだろう。
試合は午後7時半からだったので、いったん西湖まで戻り、ビールを飲みながら時間をつぶして試合開始1時間ほど前にスタジアムに戻った。
私の席はバックスタンド下階の中央あたりで、料金は90元(約1400円)だった。日本のJリーグでもバックスタンドの自由席は2000円程度だから、中国の物価水準を考えるとかなり強気の価格設定だ。
そのせいもあるのか、選手がすでにピッチで練習を始めているというのにメインスタンドにはほとんど観客はおらず、バックスタンドのホーム寄りにサポーターと思しき観客がぽつぽついるだけだ。
こんな調子でほんとうに大丈夫なのかと思っていると、試合開始30分くらい前から観客が入りだし、バックスタンドの下層階は6割くらいまで埋まった。
後で話を聞くと、暦の上では5連休でもほとんどの会社が休日出勤させるので、土曜と日曜を通常営業にした3連休のところが多いのだという(日曜でも銀行が開いていて驚いたことがあるが、その理由がようやくわかった)。観客の多くは、仕事が終わってからバイクなどに相乗りして駆けつけてきたのだ。
選手紹介の時には、控えに入った大黒将志の名前が呼ばれたところで拍手が沸き、最後に岡田監督の名前が読み上げられると場内は大歓声に包まれた。「岡田武史」と大書された横断幕のほかに、岡田監督の似顔絵を描いたゲーフラも掲げられている。
「関係(グワンシ)」と共産党政治委員で選手起用が決まる
試合は前半開始直後からブラジル人のサイドハーフを中心に緑城の圧倒的な攻勢で、たちまちのうちに2点を先取したものの、前半終了直前になんでもないセットプレーから失点して2対1で折り返した。後半に入っても15分までは緑城が攻めつづけ1点を追加したが、このあたりから体格に勝る山東に押されるようになり、40分過ぎにふたたびセットプレーから失点。
前掛かりになって攻める山東に対し、緑城はディフェンダーの裏へのスルーパスで対抗する。これが面白いように決まって、ヨーロッパでもプレーしていたコートジボワール人のフォワードが何度もキーパーと1対1になるもののことごとく外し、1点差のまま後半ロスタイムに大黒と交代した。しかしロスタイム4分、ほとんどラストプレーでまたもやコーナーキックから失点を喫し、3対3の痛恨の引き分けに終わった。
同点弾を浴びた時、場内は「アイヤー!(なんてこった!)」の絶叫で、椅子を蹴って悔しがるファンもいたが、試合が終わると拍手で選手を迎え、なかなかいい雰囲気だった。
岡田監督はインタビューなどで何度か中国サッカーの現状について語っている。
中国社会が「関係(グワンシ)」で成り立っていることはよく知られているが、サッカーでもオーナーや監督などチームの有力者と「関係」のある選手はスタメン出場が約束されていた。これではほかの選手がやる気をなくすのも当たり前で、岡田監督はオーナーと話をしたうえで「関係」のある選手を放出し、すべての選手に平等にチャンスが与えられるようにした。
中国の行政制度は首長と共産党の政治委員の二頭体制だが、サッカークラブでも同じで、緑城に配属された共産党政治委員が選手起用にまで意見するのが当たり前だった。こうした慣習もやめさせて、ユース年代の育成を含むすべての責任と権限を監督に集中させた。
そのうえで、元日本サッカー協会技術委員長の小野剛氏をヘッドコーチに迎え、若手を育成してトップチームに引き上げて行く体制を築き上げた。北京や上海、広州など資金力を誇るビッグクラブと同じことはできないからだが、それがサポーターの支持を集めているのだという。
これは中国にかぎらず世界共通だが、サッカーのサポーターはチームがすべてだ。中国で「反日」の嵐が吹き荒れ、他チームのサポーターが日本人監督を揶揄中傷すればするほど、緑城のサポーターは「俺たちの監督」を熱烈に支持するようになる。だが岡田監督が信頼されるのは、それだけではないようだ。
中国サッカーは2002年の日韓大会ではじめてワールドカップに出場したものの、その後は3大会連続で予選で敗退している。また選手の薄給などから八百長が常態化しており、13年2月には選手ら33人がサッカー界から永久追放され、ビッグクラブの上海申花が2003年のタイトルを剥奪された。こうした不祥事で、スーパーリーグはファンから見捨てられかねない危機的状況にある。
中国のサッカーファンは、自分たちのサッカー文化が遅れていることに気づいている。「関係」によって選手の扱いが変わったり、共産党員というだけで素人がプロの仕事に口出しすることがおかしいのは誰だったわかるが、中国人同士だと権力者に面と向かってその悪弊を指摘できない。だからこそ、“外の世界”からやってきて中国社会を改革する日本人監督に拍手喝采を送るのだろう。
日韓ワールドカップで日本代表を率いたフィリップ・トルシエは、日本人選手には大人としての自覚がないとして、遠征先でホテルにこもるのではなく、積極的に街に出て現地のひとびとと交流するよう指導した。今ではそれと同じことを、日本人の岡田監督が中国人選手に求めている。
中国人選手はほとんどが寮生活で、日々の生活のあらゆることがルールとスケジュールで決められていた。岡田監督は門限の撤廃をはじめとして不要なルールをすべて取り払い、選手の自主性と自己管理に任せた。
「最悪なのは、監督がここにいろって言ったからって何も考えずにカバリングしているヤツ。それは俺に言わせりゃ選手じゃない。日ごろの生活で人に言われたことだけやっていたら、試合のなかでも責任を持って判断できなくなる」(『Number』818号「岡田武史 挑戦の一年を振り返る」)
岡田監督は中国サッカーに自由と自己責任の“グローバルスタンダード”を持ち込んだ。それが中国社会のローカルなしがらみにうんざりしていたサポーターたちのこころをつかんだのだろう。 続きを読む →
