作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
金門島で福建と台湾の関係について考えた
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年2月公開の記事です。(一部改変)

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船戸与一の『金門島流離譚』(新潮文庫)を読んでから、ずっと金門島を訪ねたいと思っていた。
この小説の主人公は元敏腕商社マンの藤堂義春で、今は落ちぶれて金門島で密貿易のビジネスをしている。なぜ金門島かというと、そこが「現代史のなかでぽっかり開いた空白の島」だからだ。
金門島は、中国・福建省の港町アモイからわずか2キロほどしか離れていない。この島が特別な理由を藤堂は、作中でおよそ次のように説明する。
「日本統治時代の台湾とは、台湾本島と澎湖島のことで、金門島や(同じく福建省の沿岸にある)馬祖島は含まれていなかった。だが国共内戦に敗れた蒋介石軍が台湾に落ちのびるとき、人民解放軍の追撃に備えて金門と馬祖に兵力を残したため、いまも台湾の実効支配が続いている。中国共産党は、1949年の上陸作戦と58年の砲撃戦でこの2つの島を奪還しようと試みたが果たせなかったのだ。
とはいえ、台湾国民党が受け継いだのは旧・日本の版図だけだから、国際法上、金門と馬祖が台湾領だという根拠はどこにもない。金門島では台湾ドルが流通し、台湾の教育が行なわれているが、島民にはここが台湾領で、自分たちが台湾人だという自覚があまりない。かといって、中華人民共和国の領土だとも考えておらず、どこにも帰属意識のない奇妙なことになっている。
中国共産党はもちろん、金門島を自国の領土と見なしている。金門島の住人は「中国国民」になるから、金門島の戸籍を持っていればアモイの入管は査証なしで通過できる。すなわち、彼らは中国と台湾をビザなしで自由に行き来できるのだ。
そのため金門島は、煙草や高級ウイスキー、ブランデー、音楽CDやゲームソフト、高級ブランドの衣類やバッグ、時計などのコピー商品の一大集積地になった。たとえばブランド品のバッグは、タイから送られた原材料を広東省の山のなかの秘密工場で加工したもので、鑑定士でなければ偽物と見破られないくらい完成度が高い。そんなコピー商品が、現代史の空白を利用してこの島に集まってくるのだ……」
軍事的要衝からパチモノの島へ
1958年に台湾海峡を挟んだ砲撃戦が勃発すると、金門島は軍事的要衝として一般人の立入りが厳しく制限され、島内には台湾軍の精鋭部隊が展開された。1996年の台湾総統選挙で独立派の李登輝が優勢に立つと、「一つの中国」を国是とする中国共産党政府は大規模な軍事演習を行ない、それに対抗して米軍が台湾沖に空母を派遣したことで、東アジアの軍事的緊張は一気に高まった。
しかしその一方で、中国が改革・開放政策で市場経済と外資導入に大きく舵を切るにつれて、両国の関係は大きく変わっていった。
もともと台湾人(本省人)の多くは福建省の出身で、台湾語は閩南(ビンナン)語(福建語)とほとんど同じだから、彼らは異なる国の国民というより同郷人だ。東南アジアで成功した華僑財閥の多くも福建の出身で、彼らが台湾人の企業家や投資家とともに故郷の町や村に工場を建て、積極的に投資したことで、かつては中国でも貧しい省のひとつとされた福建は大きく発展した。
こうして、台湾海峡の危機から10年も経たないうちに、アモイ(福建)と台湾は急速に経済的に一体化していく。
軍事の最前線だった金門島は、92年に戒厳令が解除された後、多くの台湾人が訪れる観光名所になった。その後、中国が台湾人の渡航を緩和したため、金門島経由でアモイを訪れるツアーが大人気になった。金門島の商店は台湾人旅行者のために中国本土の(コピー商品を含む)安い物産を並べ、アモイの町には金門島経由で台湾の物産が流れ込んだ。これが、『金門島流離譚』の背景だ。 続きを読む →
ヒトラーを傷つけるようなことをしてはいけないのか (週刊プレイボーイ連載688)
アドルフ・ヒトラーは1945年4月30日、ソ連軍が迫るなか、ベルリンの総統地下壕で妻のエヴァ・ブラウンとともに、頭部を拳銃で撃ち抜いて自殺しました。2人の遺体は遺言により、側近たちが庭に運び、ガソリンをかけて焼却されました。
その数日後、米軍の将校が、ヒトラーが自殺したとされるソファについていた血痕の部分を切り取り、戦利品として持ち帰りました。この布の断片は2014年にオークションに出され、1万6000ドルでアメリカの歴史博物館が購入しました。
2025年、博物館から血痕のDNAを提供されたイギリスの研究チームが、ヒトラーの親族のDNAと比較した結果、間違いなくヒトラー本人の血液であることが確認されたとして、その解析結果を発表しました。
これはイギリスのテレビでドキュメンタリー番組として放映され、大きな反響を呼びました。このDNA解析で、ヒトラーについての俗説の真偽が明らかになったからです。
ヒトラーはユダヤ人絶滅政策を遂行しましたが、じつはヒトラーにもユダヤ人の血が混じっているのではないかといわれてきました(手塚治虫の『アドルフに告ぐ』はこれがテーマです)。その根拠はヒトラーの父が私生児で、祖父の身元が謎だったからですが、Y染色体を調べた結果、ヒトラーにはユダヤ系の祖父がいなかったことがわかりました。
もうひとつの噂は、ヒトラーが男性器に障害をもっていたというものです。第1次世界大戦中、前線で戦った戦友たちから、生殖器の小ささを理由にからかわれたり、いじめられたりしたという噂はイギリスにも伝わり、兵士たちのあいだで「金玉が1つしかない」とヒトラーを嘲笑する替え歌が大流行しました。
DNA解析では、ヒトラーには「カルマン症候群」を引き起こす遺伝的な変異があったことがわかりました。これは男子の場合、ペニスの形状がきわめて小さくなる症状が生じることがあるとされます。
じつは2015年に、ヒトラーがクーデター未遂で投獄された際の医療記録が発見され、そこには右側停留精巣(精巣が陰嚢に降りてこない状態)が記載されていました。今回のDNA解析結果は、こうした資料とも整合的です。――ここまでは前振りで、本題は以下です。
これは現代史においてきわめて重要かつ興味深い事実なので、この研究結果が報じられたとき、その概要をSNSに投稿しました。
驚いたのは、この投稿に対して、「誰かを傷つけるようなことはしないほうがいい」という反応があったことです。いうまでもなく、この「誰か」とはヒトラーです。
このとき思ったのは、最近の日本社会では、他者のコンプレックスを指摘することはものすごく嫌われるということです。たとえそれが、6000万人のユダヤ人を死に追いやった人物だとしても。
「傷つくこと」や「傷つけること」をこれほど怖れているのなら、ささいなことで「傷つけられた」と感じ、SNSで炎上騒ぎが起きるのも当然です。とはいえ、こういう風潮に抗ってもしかたないので、波風立てないようにやっていくしかないのでしょうが。
参考:「ヒトラーのDNA解析で驚くべき発見、英研究チームの発表がドキュメンタリーに」CNN2025年11月14日
『週刊プレイボーイ』2026年6月29日発売号 禁・無断転載
巨大な「近世帝国」としての中国
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年1月公開の記事です。(一部改変)

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2012年11月の中国共産党大会で習近平(Xi Jinping)が総書記に選出され、次期首相に指名された李克強(Li Keqiang)との新指導部が固まった。ここに至るまでには共産党中央政治局員で重慶市トップの薄熙来(Bo Xilai)が失脚した激しい権力闘争があり、今年に入ってからは広東省の週刊紙『南方週末』をめぐる記事差し替え問題で広範な抗議行動が起きるなど、中国が政治的・社会的な変動期を迎えたことを示す事件が相次いでいる。
チベットなど少数民族の人権問題やリベラルデモクラシーを求めるひとたちへの政治弾圧、尖閣諸島(中国名:釣魚島)への度重なる領海侵入や南シナ海の南沙諸島をめぐるベトナム、フィリピンとの領有権争いなど、国際社会の懸念を募らせる問題も数多い。
私たちは、この巨大な隣人とどのようにつき合えばいいのだろうか?
ポスト中国はやはり中国
2012年9月の反日デモや、沿海部を中心とする人件費の高騰によって日本企業はチャイナリスクを意識せざるを得なくなり、ベトナムやカンボジア、ミャンマーなど「チャイナプラスワン」が注目されるようになった。日本の大手企業が東南アジアに工場を建設するほか、中産階級の台頭を見越して流通業や飲食チェーンの進出計画も相次いだ。
こうした報道を読むとき、私たちは無意識のうちに、中国とベトナム、カンボジア、ミャンマーを「同じ」国としてイメージしている。
もちろん、中国が15億の巨大な人口を抱えていることは誰もが知識としては知っている。だがその数を具体的にイメージできるだろうか?
下のグラフを見ていただきたい。東アジア、東南アジアの国々と、中国の省・自治区・直轄市の人口を並べたものだ。

中国を除けば、このなかでもっとも人口が多いのはインドネシア(2億3000万人)だが、その国境は帝国主義時代に欧米列強によって決められたもので、言語、宗教、民族の異なる多数の島が集まった多民族国家として長く軍事独裁がつづき、97年のアジア通貨危機でスハルト政権が崩壊して、いまようやく民主制国家として歩みはじめたばかりだ。日本に次ぐ人口を持つフィリピン(9400万人)も同じく多民族国家で、1986年にマルコス政権が倒れるまではやはり軍事独裁だった。 続きを読む →