橋下徹大阪市長の「維新版・船中八策」で、ベーシックインカムの導入が検討されています。ベーシックインカムは「生存権」を基本的人権として、国家が国民全員に最低限の所得を保障する制度で、これによって貧困問題は解決できると主張するひともいます。
新自由主義の立場から市場の活用を掲げる維新の会がベーシックインカムを取り上げるのは、社会保障から国家の関与をなくし行政を簡素化できると考えているからでしょう。「20歳以上の国民に一律に月額7万円を支給する」と決めてしまえば、年金も失業保険も生活保護もすべて不要になります。
いいことだらけのようなベーシックインカムですが、現実にはこのような政策を採用している国はひとつもありません。しかし歴史をさかのぼれば、きわめてよく似た貧困救済策を実施した例が見つかります。それは、産業革命勃興期のイギリスです。
近代以前は、貧富の差は身分の差であり、農民は貧しいながらもなんとか生きていくことができました。ところが産業革命によって農村から都市に人口が流入すると各地にスラム街が生まれ、不景気になると都市で食い詰めた貧困層が農村に逆流してきます。こうして、「貧困」がはじめて社会問題になりました。
当時のイギリスでは、教会が中心となって、教区ごとに住民の生活を保障する仕組みになっていました。
1795年5月6日、スピーナムランドという小さな町に集まった判事たちは、貧困問題を解決する画期的な決定を下します。彼らは、「一人ひとりの所得に関係なく最低所得が保障されるべきである」として、パンの価格に応じた賃金扶助を命じたのです。
「生存権」を大胆に認めたスピーナムランド法は、イギリス全土に急速に広まっていきますが、1834年にあえなく廃止されてしまいます。この善意にあふれたアイデアの、いったいどこが上手くいかなかったのでしょうか。
最低所得保障はまず、労働の倫理を破壊しました。懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになるのなら、雇用主のために働くのはバカバカしいだけです。こうして、ひとびとは自尊心を捨てて貧乏を好むようになりました。
するとこんどは、雇用主が払う賃金が下がってきました。労働者をただ働きさせても、差額の賃金が税金から補填されるのですから、給料を払う理由があるはずはありません。そればかりか彼らは、貧困層に支払われる家賃扶助を目当てに、あばら家を貸し付けて儲けました。これは、昨今の「貧困ビジネス」と同じです。
スピーナムランド法の最大の被害者は、「物乞いとして生きていくのはご免だ」という自立心の強いひとたちでした。賃金が大幅に引き下げられたため、彼らのほとんどが破産してしまったのです。
このようにして、「すべてのひとに最低限の生活を保障する」19世紀はじめのユートピアの実験は、ものの見事に失敗してしまいました。
同じヒトである以上、200年前のイギリス人も現代の日本人もたいして変わりません。ベーシックインカムも、きっと同じような「愚者の楽園」を生み出すことになるでしょう。
参考文献:カール・ポラニー『大転換』
『週刊プレイボーイ』2012年3月5日発売号
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