「人づくり革命」を打ち出した安倍首相は、消費税の増税分を教育無償化や社会保障制度の充実にあてるとして解散・総選挙に踏み切りました。「コンクリートから人へ」を掲げて高校無償化を実現したのは民主党政権で、「保守・伝統主義」であるはずの安倍政権はますますリベラル化して、もはやかつての民主党と区別がつかなくなっています。
ところで「教育無償化」は、アメリカの経済学者でノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマンの研究を根拠にしているとされます。
1960年代に、3歳から4歳の子どもたちに就学前教育を行ない、その結果を40年にわたって追跡するという大規模な実験が行なわれました。ヘックマンはこの実験を詳細に検討し、教育支援を受けたグループは、高校卒業率や持ち家率、平均所得が高く、婚外子をもつ比率や生活保護受給率、逮捕者率が低いことを明らかにしました。社会全体の投資収益率は15~17%で、100万円の投資に対して15万円から17万円が返ってくるのですから、教育に投資することは公共投資と比べてもはるかにリターンが高いのです。
ここまでは素晴らしい話ですが、ヘックマンの議論をちゃんと読んでみると、すこしニュアンスが異なることがわかります。
ヘックマンは、どうしたら子どもたちに公平なチャンスを与えられるかを考え、子どもが小学校に入学する6歳の時点で、認知的到達度(学業成績)の格差はすでに明白だということに気づきます。こうして就学前教育に注目するのですが、それは逆にいえば、「小学校にあがってからでは遅い」ということです。
認知能力の発達について膨大な文献を渉猟したヘックマンは、誕生から5歳までの教育投資の重要性を説き、「認知的スキルは11歳ごろまでに基盤が固まる」といいます。すなわちヘックマンの議論では、中等教育や高等教育に税を投入することは、投資に対してプラスのリターンが見込めないため、政策としては正当化できないのです。
日本では「教育は無条件に素晴らしい」と信じられているため、このもっとも重要なポイントはほとんど言及されません。さらにもうひとつ、ヘックマンを引用するひとたちが(たぶん)意図的に無視しているのは、ベースとなった就学前教育の実験対象が黒人の貧困家庭の子どもたちだったことです。
1960年代のアメリカは人種差別がきびしく、階級格差というよりも国内に新興国(発展途上国)を抱えているようなものでした。途上国の子どもたちに教育投資を行なえば高い収益率が実現できることは中国や東南アジアの経済成長でも実証されていますから、この結果はなんの不思議もないともいえます。
このようにヘックマンは、「すべての幼児教育を無償化すべきだ」と主張しているわけではありません。いまの日本にあてはめるなら、政策として正当化できるのは、母子家庭など貧困層の子どもたちへの支援だけでしょう。
無駄な教育投資をやめれば消費税の増税分を財政再建に回すことができ、いいことだらけですが、なぜこのような真っ当な議論がないのでしょうか。それは……。ここから先は、いちいち説明する必要はありませんね。
参考:ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』
『週刊プレイボーイ』2017年10月10日発売号 禁・無断転載