作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
節電・節約要請で「自粛警察」が登場する?(週刊プレイボーイ連載680)
アメリカとイスラエルがイランを攻撃し、イランが報復として石油輸送の要衝であるホルムズ海峡を封鎖したことで、世界に混乱が広がっています。
ラオスではガソリンスタンドの4割が閉鎖され、スロベニアでは自家用車向けのガソリン購入が1日50リットルに制限されたと報じられました。
それ以外でも、韓国政府は公用車に車両ナンバーの数字に応じた運航規制を実施し、民間の一部も使用制限に取り組みはじめました。ミャンマーでは、ナンバーが奇数で始まる車は偶数日、奇数であれば奇数日でしか走行や給油ができず、スリランカは水曜を政府の休日に定め、官公庁や学校などを休みにし、フィリピンも政府職員を週4日勤務としました。
それに対して日本はというと、石油の国家備蓄を放出するとともに、ガソリン1リットル当たりの全国平均小売価格を「170円程度」に抑えるための補助金を実施しています。これによって国民の生活は平常に保たれていますが、石油の国家備蓄と民間備蓄を合わせてもせいぜい半年分で、補助金は1兆円を確保したというものの、1カ月あたり5000億円が必要で、2カ月で枯渇してしまいます。
そこで高市総理は、エネルギー価格高騰対策として節電や節約の要請を排除しないと国会で答弁しました。
この話が矛盾しているのは、ガソリン価格が安いままであれば、節約する理由がないことです。みんなが節約を始めるのは、政府がお願いしたからではなく、価格が高くてもったいないと感じたときでしょう。
経済学では、節電・節約のもっとも効果的な方法は料金を引き上げることです。お金持ちは高い電気代やガソリン代でもさしたる負担ではないのだから、全員に節約を促したうえで、物価の上昇で苦境に陥る世帯に絞って現金を給付すればいいのです。
石油備蓄の放出も同じで、病院や公共交通機関など市民生活に大きな影響を与えるところに提供すべき貴重な備蓄分がレジャーやドライブに使われています。一律でガソリン価格を下げるなら、これまでの快適な生活を変える理由などありません。
そこで節約を要請するという発想になるのですが、これでは「正直者がバカを見る」ことになってしまいます。
足が悪くて車で病院に通っていた正直者は、政府の要請にしたがい、不便なバスを使おうとするかもしれません。一方、そんなことになんの関心もないひとは、燃費の悪いSUVでキャンプや温泉に出かけるでしょう。当然、これでは社会の不満が高まるだけです。
コロナ禍の日本は、飲食店に酒類提供の停止や営業時間の短縮を要請しましたが、なかには「深夜までお酒飲めます」などの看板を掲げる店もあり、大きな問題になりました。このようなことが起きるのは、日本では「権力は悪」とされていて、政府による強制がものすごく嫌われるからです。
その結果、政府は規制しなければならないことでも「お願い」せざるを得なくなり、それを徹底するために「自粛警察」に頼るということを繰り返してきました。
このまま戦争が終結せず、いよいよ石油が足りなくなると、また同じことが起きるような気がしてなりません。
「ホルムズ封鎖 世界に影響」朝日新聞2026年4月6日
『週刊プレイボーイ』2026年4月20日発売号 禁・無断転載
ギリシアの「南の思想」は北のヨーロッパの合理性に対抗できるか?
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2015年7月公開の「ギリシア問題の本質は、「南」が経済だけでなく思想、ライフスタイルすべてで「北」に敗北したということ」です。(一部改変)

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2015年7月5日に行なわれた国民投票でギリシア国民はEUの緊縮財政策に「NO」の意思表示をしたはずなのだが、その民意を受けて交渉に臨んだチプラス首相はあろうことか、ユーロ圏首脳会議でドイツなどが強硬に主張したより厳しい財政改革案を丸呑みし、国会での法制化を条件とする金融支援再開が決まった。「民主主義」によって反対と決めたはずなのにいつのまに賛成しているという不条理劇みたいな話だが、誰も驚いていないところにギリシア危機の病理の深さがある。
このEU首脳会議ではじめて知ったのだが、ギリシアの提案に首相同士が合意しても、ドイツだけでなく(ギリシアに対してきわめて批判的な)フィンランドや東欧諸国でも国会の承認が必要で、支援策の実行にはEU加盟国すべての合意が条件になっているのだから、チプラスがどんな名演説をしようが債権放棄のような大幅な譲歩を獲得できる可能性は最初からゼロだった。高齢にもかかわらず徹夜で協議をまとめたEU首脳はもちろん、株価や為替の乱高下に振り回された市場関係者や投資家もたまったものではないだろう。
なぜこんなことになってしまったのかは、EU発足時の構造的な欠陥だとか、ギリシアの前近代的な政治風土だとか、いろいろなことがいわれている。それらはどれも間違ってはいないが、ここではすこし視点を変えて、この問題を「北の思想」と「南の思想」の対立として考えてみたい。
合理的・計画的に社会を構築(デザイン)していこうする意思
“北のヨーロッパ”は北欧(スウエーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク)やベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)のことで、それにアイスランドやスイスなどが加わる。これらの国はどこも1人あたりGDPが高く、福祉が充実していて、国連の「幸福度報告書」で上位の常連になっている(2015年版世界の幸福度ランキングでは1位がスイス、2位がアイスランド、3位がデンマーク。ちなみに日本は43位から46位に順位を下げた)。そしてこの「幸福な国々」は、ギリシアに対してきわめてきびしい態度をとる国でもある(ノルウェーとアイスランドはEU未加盟)。
“北のヨーロッパ”がどんな社会かを知るには、(昨年までは「世界でいちばん幸福な国」だった)デンマークの通勤風景を見るといい。コペンハーゲンでは自転車道が歩道と完全に分離されていて、自転車で通勤するひとたちは車道の右側を走り、逆走は許されず、信号が赤になれば横断歩道の手前で停まる(要するにオートバイと同じ扱いだ)。
この自転車道は車道とも明確に分離されていて、車は入ってこないようになっている。このためきわめて安全で、自転車の後ろにベビーカーをつけ、赤ん坊といっしょに自転車通勤する母親(あるいは父親)の姿も珍しくない。
自転車を歩行者からも車からも分離する交通システムはオランダのアムステルダムなどで始まったが、10年もしないうちに“北のヨーロッパ”全体に広がった。なぜなら、この方が誰にとっても快適だからだ。この自転車通勤が象徴するように、“北の思想”の特徴は合理性へのあくことなき追求で、彼らにとっては効率的なシステムこそが快適をもたらすのだ。
“北のヨーロッパ”はどこも福祉を重視する大きな政府だったが、それが80年代に次々と行き詰まると、福祉を活かしたまま効率的な小さな政府をつくることに舵を切った。この新しい国家モデルは、いまでは“ネオリベ型福祉国家”と呼ばれている。
デンマークにおいて新自由主義的改革を全面的に推し進めたのは、2001年から09年まで3期にわたって首相の座にあったアナス・フォー・ラスムセンだ。そのラスムセンは、憲法の規定によって09年に政権を引き渡すときに、「2020年までに果たすべき10の目標」をデンマーク国民に宿題として残した。それを見ると、この国が目指しているものがよくわかる。 続きを読む →
「子育てによって子どもの人生が決まる」は間違いだった(週刊プレイボーイ連載679)
世の中の「子育て論」の前提は、「正しい子育てをすれば子どもはよい子に育ち、社会的・経済的に成功できる」というもので、この信念は現代の信仰といってよいほど強固です。しかしこれは正しいのでしょうか。
1990年代のアメリカで、この疑問にこたえるために、青年期のきょうだいのいる700家庭を10年間にわたって追跡調査する大規模な研究が行なわれました。対象となったきょうだいには一卵性双生児、二卵性双生児、実のきょうだい、異父母きょうだい、養子きょうだいなどがおり、これによって遺伝と環境の影響を分離できます。
その結果は、これまでの常識を書き換えるものでした。
ひとつは、異父母きょうだいや養子きょうだいだけでなく、一卵性双生児でも性格にかなりのちがいがあったことです。
一卵性双生児は遺伝的にまったく同一で、親が異なる子育てをしているわけでもありませんでした。そうなると考えられるのは家庭外の環境しかありません。同じ家庭で育った一卵性双生児でも、別の学校に行ったり、別の友だちグループとつき合うなどの偶然の体験によって、異なる性格になっていくのです。
ところがその一方で、親が子どもの人格を否定するような子育てをすると、子どものうつや反社会的行動として現われることもわかりました。これは子育てが子どもに影響を与える証拠だと解釈されましたが、より詳細に調べると思わぬ発見があったのです。
子どもが素直なよい子なら、親がきびしいしつけをする理由はないでしょう。子どもが反抗的なら、親は強く叱ったり、場合によっては暴力によってしつけようとするかもしれません。
しかしこれは、子どもにとって理不尽そのものに思えます。そこでより反抗的になり、親の接し方もさらに否定的になるという負のスパイラスにはまってしまうのです。研究では、この遺伝の影響を調整すると、親の子育ては子どもになんのちがいも生んでいませんでした。
この結果をどのように理解すればいいのでしょうか。
ひとつだけはっきりしているのは、「(俗流)子育て論」がいかに残酷かということです。子育てに成功した親にとっては、「あなたががんばったからだ」と自己満足を正当化してくれるかもしれませんが、遺伝的な偶然で「難しい子ども」をもった親は、「お前の子育てが悪いからだ」という暗黙の批判によって、さらに苦しむことになるのです。
同様の研究によれば、家庭だけでなく学校も子どもの人格形成にちがいを生まないことがわかっています。
「子どもに十分なことをしてやれてないのではないか」「受験に失敗したらどうなるだろう」と悩んでいる親もいるかもしれませんが、行動遺伝学の頑健な知見によれば、(虐待などの極端なことがないかぎり)子育ても学校もほとんど関係ないので、自分を責める必要はありません。
子どもは、自分の遺伝的な特徴に合わせた環境を構築しながら、「自分らしい」大人へと成長していくのです。
ロバート・プロミン『こころは遺伝する DNAはいかに〈わたし〉を形づくるか』田中文訳、安藤寿康解説/河出書房新社
『週刊プレイボーイ』2026年4月13日発売号 禁・無断転載