Jリーグのレフェリーが、「日本語は難しい」という話をしていました。英語であれば、相手がメッシでも「ステップバック」といえばボールから離れます。しかし日本語で「下がれ」と命じればまるでケンカを売っているようですし、「下がってください」ではお願いしているみたいです。「下がりなさい」がいちばんよく使われそうですが、これでも〝上から目線〟を感じる選手はいるでしょう。
同じことは、道路工事の交通整理にも当てはまります。
アメリカでは、交通整理の係員はものすごく威張っています。億万長者のメルセデスベンツが来ても「止まれ」「行け」と命令するだけで、「サンキュー」などは絶対に口にしません。
それに対して日本の交通整理員は、傍から見ていてもかわいそうなくらいペコペコしています。運転席に駆け寄って「申し訳ありませんがしばらくお待ちください」とお願いし、車を通すときは「ありがとうございました」と最敬礼する、という感じです。
この極端なちがいは、アメリカ人ががさつで日本人が丁寧だ、という国民性だけでは説明できません。
アメリカの交通整理員が尊大なのは、“上から目線”でもドライバーが腹を立てないからです。日本の交通整理員がひたすら“下から目線”なのは、命令口調を使うと怒り出すドライバーがいるからでしょう。
これは、責任と権限についての考え方がちがうからです。
アメリカ人は、責任と権限は一対一で対応していると考えます。交通整理員は道路の安全を確保する責任を負っていて、そのことに関して大きな権限を持っています。これが、すべてのドライバーに“上から目線”で命令できる根拠です。
それに対して日本では責任や権限があいまいなので、ドライバーと交通整理員は“ひと”と“ひと”として対等な関係になってしまいます。「止まれ」と命じられて「なんだ、その口のききかたは」と激怒するのは、人間として貶められたと感じるからでしょう。
しかしこれだけでは、まだ謎は残ります。
サッカーの国際試合で、「ステップバック」といわれて怒り出す日本人選手はいません。アメリカでドライブしていて、交通整理員から「ストップ」といわれて不快に思うひともいないでしょう。責任と権限のルールはきわめて明瞭ですから、誰でもすぐに理解できるのです。
だとしたら、“上から目線”を嫌うのは日本人の特徴ではなく、言葉の問題なのかもしれません。
Jリーグのレフェリングを英語にすれば、「ステップバック」に「プリーズ」はつけないでしょう。交通整理も、「ストップ」「ゴー」でみんな納得するのではないでしょうか。
日本語の複雑な尊敬語や謙譲語は、お互いの身分をつねに気にしていなければならなかった時代の産物です。それが身分のちがいのない現代まで残ってしまったため、命令形は全人格を否定する“上から目線”になってしまいました。日本語は、フラットな人間関係には向いていないのです。
老若男女を問わず異常に丁寧な言葉づかいが氾濫する理由は、日本人が日本語に混乱しているからなのかもしれません。
『週刊プレイボーイ』2012年2月27日発売号
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