ユーロ危機をきっかけに、「日本もいずれギリシアのようになる」と騒がれるようになりました。
“日本国破産”論は、バブル崩壊で地価と株価が暴落し、不良債権問題の深刻さが暴かれはじめた1992年頃から断続的につづいていたもので、大手金融機関がつぎつぎと破綻した97年の金融危機をきっかけに、2003年国家破産説、2010年中流崩壊説など、さまざまな“警告”本が出版されました。
この問題の難しいところは、過去の予言が外れたからといって、将来も起こらないとはいいきれないことです。いまやだれもが気づいているように、執拗に国家破産が語られるのは、日本国の財政に構造的な欠陥があるからなのです。
国と地方を合わせた日本国の累積債務は、2000年には500兆円あまりでしたが、それがいまでは1000兆円を超えようとしています。これは冷静に考えても背筋が凍るような状況で、国家が無限に借金できないことは明らかですから、このまま債務が膨らんでいけばいつか必ず破綻します。
1999年のユーロ誕生の時から、通貨だけを共通にして、各国が自由に国債を発行する仕組みはいずれ行き詰まると、経済学者は指摘していました。ヨーロッパ市場が拡大し、「ユーロはドルに代わる基軸通貨になる」といわれた頃は、だれもこの警告を気にしませんでしたが、わずか10年あまりで「予告された危機」はやってきました。構造的な問題は、現実化するのです。
日本国の財政が破綻したらどうなるかについてのシミュレーションはすでにいくつもありますが、いずれにせよ大きな経済的混乱が起こることは避けられません。しかしこれは、戦争や内乱のようにすべての国民の運命を翻弄するわけではなく、世代によってその影響にはかなりの差があります。
もっとも甚大な被害を受けるのは年金生活の高齢者です。70歳を過ぎれば働いてお金を稼ぐことはほぼ不可能ですから、年金制度が破綻して受給額が大幅に減額されたら生きていけません。家賃が払えなくなったり、老人福祉施設に入るお金がなければ、あとは路上生活が待っているだけです。
これはとてつもない恐怖ですから、高齢者はなんとしても、自分が生きているあいだは現在の制度を維持するよう求めます。負担が将来世代に先送りされたとしても、彼らにとってはどうでもいいことです。
それに対して若い世代は、仮に職を失ったとしてもいくらでもやり直しがききますから、どうせならいますぐ破綻してほしいと考えるでしょう。年金にせよ医療保険にせよ、納めた保険料はとうてい取り戻せないのですから、もっとも経済合理的なのは、一刻も早く制度そのものをリセットさせることです。
このように財政破綻において、若者と高齢者の利害は真っ向から対立します。
高齢者と若者がどちらも経済合理的に行動したとしても、高齢者の政治力が圧倒的に強い以上、結果は明らかです。しかし皮肉なことに、それによって国家の借金は膨らみつづけ、来るべき“ハルマゲドン”の規模はより大きくなってしまうのです。
『週刊プレイボーイ』2011年11月28日発売号
禁・無断転載