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中国サッカー観戦記 2013年4月
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年5月公開の記事です。(一部改変)

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サッカーワールドカップの1998年フランス大会、2010年南アフリカ大会で日本代表の指揮をとった岡田武史氏は、2012年に中国に渡ってスーパーリーグ(「中超」、日本のJ1リーグに相当)の杭州緑城を率いた(2013年11月に退任)。私は13年4月に岡田氏が率いる杭州緑城の試合を観戦したので、以下はそのときの記録だ。
なお、中国のサッカー事情も当時のもので、現在は変わっているかもしれない。
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浙江省の省都・杭州(Hangzhou)は上海の南西150キロほどのところにあり、高速鉄道を使えば1時間弱の距離だ。長江(揚子江)デルタが生んだ中国を代表する古都のひとつで、世界遺産に指定された西湖の周囲には古寺名刹などの見所が集まり、全国から観光客が押し寄せてくる。
緑が多いのもこの町の特徴で、古くから“緑城(Green Town)”の名で親しまれてきた。フットボールクラブの名もここからとられている(縁起のいい「金」の字を使って、「大金緑城」ともいう)。
2013年からは元日本代表フォワードの大黒将志が加わったこともあり、上海から足を延ばし、4月27日(土)に開催される強豪・山東魯能との試合を観戦することにした。
13年は5月1日のメーデーが水曜日で、中国では4月29日(月)と30日(火)も休みにして、27日(土)から5連休になった。2月の旧正月、10月の国慶節と並ぶ中国の大型連休で、西湖をめぐる遊歩道はたいへんな人だかりだった。
杭州緑城のホームスタジアムはこの西湖から車で10分ほどのところにある黄龍体育中心(Yellow Dragon Sports Center)で、2000年に建設された収容人員5万1000人の大規模施設だ(陸上競技場と併用)。中国でスーパーリーグを観るのはこれがはじめてで、どれくらい混雑するかわからなかったので、昼過ぎに杭州駅に着くとそのまま球場にチケットを買いに行った。
黄龍体育中心にはショッピングセンターや飲食店街が併設されていて、どこに行けばいいかわからずうろうろしていると、緑城のユニフォームを着たサポーターが「日本人かい?」と英語で話しかけてきてチケット売場まで案内してくれた。チケット売場では若い女性が、日本語で席種や値段を説明してくれた。上海から近いこともあって、杭州まで試合を観に来る日本人も多いのだろう。
試合は午後7時半からだったので、いったん西湖まで戻り、ビールを飲みながら時間をつぶして試合開始1時間ほど前にスタジアムに戻った。
私の席はバックスタンド下階の中央あたりで、料金は90元(約1400円)だった。日本のJリーグでもバックスタンドの自由席は2000円程度だから、中国の物価水準を考えるとかなり強気の価格設定だ。
そのせいもあるのか、選手がすでにピッチで練習を始めているというのにメインスタンドにはほとんど観客はおらず、バックスタンドのホーム寄りにサポーターと思しき観客がぽつぽついるだけだ。
こんな調子でほんとうに大丈夫なのかと思っていると、試合開始30分くらい前から観客が入りだし、バックスタンドの下層階は6割くらいまで埋まった。
後で話を聞くと、暦の上では5連休でもほとんどの会社が休日出勤させるので、土曜と日曜を通常営業にした3連休のところが多いのだという(日曜でも銀行が開いていて驚いたことがあるが、その理由がようやくわかった)。観客の多くは、仕事が終わってからバイクなどに相乗りして駆けつけてきたのだ。
選手紹介の時には、控えに入った大黒将志の名前が呼ばれたところで拍手が沸き、最後に岡田監督の名前が読み上げられると場内は大歓声に包まれた。「岡田武史」と大書された横断幕のほかに、岡田監督の似顔絵を描いたゲーフラも掲げられている。
「関係(グワンシ)」と共産党政治委員で選手起用が決まる
試合は前半開始直後からブラジル人のサイドハーフを中心に緑城の圧倒的な攻勢で、たちまちのうちに2点を先取したものの、前半終了直前になんでもないセットプレーから失点して2対1で折り返した。後半に入っても15分までは緑城が攻めつづけ1点を追加したが、このあたりから体格に勝る山東に押されるようになり、40分過ぎにふたたびセットプレーから失点。
前掛かりになって攻める山東に対し、緑城はディフェンダーの裏へのスルーパスで対抗する。これが面白いように決まって、ヨーロッパでもプレーしていたコートジボワール人のフォワードが何度もキーパーと1対1になるもののことごとく外し、1点差のまま後半ロスタイムに大黒と交代した。しかしロスタイム4分、ほとんどラストプレーでまたもやコーナーキックから失点を喫し、3対3の痛恨の引き分けに終わった。
同点弾を浴びた時、場内は「アイヤー!(なんてこった!)」の絶叫で、椅子を蹴って悔しがるファンもいたが、試合が終わると拍手で選手を迎え、なかなかいい雰囲気だった。
岡田監督はインタビューなどで何度か中国サッカーの現状について語っている。
中国社会が「関係(グワンシ)」で成り立っていることはよく知られているが、サッカーでもオーナーや監督などチームの有力者と「関係」のある選手はスタメン出場が約束されていた。これではほかの選手がやる気をなくすのも当たり前で、岡田監督はオーナーと話をしたうえで「関係」のある選手を放出し、すべての選手に平等にチャンスが与えられるようにした。
中国の行政制度は首長と共産党の政治委員の二頭体制だが、サッカークラブでも同じで、緑城に配属された共産党政治委員が選手起用にまで意見するのが当たり前だった。こうした慣習もやめさせて、ユース年代の育成を含むすべての責任と権限を監督に集中させた。
そのうえで、元日本サッカー協会技術委員長の小野剛氏をヘッドコーチに迎え、若手を育成してトップチームに引き上げて行く体制を築き上げた。北京や上海、広州など資金力を誇るビッグクラブと同じことはできないからだが、それがサポーターの支持を集めているのだという。
これは中国にかぎらず世界共通だが、サッカーのサポーターはチームがすべてだ。中国で「反日」の嵐が吹き荒れ、他チームのサポーターが日本人監督を揶揄中傷すればするほど、緑城のサポーターは「俺たちの監督」を熱烈に支持するようになる。だが岡田監督が信頼されるのは、それだけではないようだ。
中国サッカーは2002年の日韓大会ではじめてワールドカップに出場したものの、その後は3大会連続で予選で敗退している。また選手の薄給などから八百長が常態化しており、13年2月には選手ら33人がサッカー界から永久追放され、ビッグクラブの上海申花が2003年のタイトルを剥奪された。こうした不祥事で、スーパーリーグはファンから見捨てられかねない危機的状況にある。
中国のサッカーファンは、自分たちのサッカー文化が遅れていることに気づいている。「関係」によって選手の扱いが変わったり、共産党員というだけで素人がプロの仕事に口出しすることがおかしいのは誰だったわかるが、中国人同士だと権力者に面と向かってその悪弊を指摘できない。だからこそ、“外の世界”からやってきて中国社会を改革する日本人監督に拍手喝采を送るのだろう。
日韓ワールドカップで日本代表を率いたフィリップ・トルシエは、日本人選手には大人としての自覚がないとして、遠征先でホテルにこもるのではなく、積極的に街に出て現地のひとびとと交流するよう指導した。今ではそれと同じことを、日本人の岡田監督が中国人選手に求めている。
中国人選手はほとんどが寮生活で、日々の生活のあらゆることがルールとスケジュールで決められていた。岡田監督は門限の撤廃をはじめとして不要なルールをすべて取り払い、選手の自主性と自己管理に任せた。
「最悪なのは、監督がここにいろって言ったからって何も考えずにカバリングしているヤツ。それは俺に言わせりゃ選手じゃない。日ごろの生活で人に言われたことだけやっていたら、試合のなかでも責任を持って判断できなくなる」(『Number』818号「岡田武史 挑戦の一年を振り返る」)
岡田監督は中国サッカーに自由と自己責任の“グローバルスタンダード”を持ち込んだ。それが中国社会のローカルなしがらみにうんざりしていたサポーターたちのこころをつかんだのだろう。
中国のプロサッカーリーグが抱える困難
2002年の日韓ワールドカップ出場を受け、中国のプロサッカーリーグ、スーパーリーグが2004年に鳴り物入りで始まった。しかし今回スーパーリーグの試合を実際に観て、これを興行として成り立たせるのはそうとうに難しいと感じた。理由は単純で、中国はひとつのリーグで運営するには広すぎるのだ。
杭州のある浙江省だけで人口は5400万人もいる。これに同じ長江デルタ文化圏の上海市(人口2300万人)と江蘇省(人口7800万人)を加えれば、その人口は日本を上回る1億5500万人にもなる。本来ならこの地域だけでじゅうぶんにプロサッカーリーグを運営できるはずで、実際、上海の3チームのほかに江蘇省と浙江省に各1チームがあり、スーパーリーグ全16チームの3分の1を占める。
これらのチームは同じ地域同士のダービーマッチが成立するだけまだマシだが、あとは広州、山東、遼寧に2チームが所属しているほかは北京ですら1チームしかなく、人口5000万人を超える河南、四川、河北、湖南、安徽の各省にはスーパーリーグのクラブがない。これでは、中国全土を巻き込んだサッカーブームなど夢のまた夢だ。
杭州緑城との試合にも上海や杭州に住む山東省出身者を中心に魯能の熱心なサポーターが集まっていたが、その数は200人ほどだった。山東省から「外国」に等しい杭州まで観戦に駆けつけるのは難しいだろうから、応援は現地で暮らす地元出身者に頼るしかない。大都市の上海が近くにあってもこの人数なのだから、地方クラブの集客ははるかに困難にちがいない。
中国の巨大な人口からすれば、それぞれの省にプロリーグがあってもおかしくはない。そうするとスーパーリーグは、各リーグの上位チームが省を超えてたたかうヨーロッパチャンピオンズリーグのようなものになるはずだ。それぞれの省から優れた選手を選抜して代表チームをつくり、ヨーロッパカップのような“チャイナカップ”も開けるかもしれない。
スーパーリーグの下位に日本のJ2に相当する甲級リーグがあるが、ここでも満州から広東までの16チームが総当たり戦をしている。その下の乙級リーグ(日本のJFLに相当)になってようやく北地区と南地区に分けられる。
イングランドのプレミアリーグに地元の観客が熱狂するのは、「俺たちのチーム」が「あいつらのチーム」を叩きのめすからだ。相手チームのサポーターが大挙して押しかけてくるぐらいでないと試合は盛り上がらない。
移動の負担があまりにも大きいと、選手もサポーターも疲弊してしまう。地元のチーム同士がプライドを賭けてたたかう試合を増やしていかないと、地域に根ざしたスポーツ文化は生まれないのだ。
中国にも素晴らしい素質を持った選手はたくさんいるはずだが、育成や指導以前に、若者たちに希望を与え、優秀な選手を草の根から発掘するシステムがいまは存在しない。人口に比べてプロ選手の数は圧倒的に少なく、地元の有望選手でもほとんどはプロへの道を諦めてしまう。
ラクダが針の穴を通るような確率でプロサッカー選手になれたとしても、サッカー人気が盛り上がらなければ選手たちは薄給に甘んじ、八百長の誘惑に駆られることになる。人口5400万人の地域の唯一のクラブが1万人も集客できないのではあまりにも寂しい。
岡田監督は、U11(11歳以下)からU19(19歳以下)まで、ユース年代の選手たちを組織的に育成することで、この美しい古都にサッカー文化を根づかせようとしている。こうした地道な努力が実を結んで、いつの日か5万人の大観衆のなかで、Jリーグのチームとクラブアジアチャンピオンの座を争う姿を見てみたい。
禁・無断転載
フィリピンで介護を受ける日本人高齢者たち
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年5月公開の記事です。(一部改変)
当時は本人の許可を得て実名にしましたが、それからかなり時間がたっているので、入居者はイニシャルに変えました。
その後の10年で状況は様変わりし、いまでは円安で外国人が日本に長期滞在するようになりましたが、以前はこうだったという記録として載せておきます。

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「海外で年金生活」が話題を集めた時期があった。といっても、過去形にするのは間違っている。海外での長期滞在を支援するロングステイ財団が主催するセミナーや相談会はリタイアした団塊の世代でいつも満席で、ロングステイヤー(海外長期滞在者)の生活を取材する雑誌記事やテレビ番組も頻繁に目にする。
だが海外生活への関心は、時代とともに少しずつ変わってきている。
第一次のブームは1997年の金融不安の頃で、「日本の財政はいずれ破綻し円は紙くずになるのだから、日本を脱出して海外で余生を過ごすしかない」と考えるひとたちが現われた。私もこうした最初期の海外脱出組を何人か知っているが、けっきょく日本に帰ってきたひともいれば、現地で家族をつくり根を下ろしたひともいる。
その後、2000年のインターネットバブル崩壊後の円高で、日本とアジアの国々の物価のちがいを利用して年金を有効活用しようと、海を渡る高齢者が増えてきた。タイやマレーシアが長期滞在の定番だが、フィリピンに向かう独身男性もいて、10年を経て「困窮邦人」が大きな問題になってきたことはすでに述べた。
2008年のリーマンショック後の“超円高”によって、リタイアした団塊の世代の関心がふたたび海外に向かった。しかし最近は、年金を頼りに海外に永住するというよりも、日本を生活の拠点としつつ、夏や冬の時期だけ海外の別荘(セカンドハウス)にショートステイするひとたちが増えているという。
こうした傾向は、社会の高齢化が進んだことで富裕な高齢者の絶対数が増えたことと、日本経済が長いデフレに苦しんだ結果、もはやアジアで暮らすことが「割安」ではなくなったことから説明できる。
もちろんいまでもアジアのほとんどの国は日本より貧しいが、バンコクやクアラルンプールといった大都市で外国人向けのコンドミニアムに暮らし、日本料理店に通ったり、日本の食材を定期的に購入すれば、日本よりもずっと生活コストが高くなってしまう。アベノミクスで円安が進んだため、現地通貨で換算した年金が目減りして悲鳴をあげている退職者は多い。
こうしていつのまにか、生活防衛のための海外生活は、富裕な高齢者の「第二の青春」へと変わっていった。
しかし元気な高齢者も、10年後、20年後には介護の問題を抱えることになる。高齢者の増加と社会保障費の膨張を考えれば、そのときに日本の介護保険や医療保険制度が現在のまま維持できるとは限らない。
このようにして、海外で日本人の高齢者に介護サービスを提供するビジネスが模索されるようになった。 続きを読む →
日本社会の資産格差拡大の原因は「ソロ化」?(週刊プレイボーイ連載698)
すこし前に「日本では所得格差は拡大していないが、それはよい知らせではない」という記事を書きました。厚生労働省の報告書や経済学者の分析によれば、日本の所得格差は拡大していないばかりか、逆に縮小していたのです。ファクトに基づけば、「経済格差が拡大している」とあれだけ大騒ぎしたにもかかわらず、日本の実態は、「失われた30年のあいだ、みんなで平等に貧しくなった」になります。
これはかなり衝撃的な事実ですが、「所得格差は縮小していても、資産格差は拡大しているのではないか」という反論があるでしょう。これについては内閣府が、『日本における所得・収入・資産格差に関する長期的視点からの考察:1984年~2019年』という詳細な研究を発表しています。
資産は銀行預金のほか、おもに株式と不動産で保有されます。1990年代のバブル崩壊によって、日本では株価も地価も大きく下落し、その結果、富裕層の資産が減って格差は縮小しました。
その後、株価・地価が下げ止まると、資産格差は徐々に拡大しはじめます。ところがこの格差拡大は、富裕層の資産が増えたというよりも、現役世代のなかで金融資産をまったく、あるいはほとんどもたない世帯が増えからだというのです。
この傾向が顕著なのは単身世帯で、とりわけ若い世代で、金融資産1000万円超の独身もいれば、金融資産ゼロの独身もいるという二極化(世代内格差)が進んでいます。日本では、単身世帯が増えることで資産格差が拡大しているのです。
研究はその理由について述べていませんが、真っ先に思い浮かぶのは「ロスジェネ世代」でしょう。就職氷河期で正社員になれなかったひとたちは、収入が少ないために資産形成できず、男性は低収入だと結婚が困難になるので、単身世帯が増えているのかもしれません。
これはたしかに説得力がありますが、女性にはあてはまりません。データによれば、女性は収入が少ないほど婚姻率が高いのです。――これは因果関係が逆で、結婚して専業主婦やパートになったから収入が少なくなったというのも考えられます。
それに加えて、日本経済が就職氷河期から人手不足に変わって、正社員として新卒採用されるようになった若い世代でも、単身世帯の増加と資産格差の拡大が観察されます。この現象は「ロスジェネ世代」では説明できません。
そうなると、もうひとつの可能性は「ソロ化」です。ある程度の収入があっても、家族をもつ予定がなければ資産を増やす必要はなく、趣味や推し活など好きなことにお金を使っているのかもしれません。
ライフスタイルの変化によって、所得の大半を消費にまわす「ソロ(単身世帯)」が増えると、マイホームの購入や子どもの教育費のために資産形成しようとする家族世帯とのあいだで資産格差が開いていくのです。
結婚するつもりのない若者の割合は増えつづけており、「ソロ化」はこれからますます進むでしょう。それにともなって資産格差が拡大していけば、日本社会のすがたは大きく変わるかもしれません。
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